パラドックス定数をさらに知ったー「シアターガイド」の記事

  • 2018.10.06 Saturday
  • 18:50

「劇団は今日もこむし・こむさ」その244

 

モーニングデスクが発行している雑誌「シアターガイド」を毎月購入している。

最寄りのJR駅のビル内の本屋さんでは扱っていないので、一駅だけ電車に乗って、隣り町の本屋さんまで買いに行く。

 

劇場でもらうチラシの束も、私にとっては貴重な情報源だが、「シアターガイド」も芝居選びに欠かせないものになっている。

昔々、雑誌「ぴあ」のページをめくっていたのと同じ感覚で、「これは?」と感じる情報をキャッチするのが面白い。

 

情報収集に役に立つだけでなく、貴重な記事が掲載されることもある。

2018年11月号には、那須佐代子氏と、野木萌葱氏へのインタビュー記事が載っていて、「よくぞ、この記事を載せてくれました」と感謝したくなった。

 

那須佐代子氏はシアター風姿花伝の支配人で、野木萌葱氏はパラドックス定数の代表。

シアター風姿花伝がパラドックス定数をバックアップする形で、2018年の4月から、2019年の3月まで、計7本の芝居を上演するという企画が、現在進行中だ。

 

「東京裁判」という作品で、野木萌葱氏の存在を初めて知り、圧倒され、かつ、このような演劇人がいたのだと、現代演劇に希望を見出したように思った。

だから、1年かけて、野木作品を7作、観続けることができる企画は、本当に有り難く感じている。

 

「シアターガイド」のインタビュー記事を読んで、「なるほど」と思ったことがいくつかあった。

たとえば、シアター風姿花伝として、劇団を応援する形として、「ロングラン公演」をサポートするという構想があったらしい。

しかし、野木氏としては「うちの劇団で1カ月公演は無理」という判断があり、「だったら長期公演を1回やるのではなく、年に複数回公演してもらう形でもいいのでは」と那須氏は思い至ったのだそうだ。

 

そうして、1年に7作品を上演する企画が実現したわけだが、那須氏がつぎのように言っていることは重い。

「野木さんとパラドックス定数さんが再演に耐え得る秀作をたくさん持っていらしたから」

クオリティーの高い戯曲を、クオリテイーの高い演技・演出で観せ続けられなければ、この企画の意味は無い。

 

那須氏が、「『Nf3Nf6』など非常にストイックな芝居で、俳優がマゾヒスティックなほど自分を追い込んでいるように見えたんです。」

と言ったことに対して、野木氏がつぎのように応えたのが、私には意外だった。

「ああ、その傾向はありますね。でも演出で追い込んでそうなる訳ではなく、劇団員が自発的にあの空気感に持っていくんです。」

パラドックス定数の芝居(演技)には独特の緊張感があるが、私は、それは、野木氏の演出によって創られているのだろうと思っていた。

しかし、野木氏は「劇団員が自発的にあの空気感に持っていく」のだという。

パラドックス定数における、演出者と演技者の関係性が見えてきて、「シアターガイド」の記事は新鮮だった。

 

「劇団員」といえば、那須氏と野木氏のインタビュー記事のあとに、パラドックス定数の劇団員の文章を掲載しているのも、いい編集だと思った。

そのページでも、初めて知ったことがあった。

パラドックス定数の劇団員(俳優)は、4人だけとのこと。

今まで観てきたお芝居の出演者の、全員とは言わないまでも、ほとんどが劇団員なのだと思っていたのだが、そうではなかったのだ。野木氏と少ない劇団員とがチームを作って、活動をしてきたのだと知り、たとえ少人数であっても、ものごとを成すことはできるのだと教えられた気がした。

 

4人の劇団員の文章が、それぞれに深い。 

植村宏司氏は文章の最後を、つぎのような言葉で締めている。

「私自身も一連の公演を通し、逆に野木の刺激になるような芝居ができたらと思っています。」

作・演出をする人と、演技者とが、しのぎをけずるような関係にある。その様が見えてくるようだ。(そんな芝居作りは、あこがれだ。)

小野ゆたか氏の、「パラドックス定数での創作・公演は、自分にとって体の一部と言っていいもの。」という言葉も、さらっと言っているが、すごい。

 

「野木戯曲の特徴は、その“回りくどい偏屈さ”にあると僕は思っています。」(西原誠吾氏)

「人が人と極限状態で相対する瞬間、内面は千々に乱れていてもその場に確かに人間が存在することの醜さと美しさ、その両方を繊細に描き出すのが野木作品の魅力。」(井内勇希氏)

短い言葉ではとうてい言い尽くせない野木氏の戯曲の複雑さ。

野木氏と共に格闘し、舞台を創ってきた演技者だからこそ、表現できる言葉なのだと感じた。

 

シアター風姿花伝での7作上演も、あと3作を残すのみとなった。

野木氏の戯曲を、4人の劇団員が中心となって、客演の役者さんを独特な空気感の中にとりこみながら、どのように舞台化していくのか、「シアターガイド」の記事を読んだ今、なおさらに関心が増している。

テレビ番組「ソノサキ」のラストシーン

  • 2018.10.03 Wednesday
  • 19:17

「劇団は今日もこむし・こむさ」その243

 

2018年10月2日の午後11時過ぎ、テレビを点けたところ、テレビ朝日で「ソノサキ」という番組をやっていた。

新聞のテレビ欄を見ると、「動物とのキズナSP…引退した盲導犬と指導員が再会」とあった。

 

なにげなく見はじめたのだが、やがて、「どうなるのだろうか?」と好奇心が刺激され、ラストまで見ないではいられなくなった。

 

人間と犬の、7年後の再会。

人間の方は、盲導犬を指導し、育てる仕事をしている女性。

動物の方は、その女性指導員に育てられた犬。6年間、盲導犬として働いたが、今は老いて、ペットとして飼われている。

 

女性は、指導員としては新人の時代に、その犬と出会い、苦労して育てたので、特別に思い出が深い。

盲導犬としての訓練が終わり、利用者の方に、その犬をお渡ししたときのエピソードがいい。

犬は、利用者の方に引き渡されたあと、指導員の女性をちらっと振り返りもせずに、利用者をエスコートして去って行ったというのだ。

だからこそ「盲導犬」だし、そういう役割を務めるように育てたのが指導員自身なのだから、その一見クールな犬の姿は、指導員の指導のたまものであるのだけれども、……でも、どこか寂しかった?

 

犬は盲導犬の任務を終えて、今は普通のペットとして、あるお宅で飼われている。

そのお宅に、指導員の女性が訪ねていく。

果たして、犬は、指導員の女性と再会して、どんな反応をするのだろうか?

視聴者の興味を引くように、番組は上手く編集していた。

 

コマーシャルが終わって、いよいよ犬が現在暮らしているお宅の門の前に、指導員の女性がやってくる。

すると、犬は女性に会うやいなや、しっぽを左右に振り出し、自分から女性に近づいていって、その頭をこすりつけていった。

犬のからだをずっと、ずっと撫でつづける、指導員の女性。

……それが、結末だった。

 

番組の筋書きにうまく嵌ってしまったと思いながらも、いいものを見させてもらったと素直に感じた。

言葉を発することのない動物だからこそ、より一層伝わってくるものがあるような気がした。

 

学校の避難所の主体ー「神戸新聞」の記事に”?”

  • 2018.09.25 Tuesday
  • 19:41

「劇団は今日もこむし・こむさ」その242

 

インターネットでニュースを見ていたところ、

「学校の避難所、先生任せ? 市職員運営のはずが…」

という見出しの記事(2018年9月23日配信、神戸新聞NEST)が目に入った。

 

「学校の避難所、先生任せ?」と、「?」がついているのは、たしかに、学校の避難所は「先生任せ」であってはいけないと私も認識しているので、合点がいった。

しかし、「市職員運営のはずが…」という言葉は、ちょっと違うのではないかと思った。

 

この記事のリードは、つぎの通りだ。

「災害時に小中学校に開設される避難所への対応が課題となっている。避難所運営は自治体職員が担うと決めている市町が多いが、今月4日の台風21号では、神戸市内の複数の小学校に市職員が現れず、教諭らが避難者を受け入れた。今夏は災害が相次ぎ、今後も秋雨や台風シーズンが続くことから、学校側から「対応に限界があり、学校業務にも支障が出る」と懸念の声が上がる。」

 

本文からは、避難所の運営に関して、学校の側、行政の側、双方の事情のようなものが窺われる。

 

〇神戸市東灘区の小学校には12人が避難したが、校長1人で対応、区役所に連絡すると、「暴風などで六甲大橋を渡れず、職員が行けない」と説明された。

 

〇市内の別の小学校には10人が避難し、教頭や教諭が避難所の開設作業に追われたが、市の防災マニュアルには「職員を避難所へ派遣し開設作業を行う」と定めているのに、マニュアル通りではなかった。

 

〇市の危機管理室は「避難所が多かったこともあり、どのタイミングで職員を派遣するか見通しが立たなかった。検証したい」と言っている。

 

この神戸新聞の記事は、基本的に、避難所は行政が運営するべきだという考えに基づいて書かれているように見受けられた。

記者は、神戸市以外の例も挙げている。

姫路市は……「開設準備を学校に手伝ってもらうことはあるが、基本的に市職員が最初から最後まで対応する」

伊丹市……「避難者がいなくても、市の担当者が学校で待機する」

これらは、記者の考えを裏付ける発言ということなのだろう。

 

そして記事の最後に、神戸学院大学の教授(社会防災学)の話を載せている。いわく、

「避難所は開設も含め行政が行うもの。学校側が道義的に手伝うケースもあるが、襲来が想定できる台風や大雨などでは、あらかじめ行政が主導すべきだ。(略)行政、学校、地域が連携し、非常時に誰がどのように行動するかを協議し、地域ごとに防災マニュアルを作成しておく必要がある。」

 

社会防災学の先生が「避難所は開設も含め行政が行うもの」と言っているから、なるほど、それが「結論」かと、受け止められる記事になっている。

 

しかし、私は、この記事には、欠けているものがあると思う。

それは、避難者自身、及び、その学校が存在する地域の、住民の主体性だ。

校長が1人で対応したという小学校には、12人の住民が避難した。

教頭・教諭が開設作業をした小学校に避難した住民は、10人いた。

非難した住民のうち、躰が自由に動かないお年寄りや、病気の方もいらしたと思うが、中には元気な人もいたと思う。

避難所というのは、行政や学校の職員に何もかもお膳立てをしてもらって、安全のサービスを一方的に受ける場所ではなく、その地域の住民が公共の施設を借りて、自分たちの力で運営していく場所だと私は考えている。

だから、受動的にではなく能動的に、「お客様」としてではなく「運営者」の一員として動くことが必要なのだ。もちろん、人によって、出来る活動は違うけれども。

 

私は都内の3つの区立中学校で、教頭(副校長)を経験した。

その、それぞれの学校で、校区内の町会や自治会の方と共に、「避難所管理運営マニュアル」を作成し、冊子を作った。

神戸新聞の記事の、大学の先生がおっしゃっていたような「地域ごとのマニュアル」に当たる。

 

マニュアルのコンセプトの第一は、避難所を管理・運営するのは、学校だけではなく、また、行政だけでもなく、避難者を含む住民と、学校の教職員と、区の職員、この3者が一体となって動ける組織を作る、というものだった。

例えば、その名称は「避難所運営会議」といったもので、その議長には、地域の住民の代表の方に就いていただく。この、あくまでも「住民が主体である」というのも、大事なコンセプトだ。

 

避難所が長期化する場合には、「避難所運営会議」の下に、広報・庶務部、給食・物資部、防犯・警備部、医療・衛生部などを設け、避難者にも役割を分担してもらう。また、避難者による班を形成し、班長を選出してもらって、組織的に動けるようにする……等々、そのコンセプトを貫く。

 

マニュアルには、避難者名簿や、物資依頼伝票、避難所用物品受払簿など、いざというときに必要になる書類のサンプルも掲載した。

 

幸いなことに、在職中に避難所が実際に開設されるような災害は無かったが、「避難所管理運営マニュアル」作りの過程で、学んだことは多かった。

 

災害が発生するたびに、ボランティアの方々の活動が報道される。その無私の精神に、尊敬の念を覚える。

神戸新聞の地元は、1995年に発生した阪神・淡路大震災の被災地だったのではないか。

あのとき全国からボランティアが駆けつけて、「ボランティア元年」という言葉を生んだ。

ボランティアの精神を良しとするのであれば、避難所を自分たちの力で管理・運営するというコンセプトは理解しやすいことなのではないだろうか。まして、自らのこと、自らの地元の避難所なのだから。

 

神戸新聞さんには、行政への要請だけでなく、災害に対して主体的な行動を起こす、神戸市民の姿を掘りおこし、喚起・報道してもらえたらと思う。

 

戯曲と劇場ー「寒花」を見て

  • 2018.09.23 Sunday
  • 16:37

「お芝居つまみ食い」その246

 

2018年9月11日〜17日

ハツビロコウ#6

作 鐘下辰男、上演台本・演出 松本光生

『寒花』

シアターシャイン

 

劇場で渡される(あるいは客席の上に載せられている)チラシの束。

荷物になるから嫌う方もおられるかもしれないが、私はいただいたチラシを1枚1枚見ていくのが好きだ。チラシを見て、「この芝居を見にいこう」そう思うことがけっこうある。

 

『寒花』のチラシの裏に、こう印刷されていた。

「1909年(明治42)10月26日

 日韓を震撼させる3発の銃声が鳴り響いた

 初代内閣総理大臣 伊藤博文の命を奪った 安重根

 朝鮮独立運動家を名乗る彼が 最期に語った言葉とは……」

 

伊藤博文を殺害したのが安重根という人物であり、韓国では、その行動を高く評価されている。という程度の知識しか私は持っていなかった。

『寒花』は、その安重根を取り上げている。どんな芝居なのだろうか? また、安重根はどのような人物なのだろうか? 興味を抱いて阿佐ヶ谷のシアターシャインという劇場に足を運んだ。

 

シアターシャインは、まことに小さな劇場だった。客席は50〜60席くらいだろうか。舞台も、客席の部分と同じくらいの広さしかない。

もしかしたらあるのかも知れないが、両袖が無い様に見えた。

袖が無い劇場は珍しくなくて、その場合は、舞台の奥の方に役者の出入り口が設けられている。だがシアターシャインの舞台の後方は壁になっていて、そこから役者が出てきたり、引っこんだりすることは出来ないように見受けられた。

 

役者がどこから登場するのかと思っていたら、舞台の床が一部開いて、床下から姿を現わした。安重根が入れられている監獄が芝居の舞台なので、その登場の仕方は、演出の一つであるように感じないでもなかった。

登場人物は全部で10人いたが、一度床下から登場してきた人物は、舞台からハケることがなく、自分の場面が終わっても、つぎの出番まで舞台の左右に立っていた。つまり、全員が舞台に常に存在していることになる。ということは、役者は常時、ある緊張の状態にあるわけで、そういう張り詰めた空気感を醸し出す、一つの演出として理解することも可能だ。

 

しかし、『寒花』という戯曲を上演するのに、果たしてシアターシャインという劇場が適していただろうかと、私は考えてしまった。せめてもう少し広い舞台で上演した方が良かったのではないかと、戯曲のためにも思った。

 

『寒花』は、軟弱なお芝居が多い中、ストレートで、熱量の高い芝居だ。(それでいて、しみじみとした味わいもある。)

安重根という死刑囚をとりまく通訳・典獄・外務省政務局長・看守長・監獄医・看守らが、それぞれに主張し、激しく対立するなどして、死刑執行の幕切れまでを見せていく。

ときには怒鳴り、激しい暴力がふるわれ、躰と躰がぶつかって舞台に倒れ込むシーンがある。

その声や、音が、劇場内に過度に響いて、(私には)「うるさく」感じることが幾度かあった。

 

パンフレットにハツビロウの代表として松本光生氏が、

「小さな空間で、窮屈な座席しか用意できなかったことを、心よりおわび申し上げます。」

と期せずして書いていた。

窮屈なのは小劇場だから仕方がないと思う。

また、私は、その構造も含め、シアターシャインという劇場が悪いと言っているわけでは決してない。(シアターシャインさん、誤解しないで下さい。)

戯曲によって、必要な空間、適した空間というものがあるのではないだろうか、と思うのだ。

 

安重根が伊藤博文を暗殺したのには、深い理由があったと、芝居では言っていた。

果たして、芝居で描かれていたような安重根の姿が真実であるのか、私にはまだ理解できないところがある。

今回『寒花』を見ることによって、一つの問題を投げかけられたような気がしている。

 

舞台の最後で、「寒花」という言葉の意味を知った。雪を表わす言葉だと知って、なんと、いい題名かと思った。

鴻上尚史「不死身の特攻兵」の衝撃

  • 2018.09.21 Friday
  • 17:59

「劇団は今日もこむし・こむさ」その241

 

鴻上尚史氏は、演劇の世界で名の知れた人だという知識はあったが、そのお芝居を見たことも、戯曲を読んだこともなかった。

その鴻上尚史氏の『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)という著書の広告が、(たしか)新聞に出ていて、読みたいと思った。

何故かというと、『不死身の特攻兵』には副題がついていて、その――軍神はなぜ上官に反抗したか――という言葉に注目したからだった。

 

現在稽古を進めている次回の芝居は、ある区立中学校を舞台にしている。

企業に限らず、学校という場にも、上司と部下という関係がある。教育委員会→校長→副校長→主幹→教諭といった、命令や指導の流れがある。

命令の仕方や、指導の仕方には、個々の教育委員会や学校によって違いがあるので、その流れがすべて「上意下達」式だとは言えない。

しかし、今年問題になった日大のアメリカンフットボール部の監督→コーチ→選手のような、一方通行の「力」の行使がなされる教育委員会や、学校もないではない。

そういう環境に置かれた「部下」が、「上司」に対して、どのような姿勢をとり、自らの意志を表明し、行動することが出来るのか。それが、次回の芝居の勘所でもある。

 

軍隊という組織は、上位の者には絶対服従、一切の反対・批判は認められない、という認識があった。

しかし、上官に反抗した特攻兵が存在したという。

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』

読まずにはいられなかった。

 

その人は陸軍の第一回の特攻隊『万朶(ばんだ)隊』に所属していた、佐々木友次(ともじ)伍長、9回出撃して、9回生きて帰ってきた。

参謀からは「体当たり」(=死)しろと求められたにもかかわらず、佐々木氏は命令を拒否して爆弾を投下し、帰ってきたのだ。

 

そんな佐々木氏の胸には、父親の言葉があった。

佐々木氏の父親は日露戦争のとき、203高地を攻撃する決死隊の一員だった。

決死隊は全滅に近かったが、父親は生き残り、北海道の当別村に帰ってきた。そのお父さんの、

「人間は、容易なことで死ぬもんじゃないぞ」

という言葉が、佐々木氏の心に染みついていたのだ。

 

また、佐々木氏に大きな影響を与えた人がいた。『万朶隊』の岩本益臣(ますみ)隊長だった。岩本隊長は、「体当たり」について、つぎのような考えを持っていた。

「体当たり機は、操縦者を無駄に殺すだけではない。体当たりで、撃沈できる公算は少ないのだ。こんな飛行機や戦術を考えたやつは、航空本部か参謀本部か知らんが、航空の実際を知らないか、よくよく思慮の足らんやつだ」

岩本隊長は佐々木氏らにこう言った。

「出撃しても、爆弾を命中させて帰ってこい」

(このあと岩本隊長は、アメリカ軍のグラマン戦闘機に襲われ、機銃掃射を受けて墜落し、戦死する。)

 

1944年11月11日、最初の出撃命令が出された。

『不死身の特攻兵』の80ページに、「出陣前の乾杯をする万朶隊員」とキャプションのついた写真が載っている。

五人の隊員たち、皆若々しいが、中でも佐々木友次氏は童顔で、「この人が?」と意外に思われるほど初々しい。当時佐々木氏は21歳だったようだが、十代と見まがう風貌をしている。

第1回目の出撃。マニラ市の隣りのカロ―カン飛行場を飛び立った佐々木氏は、揚陸船に向かって爆弾を投下したあと、ミンダナオ島のカガヤン飛行場に不時着し、その後カロ―カン飛行場に戻ってきた。

 

11月28日、4度目の出撃の際に、佐々木氏は作戦参謀から、こんな風に言われる。

「佐々木伍長に期待するのは、敵艦撃沈の大戦果を、爆撃でなく、体当たり攻撃によってあげることである。佐々木伍長は、ただ敵艦を撃沈すればよいと考えているが、それは考え違いである。爆撃で敵艦を沈めることは困難だから、体当たりをするのだ。体当たりならば、確実に撃沈できる。この点、佐々木伍長にも、多少誤解があったようだ。今度の攻撃には、必ず体当たりで確実に戦果を上げてもらいたい」

 

この言葉に対して、佐々木氏はこう答える。

「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」

佐々木氏がこう言ったことについて、著者の鴻上氏はつぎのように書いている。

「伍長が大佐や中佐に向かって反論するのは、軍隊ではあり得なかった。軍法会議の処分が当然のことだった。」と。

また、佐々木氏が「私」という言葉を遣ったことにも鴻上氏は注目している。軍隊用語では「自分」と言わなければいけなかったのに、佐々木氏は「私」と言ったのだ。

佐々木友次氏の腹の座り具合は尋常なものではない。

 

12月5日、第6回目の出撃。佐々木氏はレイテ湾で大型船を撃沈させる。

12月18日、9回目の出撃のあと、佐々木氏はマラリアに罹って寝込んでしまう。

 

1945年3月、フィリピンに残された航空勢力が集められて臨時の飛行隊が組織されたが、飛行機は一機も無かった。

アメリカ軍が沖縄に上陸。佐々木氏らが居たルソン島にもアメリカ軍は侵攻していた。佐々木氏らは山の中に逃げ込み、蛇やとかげや蛙などをつかまえて食べ、生き延びた。

8月、敗戦。佐々木氏は捕虜収容所を経て、1946年の1月、アメリカの輸送船に乗って、日本に戻ってきた。

「いくさに負けて、よくも帰ってきたな。恥知らず!」

「捕虜になるなら、なぜ死なないのか!」

佐々木氏ら復員兵に向かって石つぶてが投げられたという。

 

佐々木氏は当別村に帰って、家業の農家を継いだ。1950年に結婚し、子供もさずかった。

札幌の病院で、呼吸不全のために亡くなったのは2016年の2月のこと。92歳だった。

 

『不死身の特攻兵』を読み、佐々木友次氏のような方がいたということに刮目させられた。しかも、敵の戦艦に「体当たり」をして撃沈させる戦法に疑問を呈し、反対した人は、佐々木氏一人だけではなかったということも知って、さらに目を見開かされる思いがした。

 

その一方で、佐々木氏のようには考えず(内心、考えていたのかもしれないが)、上官に反論することもなく、特攻機に乗っていった人々の存在がある。

そういった方々のとった行動に対して、それを貶めるような言い方を、私はしたくないし、してはならないと思う。

『不死身の特攻兵』に、鴻上氏がつぎのように書いているが、私もその通りだと思う。

 

「「命令された側」になり、特攻隊員として亡くなった人達に対しては、僕はただ頭(こうべ)を垂れるのみです。一部の「自ら志願した」人達も同じです。深い尊敬と哀悼と祈りを込めて、魂よ安らかにと願うだけです。

「特攻はムダ死にだったのか?」という問いをたてることそのものが、亡くなった人への冒瀆だと思っています。死は厳粛なものであり、ムダかムダでないかという「効率性」で考えるものではないと考えるからです。

 総ての死は痛ましいものであり、私達が忘れてはならないものだと思います。特攻隊で死んでいった人達を、日本人として忘れず、深く記憶して、冥福を祈り続けるべきだと思っています。」

 

その上でなお、佐々木友次氏のように、軍法会議にかけられる危険がありながら、自らの考え方を堂々と上官に述べて動じない人物が居たということ。その胆力に、同じ人として衝撃を覚える。

さらには、持論を口にするだけでなく、それを実行し続ける、嘘の無い行動力にも驚かされる。

このような人が過去に存在したことは、未来への希望につながっていくように思う。

 

その時代の人々が、どのように生きたかということは、過去のこととして埋もれてしまうだけでなく、掘りおこされることによって、つぎの時代の大きな糧とも、指針ともなり得るのだということを『不死身の特攻兵』は教えてくれたように思う。

 

次回の公演の登場人物にも、時代に流されるのではなく、自らの思いを懸命に貫いていこうとする生き方をさせたいと、改めて感じた。

幕切れのシュッシュッポッポー「家主の上京」

  • 2018.09.20 Thursday
  • 18:42

「お芝居つまみ食い」その245

 

2018年9月11日〜15日

川名孝企画公演+シアターX提携公演

日本近・現代秀作短編劇100本シリーズ

第47回名作劇場

作 椎名麟三、演出 川名孝

『家主の上京』

両国 シアターX

 

1965年の9月のことだった。私は高校の演劇部の一員として、文化祭で椎名麟三の『家主の上京』を上演した。私の役割は、演出だった。

高校2年生のときのことで、はるか遠い昔の話だけれども、その経験は忘れることが出来ないものとして残っている。

 

だから、そのお芝居が、2018年の今、シアターXで上演されると知って、足を運ばないではいられなかった。

「第47回名作劇場」では、『家主の上京』ともう一つ、齋藤豊吉の『屑屋の神様』が取り上げられていたが、私は『家主の上京』だけを見た。

 

チラシに、こんな解説が載っていた。

「第一次戦後派作家の椎名麟三が初めて書いた一幕劇。戦争中「長女と長男を疎開させて、西巻さんが自分の疎開したあとの家を、是非借りてくれ」と頼まれた矢田きくの家に「キョウウカガウ、ニシマキ」という電報が入って、間もなく運送屋によって大きなベッドがかつぎ込まれる。

実存主義作家の不思議な喜劇。一九五三年発表。」

 

「第一次戦後派作家」とか「実存主義作家」と言われる椎名麟三が、キリスト教徒になったのち、初めて書いた戯曲が『家主の上京』だった。

時代の背景は、敗戦後、数年経った頃と見ていいのではないだろうか。

 

だが、今回の『家主の上京』を見て、最も強く感じたのは、舞台に「戦後」の臭いがしない、ということだった。

この劇には、戦争の影がいくつも落ちている。

〇 長女と長男が学童疎開に行っていたこと。

〇 母親は小島飛行機(この名前は、戦争中、各種軍用機を開発し生産した「中島飛行機」を思わせる)の寮の賄い婦をしていたこと。

〇 大家である西巻は、自分が疎開した後の家を、矢田きくに貸したこと。

〇 母親(=矢田きく)は、空襲のとき、大家から借りた家に、必死で水をかけつづけ、焼失を防いだこと。

登場人物たちは、そういった、戦争中のあれこれを引きずって、「戦後」の今を生きているはずなのだが、その過去の陰が見えてこなかった。

 

大家の西巻は、長女と長男に腹を立てて、こんな風に独白する。

「一体、誰のおかげで、この家に住んでおられると思っているのか。ことにあの娘と息子ときたら、戦後派そこのけだ。」

1965年に私が演出したときの台本(未来劇場版)には、「戦後派」とあったが、今回の公演では、(私の聞き間違いでなければ)「アプレゲール」と言い換えていた。

 

なるほど、「戦後派」と言うよりも、「アプレゲール」の方が、今ではその感じが伝わりやすいかもしれない。

念のため、アプレゲールを辞書で引くと、その△箸靴董△海書かれている。

「転じて、第二次大戦後の若者の放恣で退廃的な傾向。また、その傾向の人。戦後派。アプレ。」(広辞苑)

 

劇中で、アプレゲール的な雰囲気を漂わせているのが、矢田きくの長男=正男である。

鉄道会社に就職して、機関車を動かしたかった正男・19歳は、望みを果たせずに清掃人夫をしている。

鬱屈を胸にかかえ、家に帰ってきても、壁にもたれて坐っているばかり。そして、なにかと言えば、「シュッ、シュッ、ポッポだ!」と吐き捨てるように呟いている。

 

子供時代に戦争を経験し、戦後の生きにくい世の中で、思うように生きられない19歳の青年の思いを、現代の若い役者が表現するのは、確かに難しいことかもしれない。

しかし、それが表現されない限り、このお芝居は成立したとは言えない気がする。

 

『家主の上京』は喜劇だそうだけれども、最後は、家主の西巻の突然の死で幕が下りる。

幕が下りる直前のセリフは正男の、あの独り言である。

「シュッ、シュッ、ポッポだ……。シュッ、シュッ、ポッポ」

ト書きには、「怒りをこめて繰返しながら」とある。

 

今回の『家主の上京』のラストの、「シュッ、シュッ、ポッポだ……。」からは、感じられるものがほとんど無かったことが残念だった。

三条会の「ひかりごけ」にさまよい込んで

  • 2018.09.18 Tuesday
  • 17:04

「お芝居つまみ食い」その244

 

2018年8月30日〜9月3日

三条会

作 武田泰淳、演出 関美能留

『ひかりごけ』男生徒編

下北沢ザ・スズナリ

 

「小説についての小説」その142で、武田泰淳の『ひかりごけ』について書いた。

『ひかりごけ』は、前半は普通の小説、後半は戯曲という、ユニークな形式の「小説」だ。

しかも、戯曲の部分について、作者は上演不可能な「戯曲」と書いている。

 

どうして「上演不可能」なのか?

舞台化を想定してこの戯曲を読むと、「上演不可能」とする要素は無いように思える。

しかし、一点だけ、もしかして作者は、それがあるために「不可能」と考えたのではないかと思うことがある。それは例えば、次のようなト書きだ。

 

「西川 (少しずつ、後じさりする。やがて、彼の首のうしろに、仏像の光背のごとき光の輪が、緑金色の光を放つ)」

 

西川というのは少年で、人の肉を食べた船員だ。

西川の首のうしろの光の輪を見て、やはり船員の八蔵が言う。

 

「八蔵 うんでねえ。昔からの言い伝えにあるこった。人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うっすい、うっすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけつうもんの光に似てるだと。」

 

この「光の輪」は西川の首のうしろだけでなく、西川を殺して食べた船長の首のうしろにも輝くことになる。それだけではない。光の輪は、船長が出廷した裁判の、検事、裁判長、弁護士、傍聴しにきた男や女たちの首のうしろにも点っていくのだ。

 

『ひかりごけ』が書かれた1954年当時では、この「光の輪」を実際に舞台に出現させることは困難と、作者は考えたのではないか? だから「上演不可能」としたのでは、というのが私の推測だった。

 

しかし2018年の現在の照明その他の技術であれば、もう不可能ではないのでは? と思い、『ひかりごけ』を読む戯曲としてではなく、その実際の舞台化を見てみたいと感じていた。

 

すると、どこの劇場でだったか、例によってチラシの束を渡された中に、それを見つけたのだった。三条会の、『ひかりごけ』のチラシだった。

 

私は三条会のお芝居を見たことがなかった。演出の関美能留氏も知らなかった。

けれど、『ひかりごけ』の実際の舞台を見ることが出来るのだと、期待して下北沢に行った。

 

三条会の『ひかりごけ』には、上演のパターンが3通りあるようだった。男生徒編・女生徒編・動物(犬)編の3つで、私が出掛けた日のパターンは「男生徒編」だった。

 

ザ・スズナリの前方の、通路際の席に坐ることができた。

開演前から舞台は明るくて、学校の教室でよく見かける机と椅子が、いくつか配置されているのが見えていた。

その装置が、どのように洞窟の世界や、法廷の場に変化していくのだろうかと想像してみたが、想像できなかった。

 

上演の3パターンとか、その装置から、すでに私は予想しなければならなかったのかもしれない。

芝居がいざ始まってみると、それは思ってもみなかった形で進行していった。

 

初め、女性が出てきて、机の上に上がってバイオリンを弾く。

そのあと学生服を着た男子生徒が数人出てきて、「ライス・ライス・ライス」(米?)、劇場に鳴り響く大声で一斉に連呼する。

それを聞いて、大きな声で笑う観客がいる。なにが可笑しいのか私には分からない。

 

いたたまれなくて、開演約15分後、席を立ち、暗がりの中、私は出口を探した。観客の一人が出口を教えてくれた。

 

帰り道、劇場でもらったパンフレットを読んでみた。

「演出ノート」という、演出者の言葉が載っていた。その最後の部分に、こう書かれていた。

 

「いずれにせよ私は、『ひかりごけ』という人肉食を取り扱った戯曲を「気軽に」見てもらいたかった。また「気軽に」作りたかった。人の肉を食べたとか食べないとかを通して、「私たち人間は誰もが罪深い」ことを描いた戯曲に、私は「気軽さ」を与えたかった。私も罪深い。このことをずっと考え続ける「気軽さ」を持った作品になってくれていればよいのですが。」

 

今回の三条会の『ひかりごけ』に触れて、私が考えたのは、「演出」についてだった。

関美能留氏の「演出」は、武田泰淳の『ひかりごけ』を基にしてはいるものの、それをだいぶ変形させている。

チラシ・パンフレットには、「武田泰淳 作、関美能留 演出」とあったが、「関美能留 脚色」とか、「関美能留 上演台本」といった記述が必要だったのではないか。

そうでないと、私のような観客が勘違いをして、劇場にさまよい込むことが起きてしまうように思う。まあ、それもまた一興かもしれないが。

青来有一氏のメタフィクション

  • 2018.09.16 Sunday
  • 16:10

「小説についての小説」その147

 

青来有一の『フェイクコメディ』(「すばる」2018年9月号)を読んだ。

 

主人公の長崎原爆資料館の館長である「わたし」は、小説家でもある。

「来年三月、わたしは定年をむかえる。三十代のなかばから公務のかたわら、物書きとして小説を書くようになり、これからようやく自由に書くことができるという待ち遠しさが大きい」

とあるので、「わたし」は青来有一氏自身であるようだ。

 

このブログの「その134」で、私は同じ青来有一氏の小説『小指が燃える』に触れたが、『フェイクコメディ』は、小説の書き方が、『小指の燃える』に似ている。

どのような書き方かと言うと、『フェイクコメディ』の中で、筆者がこんな風に書いている。

「わたし自身のなにげない日常を私小説仕立てにして、そこに現実に存在はしても、まず出会うことのない人物を登場させ、現実と小説世界を融合した一種のメタフィクションだ。」

と。

 

「現実に存在はしていても、まず出会うことのない人物」は、『小指が燃える』では、「元都知事で作家の石原慎太郎氏」であり、「被爆者である作家の林京子さん」だった。

そして、今回の『フェイクコメディ』で、長崎原爆資料館を密かに訪ねてくるのは、なんと、「キッシンジャー元国務長官」であり、「ドナルド・ジョン・トランプアメリカ合衆国大統領」なのだった。

 

資料館の展示を見たあとに、トランプ大統領はこんなことをキッシンジャー氏に言う。

「この施設は申し分がない……、小さいがすばらしい展示ではないか。ナガサキのこの原爆資料館を、どうだろう……、マンハッタン計画の関連施設を国立公園にするという計画があっただろう? わが国でここをそっくり買い取って、その関連施設のひとつにくわえるのはどうだろうかね。」

 

キッシンジャー氏はうなずいて、

「なるほど、他国の国民への警告にはなるかもしれませんなあ」「核の抑止力を補完するうえで、民衆の無意識への心理的な効果ぐらいは発揮するかもしれません」

などと応える。

 

「ちがう、ちがう、そうじゃない」

と「わたし」は、トランプ大統領とキッシンジャー氏の間に割り込んでいこうとする。

「ここは核兵器の威力を誇る施設ではない、その恐ろしさを伝える施設なのだ、アメリカの偉大さを讃える施設でもなく、人類の未来への警鐘となる施設であって、わたしはその館長なのだ。」

と。

 

ところがそのとき、後ろから複数の腕が伸びてきて、「わたし」は眠りに落ちてしまう。

その夜、「わたし」が目を覚ましたのは、自宅マンションの近くの公園のベンチの上だった。

 

その夜にあったことを忘れてしまったと思ったが、やがて記憶が戻ってくる。だが、

「トランプ大統領が原爆資料館におしのびで見学にきたなど、だれが信じてくれるだろう。」

とも思う。

「結局は一夜の茶番劇、コメディとして語るしかないのかもしれない。」「ニセの大統領やニセのキッシンジャー元国務長官が登場するコメディとして、こうなったら書くしかないのだろう……」

 

そうして、話は小説の冒頭に戻り、小説『フェイクコメディ』の幕が上がっていく。

 

「メタフィクション」

一歩間違えれば、穴がボロボロと開いた、話にならない小説になってしまう危険性があるように感じる。

しかし、自由な小説世界を創造する手法として、『小指が燃える』そして今回の『フェイクコメディ』を、興味深く読んだ。

美しい場面の出現ー「Nf3 Nf6」

  • 2018.09.13 Thursday
  • 18:19

「お芝居つまみ食い」その243

 

2018年8月23日〜26日

パラドックス定数 第42項

シアター風姿花伝「プロミシングカンパニー」 パラドックス定数オーソドックス

作・演出 野木萌葱

『Nf3 Nf6』

シアター風姿花伝

 

シアター風姿花伝に通うのも、これで4回目となった。西武線や大江戸線で行くほうが近いらしいのだが、私にとって分かりやすいJRの目白駅から毎回、てくてく歩いて行っている。

 

今回、劇場に入って驚いた。観客席がL字型になっていたからだ。

シアター風姿花伝の舞台は固定されたものだと思い込んでいたが、そうではないということが分かった。

 

『Nf3 Nf6』は『5seconds』と同じく、2人芝居だった。

しかし、これまで私が観ることのできた野木作品の中では、唯一、登場人物が日本人では無いお芝居だった。

2人の登場人物のうち、1人はナチスの将校の服装をしていたので、舞台はどうやら、ドイツのようだった。

将校に対して、もう1人ははじめのうち手を縛られ、目隠しをされていたので、ドイツの収容所の一室と思われた。

 

初めは2人の関係がつかめないのだが、そのうちに、将校がもう1人の男の命を助けたらしいと分かってくる。そして、2人は知り合いであり、ともに数学者だったということも。

数学者から将校になった男には兄がいること、もう1人の男には弟がいたが、ナチスの狙撃兵に撃たれて死んだことも、セリフのやりとりの中で語られ、「暗号」「解読」といった単語も口にされる。

 

やがて、将校はドイツ側で、もう1人の数学者は連合国側で、暗号機を開発したり、暗号を解読・解析する担当者として、対峙していた関係だったことが明らかになってくる。

 

この辺りから、私の脳裏には、2015年に見た映画『イミテーション・ゲーム』が思い浮かんできた。

『イミテーション・ゲーム』は、第二次世界大戦中、解読不可能とされていたドイツ軍の暗号を、解読してみせた数学者アラン・チューニングの物語だった。2015年のアカデミー賞脚色賞を受賞した。

ひょっとして、『Nf3 Nf6』は、『イミテーション・ゲーム』に触発されて書かれた戯曲なのでは? と思ったりしたが、帰宅して調べたところ、『Nf3 Nf6』は2006年に初演されていると知った。『Nf3 Nf6』は『イミテーション・ゲーム』より何年も前に舞台化されていた。さすがの、野木萌葱氏である。

 

『Nf3 Nf6』には、「美しい」場面が出現する。装置や照明によって作り出される視覚的な美しさではない。

2人の数学者が協力して、未解読の暗号文を解いていく場面だ。

2人は収容所の一室の壁に、夢中になって白墨で文字を書きつけていく。数式なのか、図形なのか素人には見当もつかない文字を(劇場の)壁に、速いスピードで殴り書きしていく。

暗号の解読が、ドイツ側、連合国側、どちらに有益なのか不利なのか、もはや関係がない。

目の前に存在する謎を解き明かすことを目的として、純粋に集中し、共同して能力を発揮するのだ。その姿。その関係。

 

舞台の終盤で、将校が、どこか外国で暮らしていると思っていた「兄」が、実はもう1人の数学者と共に連合国側で働いていたことが明かされる。しかも、拳銃で自殺をしたことも。

それを知り、将校は、部屋の壁一面に白墨で書かれた数式を見ながら、

「お前と数学の話なんかしなければ良かった。」

と呟く。

 

最後、当初かくしゃくとしていた将校が、精神的なダメージを受けたためか、肉体的な疲労の限界が来たのか、椅子にへたり込み、やがて眠りに陥ってしまう。

そうして、もう1人の数学者は部屋を出ていき、舞台は終わる。

 

『Nf3 Nf6』の中で、重要なモチーフとなっているのが、チェスだ。

題名そのものが、チェスから付けられているようだ。

しかし、私はチェスを全く知らないので、芝居の中で闘われるチェスや、チェスにまつわるセリフの意味することを理解することができなかった。(したがって、この文章でも、触れることができなかった。)

 

おそらく、チェスには、数学に通じる「美しさ」があるということなのだろうと、私は想像することしかできない。

チェスを知る人が、この舞台を見れば、一層深く理解できるのかもしれない。

チェスを知らない私には、この作品の全貌を観つくすことはできなかったかもしれないが、劇場の壁に、2人の役者が白墨で、文字やら数式やらを狂ったように書きつけていく「美しい」場面を見ることができたことで、ある充足感を覚えた。それは確かなことだ。

 

将校は、「お前と数学の話なんかしなければ良かった。」と言ったが、2人がもう二度と会わないにしろ、収容所の一室で、2人して未解読の暗号を解いていった時間は、貴重な時間として、2人の中に刻まれるに違いない。

2人が、純粋な数学者に戻って、数学の話なんかをしたことは、「良かった」ことなのだ。

 

北朝鮮で作家になるには…

  • 2018.09.12 Wednesday
  • 21:21

「小説についての小説」その146

 

2012年の8月、ヤン・ヨンヒ脚本・監督の映画『かぞくのくに』をテアトル新宿で見た。

1970年代に「帰国事業」で日本から北朝鮮に渡った兄が、病気を治療するために、特別に許されて日本に戻ってくる。(兄役=井浦新)

その兄を迎える妹(安藤サクラ)をはじめとする家族たちの心情。そして、突然もたらされる、北朝鮮への帰国の指令。

フィクションではあるが、ヤン・ヨンヒ監督の重い、切実な体験に裏打ちされ、一本、ぴんとしたものに貫かれている映画で、印象に残っている。

 

そのヤン・ヨンヒ監督が、「週刊文春」(2018年6月21日)の書評欄で、金柱聖(キム・ジュソン)の『跳べない蛙 北朝鮮「洗脳文學」の実体』を取り上げていた。

「北朝鮮」という語と、「文学」という語の取り合わせが、私には新鮮だった。

そういえば、北朝鮮では、文学がどのように取り扱われているのか、考えてみたこともなかった。北朝鮮における文学とは? その実際を知りたいと思い、『跳べない蛙』を読んでみた。

 

『跳べない蛙』の著者・キム・ジュソン氏は在日三世として日本で生まれて育ったのち、『かぞくのくに』の「兄」と同じく、1970年代に北朝鮮に帰還している。

なお、キム・ジュソン氏は、1959年から1980年代半ばまで続いた「帰国事業」について、「帰国」とか「事業」という表現をするのは適切ではないと書いている。

それでは、「帰国事業」と呼ばれるものはいったい何だったのか? キム・ジュソン氏はこう言っている。

「朝鮮戦争直後、不足している労働力と経済力などを補給するために金日成氏が誘(おび)き寄せた犠牲者たちが、在日帰国者だったのではないだろうか。」

 

北朝鮮に渡ったその日に、キム・ジュソン氏はそこが「地上の楽園」ではないことを思い知らされる。

そもそも北朝鮮に渡ったキム・ジュソン氏が、「思ったことや考えたことをノートに書き出すように」なったのは、「小説の中でならいくらでも日本に行けるんじゃないか」と考えたからだという。

「自分を作中の人物に設定して舞台を日本にすれば、いつでも日本に行けるようになる。」

キム・ジュソン氏は作家になることを目指した。

しかし、2009年に脱北し、現在は韓国で脱北者の支援活動などをしているとのことだ。

 

日本であれば、いろいろな経路をたどって作家になっていくことが可能だが(もちろん、作家になれない可能性も十二分にあるが)、北朝鮮では、そのルートが一つしかない。

それは、作家も、国の、というよりも朝鮮労働党の支配下に組み込まれているからだ。

 

朝鮮労働党には宣伝扇動部という部があり、その下に朝鮮文学芸術総同盟が組織されている。

この文学芸術総同盟の中に、音楽家、美術家、舞踊家、演劇人、映画人、写真家、作曲家、そして作家と、個々の同盟が設けられている。

さらに作家同盟には、道・直轄市ごとに支部があり、本業作家(正式同盟員)、兼業作家(候補同盟員)、アマチュア作家(群衆文学通信員)という階層がある。

 

キム・ジュソン氏は、大学を卒業し、体育の教員をやっていた頃に、本格的に小説を書き出した。

そして、作家同盟の「群衆文学通信員」に登録した。

1年に1度、通信員の講習があり、作品が「合格」すると、作家同盟の月刊誌に掲載される。この月刊誌に、短編小説が3作以上、エッセイが2作掲載されると、アマチュア作家から兼業作家に昇格するシステムになっているらしい。

キム・ジュソン氏は、兼業作家の地位までたどりついたものの、本業作家にはなれなかった。

 

作家になるためには、好きなことを好きなように書いていてはいけない。

北朝鮮では、作家は「職業的革命家」とも呼ばれている。つまり、「革命を本職とする者」であるということだ。

そして、「あの国での“革命”とは、ひたすら金氏(一族)だけを敬い、彼(ら)のお導きによって、完璧な社会主義制度を建てるための活動を指す。」

その理念を実現させる役割が作家にあり、だからこそ「職業的革命家」なのだ。

 

従って、北朝鮮で最も評価されるのは、「金一族の功績と人物を題材にした物語」ということになる。

「抗日パルチザン物」や、「朝鮮戦争後から現在までの社会を背景にした物語」も評価が高いが、キム・ジュソン氏は「日本を背景にした」「総連幹部と在日を主人公にした物語」を書いていた。そのような題材を扱った小説は「海外物」と呼ばれ、思想的・政治的に評価の低いジャンルに属していた。

キム・ジュソン氏はついに、本業作家になる夢を諦めた。

 

ありきたりな感想になるが、好きなことを好きな風に書ける環境というものの有難さを『跳べない蛙』を読んで感じた。

文学に限らず、芸術全般をお上が支配し統率する世界には馴染むことができないと、書くことは容易いが、そのような体制の中に置かれたときに、果たして自分がどのように生きていくのか、いけるのか、考えると、立派なことは言えない。

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