あと1か月少し

  • 2017.10.14 Saturday
  • 20:01

「劇団は今日もこむし・こむさ」その207

 

第4回公演まで、あと1か月少しになった。

この時期になると、さすがに、悩んだり迷ったりしていられなくなって、いやでもエンジンの回転が速くなる。

 

音響家さんが、音を創って、稽古場に流してくれた。

俄然、芝居が変わってくる。

素描のようだった芝居に、色がついた。そんな感じだ。

稽古を見学に来た昔の演劇仲間が、「演劇は総合芸術だから」そんなことを言った。「総合芸術」懐かしい言葉。

しかし、音響家さんの音を聴くと、まさにお芝居は総合芸術だと思う。

 

劇場のスタッフの方との打ち合わせがあった。

3年間お芝居を上演させていただいたd−倉庫の場合も、最初の打ち合わせのときは緊張した。

今年上演させていただくことになったシアターXの方との初めての打ち合わせ、やはり緊張があった。

なにしろ劇場のあれこれについて分からないことばかりだからだ。

けれどd−倉庫でもそうだったが、今回も、こちらの素人っぽい、変な質問にも、嫌な顔をせずに答えてくださった。

帰路、公演に向けて、一層、前向きになっている自分がいた。

 

小道具を貸してくださる会社の担当者に連絡をとった。

こちらが借りたいものについて知らせると、中に取り扱っていない品物があることを、すばやく連絡してくれた。

おかげで、その品物についてどうするか、対処の方法をすぐに考えることができた。

その担当者の方とは、年に1度だけのお付き合いだが、もう3年目となる。

劇場のスタッフの方もそうだけれども、小道具の会社の方も含めて、各方面の方々の力によって舞台は作られていく、そのことを強く実感した。

 

今日のこのブログの題名を「あと1か月少し」としようと今考えて、にわかに胸がドキドキし始めた。

甘い蜜はすすれないー林真理子「年賀状」

  • 2017.10.13 Friday
  • 18:10

「小説についての小説」その112

 

<林真理子の小説「年賀状」をこれからお読みになる方は、読後にこのブログをお読みください。ストーリーが分かってしまいますので。>

 

林真理子の短編「年賀状」は1997年、「小説新潮」に掲載されたそうだが、私は新潮文庫の日本の文学100年の名作・第9巻で読んだ。

主人公の葛西という会社員は、読んでいて、どうも好きになれない男だ。学生時代に知り合った、美人で資産家の娘だった美佐子という妻が居り、子供も2人いるのに、会社の部下だった田村香織と関係を持つのである。

 

田村香織は、妻と離婚するという葛西の言葉を信じていたのだが、葛西は1年かけて田村香織と別れることに成功する。香織は会社を辞めていった。

その経験に懲りたはずなのだが、葛西は再び社内の女性・若狭今日子に手を出す。

「美食や酒の知識」を仕入れ、それを小道具に使ってというところが、いかにもそういう男のタイプだ。若狭今日子を、「社内の女というのはまだ二人めなのだ」と思って見たりするのも感心しない。「まだ二人め」って。

 

ただ、若狭今日子については、葛西はギャフンという目に遭う。若狭今日子は実は田村香織と親しい間柄で、今日子は香織から葛西の話を聞いていたのだ。

「彼女、葛西さんのことですごく悩んでいたんですよ。本当に見ていて気の毒なくらい。今でもあの人、ふっ切れていないんですよ。私、前から言ってました。そんなにあなたが苦しむほどの男かしらってね」

 

題名に使われている「年賀状」というのは、別れた田村香織から葛西に毎年送られてくる年賀状のことだ。

1年目の年賀状に書かれていたのは、こんな文章だった。

「昨年はいろいろなことがあり退職いたしました。その節はいろいろご迷惑をおかけし、申しわけございませんでした。またいつかおめにかかれるのを楽しみにしております。奥さまによろしく」

「奥さまによろしく」という言葉に葛西は反応する。「妻の美佐子に何か気づかれないだろうかという怯えなのである。」

 

2年目の年賀状には「まだ自分の生き方がわからず、ぐずぐずと家にいます。今年こそ明るく羽ばたいていける年にしたいと思っています。どうぞよろしく」とあった。

今度は「どうぞよろしく」という言葉に反応する葛西。

田村香織はまだ自分に「未練がある」のだと思い、「自分もまだまだ捨てたものではないかもしれぬ」と考えたりする。

 

3年目の年賀状が届く。その年賀状を葛西は妻に見られてしまう。

年賀状には「あけましておめでとうございます。わが家はますます元気パワーいっぱい。今年も楽しくいい年にしたいと思っています」とあり、四人家族の写真がついていた。

その四人家族というのが、なんと葛西の家族なのだった。

写真には葛西と子供と、赤ん坊を抱いている「妻」、ではなくて、「田村香織」が写っていた。

昔、田村香織がほかの女性社員と一緒に葛西の家に遊びにきたときに撮った写真だった。

 

年賀状の文面は「これからも私たち一家の幸せが続きますよう、よろしくご指導ください。」と結ばれていた、というのが短編のオチだ。

 

3枚目の年賀状を、妻に見られなければ、葛西の家庭はなんとかもう1年、平穏を維持できたかもしれない。しかし、妻に見られた以上、ひと悶着起きることは必至だろう。妻がどのような態度で葛西にむかってくるのか、まだ分からない。分からないところが恐い。なんだか読者であるこちらの方にまで恐さが伝わってくる。

そんな風に読者に感じさせるところが、作者の腕なのかもしれない。

 

このあと、葛西がどんな窮地に立たされたとしても、同情する気は起きないけれども、不思議なのは年賀状を3年に亘って送り続けてきた田村香織の心の在り方だ。

若狭今日子が田村香織に「そんなにあなたが苦しむほどの男かしらってね」と言っていたように、葛西はいつまでも執着するほどの男ではないように思える。

さっさと忘れてしまった方がいいように思える。

 

しかし、田村香織はそうしなかった。年賀状を送り続け、3年目にして、とうとう葛西の家庭に波風を起こすことに(たぶん)成功した。その狙いが、葛西の家庭の崩壊にあるとすれば、その目的は達成されるかもしれない

葛西が離婚するからと言って田村香織を騙した。その報いが3枚目の年賀状なのかもしれない。

甘い蜜をすすろうとしても、そうそう上手く行きませんよ。「年賀状」は、そんな、大人の教訓話なのだろう。

ある情景

  • 2017.10.10 Tuesday
  • 14:17

通りかかったゲーム場

黒い服の従業員が

店に向かい

深い礼をして去った

 

仕事上がりの習慣と

思い込んでふと思う

あの礼があの若者の

最後の

挨拶だったとしたら

 

仕事場での日々

積み重なった人間関係

離れていく決意

人生のこれから

 

通行人のわたしをも

投影させた一つの礼

 

(2007年6月29日)

「気がつけば、こんな詩が」206

「霊験亀山鉾」南北の芝居だったけれど…

  • 2017.10.09 Monday
  • 13:56

「お芝居つまみ食い」その206

 

2017年10月3日〜27日

作 四世鶴屋南北、監修 奈河彰輔、補綴 国立劇場文芸研究会

通し狂言「霊験亀山鉾(れいげんかめやまほこ)―亀山の仇討―」

国立劇場大劇場

 

役者さんの好みは人それぞれ、十人十色ですが、私にとって現在の歌舞伎界では片岡秀太郎が唯一の役者となっている。今はほとんど失われた歌舞伎の匂いのようなものが片岡秀太郎の躰には依然まとわりついていて、そこに惹かれるものがある。

 

顔見世興行だと出番が少なく、「片岡秀太郎」を充分味わうことができない。今回の「霊験亀山鉾」は通し狂言なので、出番もいくつかあるだろうと期待して出かけたのだが、四幕九場のうち片岡秀太郎が出演したのは三幕目の「播州明石機屋の場」だけで、残念だった。

肉体的なこともあって、沢山の場面に出ることができないのかもしれない。とは思うものの、観客(私)の欲望は尽きない。

 

「霊験亀山鉾」は、ほとんど片岡仁左衛門の舞台だった(と私には感じられた)。

主役が目立ち、演技も秀でているのだから、それでいいようなものですが、やはり違うような気がする。

丁々発止の演技の応酬が見られないのだ。

役者同士の緊迫した、技のやりとりが芝居を盛り上げていくと思うのだが、それがないので、あっさりした歌舞伎になっているように感じた。

もっと濃厚な鶴屋南北が見たかった。

 

今回の国立劇場では、お客さんの話し声に悩まされた。

横と前にひとグループ、後ろにも女性のグループがいて、上演中にもかかわらず話をするのだった。

芝居の大事な場面、観客も息を詰めて見入るべきところで、しゃべる。役者さんの「間」なども、意に介せず、ズタズタにしてしまう。せめて、口を閉めていてくれれば、ほかの人の鑑賞の邪魔にはならないのに、どうして言葉を発するのだろう。

笑ったり、思わず驚きの声をもらすのは自然なことだと思うけれども、いちいち隣り同士で話し、確認し合うことが周囲に迷惑を及ぼすことに、早く気づいてほしいと思った。

 

映画館で、上映前にいろいろ具体的な注意事項が映写されるが、あれと同じようなことを劇場でもしなければならない? いつかそんな日が来るのだろうか。

目に見えないものを見せる

  • 2017.10.07 Saturday
  • 15:41

「劇団は今日もこむし・こむさ」その206

 

演劇評論家の渡辺保氏は、その著書『戦後歌舞伎の精神史』(講談社)の中で、非常にはっきりとものを言っている。

2012年に亡くなった18代目中村勘三郎と、その3年後に没した10代目坂東三津五郎の違いについて叙述している部分に、その毅然とした姿勢が現れていて、読む者の背筋もしゃんとせざるを得ない。

 

渡辺氏は、中村勘三郎は「本来目だけでは見えないはずの芸のなかで、目に見えないものを否定した」と書く。

『精神は見えないものだからないのも同じ。見えるものだけを信じる。物質主義、視覚本位。それならばだれにでもわかる。わかりはするが歌舞伎の芸の持つ本当の世界は死滅するしかない。』

『勘三郎を急き立てたのは、現代の一般社会の消費性向であった。それは勘三郎が人一倍社会の動向に鋭敏であったが故の悲劇でもあった。』

 

その「目に見えるものしか認めないという勘三郎の視点とは対照的」なのが、「三津五郎の身体性」であったと渡辺氏は書く。

『西欧文化の身体観の基本はモノとしての物質的な肉体にある。しかし日本の身体観は幻想の中のイメージとして存在する。モノとしての身体から発する動きが空間に描き出すイメージこそが日本の身体なのである。』

『日本の古典劇の底流には、この独自な身体観があって、それが歌舞伎にも歌舞伎舞踊にも流れている。三津五郎もそれにふれた。だからこそたとえば「奴道成寺」で瞬時にして三人の男女の身体に成りきることが出来る。』

 

そして、その身体性は「目だけで見ることは出来ない」のであって、「一瞬の動きや言葉によって観客に感じられるのである」と言う。

『三津五郎の身体性もまた目だけでは確認できない。そのせりふ廻し、その形によって空間にあらわれるものであって、見えないものを見せる瞬間がそこにあるからである。』

『三津五郎の、あの小柄な体が歌舞伎座の広い舞台一杯の大きさになるのも、三津五郎の身体がモノとしての身体をはなれてイメージとして空間に広がるのも、そのためにほかならない。』

 

そもそも芸、歌舞伎の型とは何なのか、渡辺氏はつぎのように述べている。

『芸とは、本来目に見えないものである悲しみや歎き、あるいは心の内や恋の想いをある造形を通して、空間に表出するための方法である。そのさまあたかも手品師が奇術を行うのに似て、本来目に見えないものを形にし、その形を生きることによって目に見えないものを空間に見せるものである。

 歌舞伎とはそういう演劇であり、型とは、こういう一連の体系の中核に位置するものである。』

 

そして氏は警鐘を鳴らす。

『目に見えるものだけが全て。そうなった時に歌舞伎はその造形力を失い、ただのショウかただの時代劇になる。』

 

目に見えないものを空間に見せる……、それは歌舞伎に限らない演劇の醍醐味であるように思う。だから、渡辺保氏の言わんとすることは、歌舞伎界の人間に限らず、身に染みてくるように感じる。

氏の直言は、これに終わらない。それをまたご紹介したいと思っています。

「きょうの人」沼田真佑

  • 2017.10.07 Saturday
  • 12:16

「小説についての小説」その111

 

2017年7月19日、第157回芥川賞は沼田真佑の「影裏」と発表された。

翌7月20日には各新聞社が一斉に報道したのだと思われるが、産経新聞は「きょうの人」というコラムに、沼田真佑氏を登場させていた。

 

海老沢類という記者の署名記事、短いものだが参考になる内容が詰まっていた。

例えば、「影裏」には東日本大震災が出てくるのだが、そのことについて……

 

『大学卒業後、福岡で塾講師として働くが「会社員生活、面白くないな」との思いが抑えられない。震災の1年後、盛岡にある両親の家に転がり込んだ。津波の直接的な被害はない内陸部だったが、避難してきた親族を支えるために極度に生活が困窮してしまった人もいた。アルバイトをしながら、周囲の人々の愚痴を耳にするたび震災の大きな爪痕を感じた。

「岩手にいて、震災に触れないのは軽薄な感じがした。みそぎみたいなもので書きました」』

 

何故作者はあの大震災を作品の中に組み入れたのか。どのような内的な必然性があったのか。その点を理解する上で、この記述は参考になった。

「みそぎ」という言葉が印象的だ。

 

『文学との出合いは10歳のとき。父親が持っていたビートルズのアルバムの歌詞カードを読み、「格好いいなと」。音楽の歌詞に導かれるように、仏の詩人、ボードレールやランボーらの作品を乱読。創作意欲を刺激され、20代からコツコツ小説を書いた。一語一語をないがしろにしない詩に触れた経験は、小説の繊細な描写にも生かされている。』

 

この記述の部分からは2つのことを知ることができた。

1つは沼田真佑氏の文章について。芥川賞をとるほどの小説だから、文章が上手いのは当然かもしれないが、沼田真佑氏はことにそう感じる。「新人」の文章に思えない。

ボードレールやランボーなどを読んだと知り、そうか「詩」に、沼田真佑の文章の秘密(?)があるのかと納得するものがあった。

 

もう1つは、「影裏」が沼田真佑氏の第1作目で、それが文學界新人賞をとり、さらに芥川賞を、と思い込んでいたが、それは間違いだということが分かったことだ。

どこからそんな思い違いをしたものだろうか。

沼田真佑氏は「20代からコツコツ小説を書いた。」と記事にある。長い執筆の積み重ねがあったのだ。文章の巧みさも、その蓄積があってのことなのだろう。

 

 

葉桜の下を…

  • 2017.10.06 Friday
  • 12:02

葉桜の下を行く

喪服の群れ

十人

二十人……

数えてゆき

気が付いた

 

すべて

若者

リクルート・スーツ

 

新入社員は

いつも

となりと同じだなんて

 

若葉には若葉色

若者には

若者色があっていい

 

(2007年5月3日)

「気がつけば、こんな詩が」205

「怒りをこめてふり返れ」は1956年のオリジナル

  • 2017.10.05 Thursday
  • 15:30

「お芝居つまみ食い」その205

 

7月に新国立劇場で上演された「怒りをこめてふり返れ」のパンフレットに、谷岡健彦という方が寄稿されていて、「力強くて、どっか素朴で、しかも英国的」という文章の中で、こんなことを書いていた。

 

“『怒りをこめてふり返れ』の舞台は、地方都市の屋根裏部屋である。お世辞にも良好な住環境とは言いがたく、生活に余裕のない労働者階級向けの住まいであることは明らかだ。”

 

屋根裏部屋。お世辞にも良好な住環境とは言いがたい。生活に余裕のない労働者階級向けの住まい。……まさに、そういうイメージを私も抱きながら開演を待っていたら、照明のあたった舞台には、イメージと違う部屋があった、ということを、前々回このブログに書いていたので、「お!」と思った。

 

けれど台本を読んでみると、美術の二村周作氏は案外台本に忠実に舞台を作っていることが分かり。ごちゃごちゃとせまっ苦しい屋根裏部屋をイメージしていた私の方が先入観にとらわれていたのだということが分かった。

谷岡健彦氏は、新国立劇場の舞台をご覧になって、どのように感じられたのだろうか? 知りたいと思った。

 

有料のパンフレットでも、情報量の多いものもあれば、あっさりした内容のものもある。新国立劇場のパンフレットは時間をかけ手をかけて編集されているのだろうと想像され、読みごたえがある。

パンフレットの中の鐘下辰男氏のエッセイ、「“演劇人”としての「テッチャン」」に強く動かされるものがあって、「怒りをこめてふり返れ」の感想を「お芝居つまみ食い」に書く前に、鐘下氏のエッセイを読んで揺り動かされた思いを「劇団は今日もこむし・こむさ」の方に先に書いてしまったほどだ。

 

パンフレットには演出の千葉哲也氏と翻訳の水谷力也氏の対談も載っていて、水谷氏が、

“粗筋だけ見れば、ウェルメイドで単なるメロドラマと言われる作品ですが”

と言っているのを読み、ヒントをもらった気がした。

実は私は今回の「怒りをこめてふり返れ」を見て、「ああ、これは一つの“ロミオとジュリエット”なんだ」と感じていたからだった。

第2幕に入ってヘレナ・チャールズが登場したあたりから俄然芝居が動き出したように感じた。ジミー・ポーターとアリソン・ポーター夫妻の間に割って入っていくヘレナ。なるほど、たしかに「メロドラマ」のようだけれど、話が面白くなっていったのは事実だ。

そして、最後にロミオとジュリエットのように死にはしないけれども、「階級」の異なる男と女の愛の物語として終わっていった……、そんな風に今回の「怒りをこめてふり返れ」を私は見た。そのように見ると、まさにこの作品は「ウェルメイド」なのだった。

けれども、水谷力也氏によれば「ウェルメイドで単なるメロドラマではない」ということらしい……。

 

その水谷力也氏が、「悲劇喜劇」2017年7月号に「今こそ、怒りをこめてふり返れ(自由に言葉を語れるうちに)!」と題する文章を書いている。

水谷氏は文章の最後をつぎのように結んでいる。

 

「怒りをこめてふり返れ」の主人公である“ジミーは言う、「不誠実もここまで来れば完璧だ! 食べ物を必要としている人が飢え、愛する価値もないような奴らが愛され、死ぬべきじゃない人たちが死んでく!」次々と日本の現実が脳裏をよぎる。食事さえままならぬ子供たちの貧困、空疎な愛国の強要、沖縄や福島の切り捨て、反知性を絵に描いたような嘘ばかりの答弁にもならない答弁の連続(言葉の虐待だ!)、記憶力を捨てた人々による事実の改竄、歴史を無視する者たちによる改憲の動き、憲法から「個人」を抹殺し、単なる「人」に置き換えようとする発想、そして無関心……不誠実もここまで来れば完璧だ! ジミーの怒り、二〇一七年でもビシビシ伝わってきて、もう泣きそうなんですけど……。”

 

水谷氏は、ジミー・ポーターが20世紀半ばに発した「不誠実」に対する怒りの言葉から、上のような2017年の「日本の現実」が「脳裏をよぎる」と書いている。

だが私には、今回の上演からは、よく出来た愛の物語と理解するのが精いっぱいで、「日本の現実」について思いを拡げ、「不誠実」な問題を考えるなどという発想は全く浮かばなかった。

水谷氏の文章の題は「今こそ、怒りをこめてふり返れ(自由に言葉を語れるうちに)!」だが、今回の舞台を見て、ジミー・ポーターの「怒り」に共感を覚えて、自分も怒らなければと考えた人がいただろうか。

 

水谷氏がたくさん挙げた、現代日本の「不誠実」。「子供たちの貧困」や「愛国の強要」や「沖縄や福島の切り捨て」などの一つ一つが、本当に、演劇を作る人間として、観客に訴えたい問題であると考えるのなら、2017年の日本で、新しい芝居を創り出したらどうだろうか。

 

「怒りをこめてふり返れ」のパンフレットを読んでいて、もう一つ、興味深い記事に出くわした。署名がないので、どなたが書いたのか分からないが、「日本にも波及した「怒れる世代」――『シンポジウム発言から』」という記事である。

 

「怒りをこめてふり返れ」の初演をきっかけに、イギリスだけでなく「怒れる若者たち」が世界の一大ムーブメントとなり、日本にも波及したと、記事にある。その潮流の中で、日本の20代・30代の文学者・音楽家・映画監督・テレビディレクターなどが1959年にシンポジウムを開き、それが『シンポジウム発言』という本になっているのだそうだ。

何人かの発言が紹介されているのだが、中でも私が注目したのは、浅利慶太(当時27歳)の、つぎのような発言である。

 

“われわれが待つこと久しい日本人のわれわれの世代の作家の手になる創作戯曲、そしてそこから生まれる劇的感動は、そうした行為の表現がわれわれの劇場に登場し、現代に生きる共通世代の人たちの共感と内的参加を得る時、はじめて誕生すると言えるだろう。”

 

浅利慶太のこの発言は「創作劇待望論」だった。

日本人による、若い世代の創作戯曲が待たれる。「怒れる若者たち」のムーブメントの中で、浅利慶太はそう語ったのだそうだ。

 

「創作劇」という言葉はあまり聞かれなくなったが、今で言うところの「オリジナル作品」だ。

浅利慶太は1959年に発言したのだが、61年後の現在もまた、「オリジナル作品」の必要性は変わらないと思う。

演劇界を見ると、何故この既成の作品を上演するのだろうか、疑問を感じることがけっこうある。評価の定まった既成の作品の方が興行的に安全だからなのだろうか。

演劇人の、やむにやまれぬ熱い思いをぶつけたオリジナル作品にもっと触れたい。

 

渡辺保「戦後歌舞伎の精神史」に学ぶ

  • 2017.09.29 Friday
  • 18:04

「劇団は今日もこむし・こむさ」その205

 

2017年3月に講談社から発行された、演劇評論家・渡辺保氏の著書『戦後歌舞伎の精神史』を読んで、重要なことを多く学んだ気がした。

 

例えばこんな記述。

『歌舞伎と新劇(現代演劇)との間には歴史的な断絶がある。たとえば滝沢修と市川海老蔵(のちの十一代目団十郎)は別の人種である。滝沢修が「勧進帳」をやるはずもないし、海老蔵が「セールスマンの死」をやることもない。ところがロンドンでは、「ハムレット」をやったローレンス・オリヴィエがすぐ次の公演でテレンス・ラティガンの現代劇もやる。古典劇と現代劇がつながっているからである。しかし歌舞伎と新劇(現代演劇)は、明治維新の近代西欧文明の流入以後、歴史的には断絶している。』

 

確かにその通りで、新劇・現代演劇は歌舞伎が変化・発展したものではなく、歌舞伎は歌舞伎として残り、新劇・現代演劇は明治時代以降、新しく誕生したものだ。

同じく「演劇」ではあるけれど、全く別の芸術として存在している。

 

ただ、この点については昔から多くの演劇人が問題意識を抱いて、さまざまな試みをしてきている。

1966年の6月、日生劇場で上演された「悪魔と神」もその1つだった。

ジャン=ポール・サルトル作、浅利慶太演出のこの芝居には、渡辺美佐子や日下武史ら新劇の役者と共に、歌舞伎の二代目尾上松緑が主役として出演していた。

 

17歳のときに私はこの芝居を観たのだが、尾上松緑の演技は歌舞伎風でもなんでもなく、周囲の俳優さんたちの演技との断絶は少しも感じられなかったことを覚えている。

 

演出の浅井慶太氏は「悪魔と神」のパンフレットでこんなことを書いている。

『私たちはサルトルの大作を舞台にかけるという本来の目的とともに、技術上のある目的をもって稽古を進めた。

 それは歌舞伎の俳優が現代劇を演じる場合、ことに翻訳劇を演じる場合、演技技法の混合が避けられなかった。つまり、平たく云ってしまうと、歌舞伎の芸の味が出てしまうということである。(中略)不遜なようだがこの壁を少しでもくずそうというのが私たちの目的だった。』

 

浅利慶太氏が言うところの「壁」は、少なくとも「悪魔と神」においては崩されていた。

 

また「悪魔と神」上演の2年前、1964年の11月には俳優座が鶴屋南北の「東海道四谷怪談」を上演した。

渡辺保氏はこの上演について、こう書いている。

『これは歌舞伎の戯曲をほぼ原作に忠実に、歌舞伎の様式も歌舞伎役者も使わずに現代劇として上演した最初の舞台である。』

 

俳優座の「東海道四谷怪談」については、1968年の8月に国立劇場で再演したのを観た。民谷伊右衛門を演じた仲代達矢の水もしたたるような「色悪」ぶりが強烈な印象として残っているし、按摩・宅悦を演じた三島雅夫の上手い演技に圧倒された。

 

俳優座の「東海道四谷怪談」上演の意味について、渡辺保氏はさらに次のように述べている。

『築地小劇場でも近松門左衛門の「国性爺合戦」や「博多小女郎浪枕」を上演している。しかしこれらは新劇俳優が演じやすいように小山内薫が再構成したものであっていわば現代語訳であった。

 俳優座の「四谷怪談」はこれらと違って歌舞伎戯曲をそのまま現代劇の様式で上演したところに画期的な意味があった。その結果南北の戯曲がギリシャ悲劇やシェイクスピアと同じく現代演劇のレパートリーになったのである。歌舞伎はもはや歌舞伎役者の独占ではなくなった。そこに大きな歴史的な意味がある。』

 

これらのほかにも、歌舞伎と新劇・現代演劇の断絶という問題に対して、演劇人たちのさまざまな取り組みがあって、現在に至っているということなのだろう。

この問題はこれからも追究していかなければならないことに違いない。

 

けれど、50年も前に浅利慶太氏がくずすべき「壁」と感じていた、1つの芝居の中での、歌舞伎の役者と現代演劇の俳優の演技技法の混合は、残念ながら最近の上演作品の中でも起こっている。(一例を挙げれば2013年9月、彩の国さいたま芸術劇場で上演された蜷川幸雄演出の「ヴェニスの商人」)

 

歌舞伎と新劇・現代演劇の断絶の問題から、話が少し変わるが、日生劇場の「悪魔と神」、俳優座の「東海道四谷怪談」も1960年代に上演されている。それは小劇場運動が巻き起こった時代でもあった。

渡辺保氏は、1960年代というのは「近代から現代への大きな転換点」であったとし、この時代の新劇についてこんな風に書いている。

 

『そういう変化のなかで近代的な、いわゆる新劇はその存在を問われることになった。プロセニアム――額縁舞台のなかでひたすら現実を写す近代的なリアリズム演劇。現実の再現を目的として、演劇のもつ虚構性をひたすら覆い隠してきた近代演劇は急速にその魅力を失い、その構造を疑問視されることになった。』

 

私どもが10代20代の頃の新劇の華やかさと比べて、現在はずいぶん地味に見える。栄枯盛衰と言うが、世の中には大きな潮流というものがあるのだと、目に見える形で教えてくれるのが「新劇」という言葉も含めた、その存在の変化だ。

 

私自身も青春時代「新劇」の世界に入りたいと思っていたが、働いて生活することを優先せざるを得なかった。

ようやくお芝居作りが出来るようになったのは、40数年後、定年を迎えてからのことだった。

さてそこで、「新劇」のようなお芝居を作るのか? ということになるが、どうもそれは違う気がする。

渡辺氏の言う「演劇のもつ虚構性をひたすら覆い隠してきた近代演劇」には戻りたくない。

50年前と比べて一歩でも前に進むことができればと思う。(かげろうのような劇団が何を言うかという話ですが)

 

 

戯曲「神風」を読んで思う

  • 2017.09.28 Thursday
  • 20:04

「小説についての小説」その110

 

「小説についての小説」というカテゴリーにもかかわらず、ときたま戯曲についても書いています。今回も戯曲についてです。

 

田口萌氏の「神風〜KAMIKAZE〜」(「テアトロ」2017年10月号)を読んだ。

 

戯曲の冒頭に、

『この作品は鹿児島県川辺郡知覧町で「富屋食堂」を営み、多くの特攻隊員の面倒を見ていた実在の人物で、“特攻の母”と呼ばれた「鳥濱トメ」さんをモデルに描かれています。』

と書かれている。

 

特攻隊員たちについて、また、その特攻隊員たちと鳥濱トメさんとの人間的交流については、そこに重いものがあると私も感じている。

戯曲「神風〜KAMIKAZE〜」を読んでも、決してそこに軽さを感じはしなかった。真摯さを感じることができた。

 

主人公は吉田誠という22歳の特攻隊員。智恵子という婚約者がいるのだが、『戦争を早く終わらせるには、相手の攻撃を一刻も早く食い止めなければ。』『自分の手で、この国を守りたいんだ。』『君を護る! 妹を護る! 親父とお袋を護る! この国を護るよ!』と智恵子に言って、特攻隊に志願してきた。

 

意志のゆるがない吉田誠に対して、大石という20歳の隊員の心は揺れている。

『裏切り者と言われようが、非国民だと罵られようがかまわない。俺はまだ生きたいんだ。妹と、親父とお袋と、ずっとずっと一緒に生きていきたい。特攻になんか志願するんじゃなかった。』

と後悔して泣く。

 

その一方で宮崎という22歳の隊員もいて、

『いいか、俺達第五十一振武隊からは一人の脱落者、非国民も出さない。日本国の為、隼(※一式戦闘機 はやぶさ)は喜んで敵艦に突撃したと、家族に報告がされるのが本懐なんだ。』

と、大石のような隊員に対して厳しい態度をとる。

 

特攻隊員と航空整備兵との間のきしみや、トキ(戯曲ではトメではなくトキとされている)の娘と特攻隊員との恋愛も交えながらストーリーは進んでいき、やがて出撃の日がやってきて……。

吉田誠隊員は自分の手で婚約者に手紙を書くのが辛くて、富屋食堂のトキに、代わりに書いてくれと依頼する。

『母さん、お願いします。』

母さんというのはトキのことだ。

『自分は立派に征った、飛び立った、約束は必ず果たしたのだと、伝えてください。それと、魂の姿を変えて必ずまた智恵子に会いに行くからと。』

 

芝居のラストは、トキが代筆した吉田誠少尉の手紙を、送り手のトキと受け取った智恵子が朗読する場面である。

 

こうして戯曲のストーリーを追っていくだけで、またセリフを書き写していくだけで、胸に迫ってくるものがある。きっと舞台を見た人も、なんらかの感銘を受けるのではないかと思う。しかし……と、私は思ってしまうのである。

 

ここで終わってしまっていいのだろうかという疑問が残るのである。

もう一歩でも、二歩でも、前に進めないものだろうかと考えるのである。

 

私自身は特攻隊や特攻隊員について演劇化できていない。それでいてこんなことを言ってはいけないのかもしれない。

ただ、もし私が特攻隊や特攻隊員についての作品を書くとすれば、現代日本人の在り方や世界の状況といった難しい問題に少しでもくらいついていかなければ、一歩でも前に進んだ芝居は出来ないだろうと感じています。

 

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