「罪と罰」2幕で出てしまったワケ

  • 2019.02.16 Saturday
  • 16:44

「お芝居つまみ食い」その259

 

2019年1月9日〜2月1日

シアターコクーン・オンレパートリー2019

DISCOVER WORLD THEATRE vol.5

原作 フョードル・ドストエフスキー

上演台本・演出 フィリップ・ブリーン、翻訳 木内宏昌

『罪と罰』

Bunkamuraシアターコクーン

 

劇団の公演が1月19日にあったので、12月下旬から1月中旬にかけて、お芝居を見にいくことが出来なかった。

公演が終わって、今年初めて見に出かけたのが『罪と罰』だった。期待が膨らんでいた。

 

演劇化された『罪と罰』といえば、もう古い話になるが、1965年11月に現代演劇協会「雲」の上演を読売ホールで見た。

脚色 福田恒存、演出 福田恒存・関堂一

ラスコーリニコフは高橋昌也が演じたが、その演技は記憶に残っていない。かすかに覚えているような気がするのは、ポルフィ―リイを演じた芥川比呂志と、酒場の主人を演じた三谷昇くらいだ。

 

「雲」の『罪と罰』で印象に残っているのは、装置だった。誰が担当したのか、名前を確認しようとパンフレットを引っ張り出したものの、「大道具 三人会」とだけしか書かれていない。ただし、幸いなことに、装置図が2枚掲載されていた。

 

舞台の上手と下手に階段。正面は大きな壁面。その壁面を、部分的に変化させることによって、さまざまな場面を現出させる、そういう装置だ。16歳だった私は、その装置に魅せられた気がする。

壁面の上部、思いがけないところがぽっかりと開き、そこで芥川比呂志が一人、セリフを言う場面があったと記憶している。

 

あれから54年が経ち……、今度はシアターコクーンの『罪と罰』。

劇場に入ると、舞台全面に、棒状の照明が何列か、手前から奥に向かって整然と並び、ぼうっと白く光っている。それが何を意味しているのかは分からないが、綺麗だと思った。

 

芝居が始まると、その棒状の照明群全体が動き始め、舞台の上部に移動していった。

シアターコクーンの『罪と罰』への思いは、そこで途切れ、そのあとはずっと違和感を覚えながら時を過ごすことになった。

 

パンフレットで、プリへーリヤなどを演じた、立石涼子がこう言っている。

「舞台冒頭から、出演者全員がアンサンブルとして登場します。そのまま転換も。主役の三浦春馬くんだけじゃなく、ほぼ全員出ずっぱりです。」

 

カテリーナを演じた麻実れいも、同じくこう話している。

「ひとたび舞台に出たら、全員が出っ放し。大変だけれど、これまでにない面白さがあります。皆でガヤガヤと動いている中にピンスポットが当たると、そこでドラマが展開していく。」

 

これが、フィリップ・ブリーンの、今回の『罪と罰』の演出の要だった。

しかし、私の感覚・躰はその方法に副っていくことが出来なかった。

立石涼子が言う「アンサンブル」が上手く機能して、ストーリーの核の部分を盛り立て、際立たせることが出来るのなら、その演出は成功だと思う。だが、沢山の人物が同時に舞台に存在し、演技を途絶えさせずにいることによって、焦点がぼけ、あまりにも雑然とした印象を与えることになっていたように思う。

 

「集中」して見たいのに、見させてくれない。

たとえ俳優がたった一人しか居なくても、大劇場の舞台のだだっ広い空間を、「だだっ広い」と感じさせないのが役者の力というもので、沢山の役者を存在させたからといって、その空間が埋まるものでもない、魅力的な空間が生まれるものでもない、と私は思う。

 

演出家の意図を受けて造られた装置も、私は理解できなかった。

美術・衣裳を担当したマックス・ジョーンズは、パンフレットにこう書いている。

「作品の底流にはまず神への畏敬、信仰心があります。その信仰を失った男が物語の軸となるため、舞台全体のイメージは破壊された教会です。階段状の舞台は、19世紀ロシアの階級社会を具現化しています。最下層には貧困に喘ぐラスコリニコフやマルメラードフ・カテリーナ一家たちがいて、支配層や富める者たちは上段に、神はさらにその上にいる。ラスコリニコフは内面の葛藤に従って階段を上り下りするのです。」

 

あれは「破壊された教会」のイメージだったのか。

あの階段は、「19世紀ロシアの階級社会」を表わしていたのか。

……パンフレットを読んで、初めて装置の主旨が分かったが、実際に芝居を見ている中で、そのことに気づくのは難しかった。

汚いもの、醜いものはキレイではない。汚い醜いものが、時に、美しく見える場合がある。ことに演劇では、そんな「出来事」が起こり得る。だが、今回の『罪と罰』の舞台は、美しくないものが、乱雑に置かれている空間にしか(私には)見えなかった。

 

第1・2幕、1時間40分の上演のあと、休憩に入った。

まだ第3幕が残っていたが、休憩があったおかげで、劇場を出てくることが出来た。

劇場を後にした理由は、演出と美術に感じた違和感だったが、もう一つ、ソフィア(ソーニャ)の造形について、「違うのではないか?」と感じたこともあった。

 

『罪と罰』のソーニャというと、どうしても私の中に、確定したイメージが在り、そのイメージにそぐわなかったばっかりに、今回の『罪と罰』でソーニャを演じた女優さんを拒否してしまったのかもしれない。

私の中にソーニャのイメージを固定化させたのは、1971年に見たソ連の映画『罪と罰』(監督 レフ・クリジャーノフ)のタチワナ・ベドーワだ。

タチワナ・ベドーワはクリジャーノフ監督に見いだされ、この映画でデビューした。まだ17歳にもならない新人で、世の中の汚れを身に負いつつ、神聖さをも持っているソーニャという女性のイメージに叶っていた。

 

自分のイメージと違うと言って否定するのは狭量というものかもしれない。

ただ、第2幕の終わりにソーニャが長いセリフを言う場面があった。ここで、ソーニャを演じた女優さんに、声の訓練が出来ていないことが分かってしまった。

それまでマイクが使われていることに気がつかなかったのだが、彼女のセリフがマイクで拾われ、拡大されていることが明確になってしまった。

映像の世界では細い、小さな「声」でも通用するのかもしれない。それはきっと、歌の世界でも同じなのだろう。特にアイドル歌手の場合は。

けれど、演劇の世界では、たとえマイクがあったとしても、最低限度の「声」が必要になる。

 

ドストエフスキーの『罪と罰』! 

厚みのある芝居を思い描いて出掛けてみたら、声も充分に出せない役者さんが主役級で出演していた。

これも、今の演劇界の現実に違いない。

なんだか淋しい思いで、渋谷の雑踏の中を駅に向かって歩いた。

アジアカップでの南野選手のある「動き」

  • 2019.02.14 Thursday
  • 15:25

「劇団は今日もこむし・こむさ」その256

 

「週刊文春」(2019年2月14日号)のページを繰っていたら、「アジアカップで評価を上げた大迫と冨安。下げたのは……」という短い記事に目が留まった。

いったい誰の評価が下がったのだろうと思って読んでみたら、堂安律と南野拓実だという。

サッカー協会の関係者がこう言っているのだそうだ。

 

「堂安は右サイドで得意のドリブル突破が毎試合不発。終始動きの重さが目立った。南野は大迫不在の試合では周囲とのコンビネーションが噛み合わず、技術的なミスも多く見られた。」

 

読んで、「専門家から見ると、そういうことになるんだ」と思いはしたものの、1月28日の夜、準決勝の対イラン戦で、南野選手が見せた、ある瞬間の動きに注目していた私には、解せないものがあった。

 

その、南野選手の「動き」とは、どんな動きだったかというと……

翌日の新聞には、「大迫2得点 イラン撃破」という見出しの記事の中に、こう書かれていた。

 

「スタンドの約9割のイランサポーターが静まりかえった。後半11分、左サイドに出たスルーパスに、南野は倒されながらも立ち上がる。一瞬足を止めた相手守備陣をよそに一人ボールを追い、反転、クロスを上げた先に大迫が待っていた。

 頭で押し込み、今大会無失点だったイランから先制点。」(1月29日付産経新聞)

 

倒されてピッチに腹ばいになったが、すぐに立ち上がり、今にもラインの外に出てしまいそうなボールを必死に追っていく、その「動き」が、私には印象的だったのだ。

サッカー選手としては、当たり前の動きなのかもしれないが、あきらめないで動き続ける、その姿勢に、正直打たれるものがあった。

 

普通の新聞には、スポーツの記事が少ししか載らないので、コンビニに行き、スポーツ新聞を3紙買ってきて読んでみた。

どの新聞も、2点とった大迫勇也選手の活躍ぶりを、最も大きく報道していたが、南野選手についても書かれていた。

 

「日刊スポーツ」は、「冨安が南野が止めた!!」という大きな見出しを掲げ、南野選手については、こんな風に書いていた。

 

「全得点に絡む活躍で勝利に貢献した。後半11分、ボールをキープして倒されるも、すぐに立ち上がりクロスでFW大迫の先制点をアシスト。『こけたときに足が止まったのは分かった』と、相手がノーファウルを審判にアピールしている隙をついた。追加点もペナルティーエリア内で仕掛け、PKを誘発。原口のダメ押し弾も演出し『得点に絡むところは貢献したいと思っていた』と納得の表情を浮かべた。」

 

「スポーツ報知」は、「南野3点演出」という大きな見出しの横に、さらに「倒されても/すぐ起き上がり/大迫ヘッドアシスト!!」という見出しを添えていた。

「日刊スポーツ」が、「相手がノーファウルを審判にアピールしている隙」と書いていた場面について、「スポーツ報知」は、「イランDF4人がシミュレーションのファウルを主張するように主審に詰め寄ったが、笛は鳴らない。ボールも生きていた。」と書いていた。

たしかに、そのようにも見える。しかし、笛が鳴らない以上、選手としてはボールを追い続けるのが使命だろう。

 

「スポーツニッポン」には、「南野執念クロス&PK誘った」という見出しがあった。

 

準決勝での、こんな活躍があっても、週刊誌に、「評価を下げた」選手として書かれてしまう。

今回のアジアカップで、堂安選手は2得点、南野選手は1得点を挙げた。

彼らが、もっと多く点をとっていれば、評価は下がらなかったのだろう。期待が高かった分だけ、評価が厳しくなったのに違いない。これが、結果が重視される、プロの世界というものなのだろう。

 

しかし、「倒されても/すぐ起き上がり」とか、「南野執念クロス」とか、新聞の見出しにも謳われたように、そのボールへの向き合い方から、学ぶべきもの、共感を覚えるものがあったことは事実だ。

スポーツに、人生とか、生き方とかを重ねて見てしまうのは、本筋からずれているのかもしれないが、やっぱり、倒れても、ボールを追い続ける姿勢を持ち続けていきたいものだ、と思ってしまう。

戯曲「宵闇、街に登る」の読み方

  • 2019.02.08 Friday
  • 21:11

「小説についての小説」その155

 

「テアトロ」2019年2月号に掲載された、戯曲『宵闇、街に登る』を読んだ。作 中村ノブアキ。2018年12月から今年の1月にかけて、JACROWによって上演された作品だ。

冒頭の「登場人物」の欄に、田中角栄(51)、佐藤栄作(68)……と、有名な人物たちの名前がずらっと並んでいるので、嫌でも興味を持たされた。

 

時は1970年代。場所は田中角栄の事務所、佐藤栄作の事務所、旧ヒルトンホテル内の中華料理屋、自由民主党、そして「超空間」の5か所を行ったり来たりする。

日米繊維問題、沖縄本土復帰、日本列島改造論等々……と、この時代のトピックスが舞台化されているので、同時代に生きた者としては、懐かしいような感じがしないでもないが、権謀術数がうずまく、政治家たちの世界の話なので、絵空事のようにも感じられる。

 

俳優たちはどのように、実在した政治家や秘書たちなどを演じたのだろうか? 政治家たちの姿や話し方を真似て演じたのだろうか? そういうモノマネ的な面白さも狙った上演なのだろうか?

 

戯曲は、田名角栄の総理大臣就任で終わる。

「幕」になる前に、映像が映し出される。

「映像 翌日、第一次田中内閣が発足

    『宵闇、街に登る』

 そしてこの十三年後

 竹下登が動く

 歴史は繰り返される」

 

『宵闇、街に登る』は、読んでいて退屈することがなかった。しかし、読後、どのようにこの戯曲を受け止めたらいいのか分からなかった。

生々しい政争を繰り返す保守政党への批判がテーマなのだろうか? 

この作品の読み方をどなたかにレクチャーしてもらいたくなった。

小説についてー高橋源一郎の言葉

  • 2019.02.06 Wednesday
  • 15:59

「小説についての小説」その154

 

赤坂真理の『箱の中の天皇』が掲載されていた「文藝」2018年冬号に、高橋源一郎氏と尾崎世界観氏の対談が載っていたので、読んでみた。

 

「世界観」なんて、一度見たら、もう忘れられなくなる名前の人は、ミュージシャンで、『祐介』という単行本を2016年に文藝春秋から出しているそうだ。

2人には共通点があるそうで、高橋源一郎氏はこう言っている。

 

「尾崎さんも僕も、偶然にも同じ三十歳の頃に十年前のことを、デビュー作として書いたわけです。ある一定の期間を経て、自分にとってのスタート地点から書き始めるというのは、昔から作家たちがしていたことでした。島崎藤村も北村透谷も、みんなそうです。」

 

そんな共通点を持つ2人の対談につけられた題は、「偽物の小説家」。偽物の小説家とは? その辺りを読み取って、感想なりを述べたり、内容をご紹介すべきなのかもしれないが、私が特に関心を抱かされたのは、高橋源一郎氏のいくつかの言葉だった。

 

 屬修靴鴇説というものは、何かを答えるものなんだと思います。小説の構造というのは、何かの疑問があって、それに答える、というものになっています。三十歳になってから二十歳の頃を書くというのは、二十歳の頃の疑問に答えているんです。」

 

◆屬弔泙蝓知っていることからしか始められない、要するに、僕たちは本能的に、自分の根拠みたいなものからしかスタートできないと知っている。それがだいたい十八歳とか二十歳とかなんだと思います。」

 

「そう、スタート地点がある。そこでゼロから、自分で自分の歴史をつくるんです。」

 

ぁ峅了譴六蹐剖瓩い任垢茲諭詩は本質的に一行も無駄がない。逆に、小説はほぼ無駄なものばかりなんです。捨てるというものではなくて、とりあえず書いていくものですから。」

 

「小説というものは、何かを答えるもの」「自分の根拠みたいなものからしかスタートできない」「自分で自分の歴史をつくる」「小説はほぼ無駄なものばかり」……これらの言葉が躰に響いてきた。

 

対談を読んだあと、高橋源一郎氏の小説を読もうとするのが自然な流れなのかもしれないが、その前に、尾崎世界観氏が31歳のときに書いたという『祐介』とは、どういう小説なのだろうかと興味が湧いた。

本屋さんに出掛けて『祐介』を探したが、男性作家の小説の棚をいくら探しても見つからなかった。

ようやく、タレントさんの関連図書の棚に在るのを見つけた。

今読んでいる小説を読み終えたら、つぎに読んでみようと思っている。

美しい夜明けで終わらせなかった、映画「夜明け」

  • 2019.02.05 Tuesday
  • 19:49

「お芝居つまみ食い」その258

 

2019年1月18日 全国公開

製作 「夜明け」製作委員会

監督・脚本 広瀬奈々子

『夜明け』

 

劇団の第5回公演が終わり、たまっていた新聞をめくっていたら、映画「夜明け」の紹介記事に目が留まった。

「川べりに倒れていた青年(柳楽優弥)を見つけた哲郎(小林薫)は、自宅に連れ帰って介抱する。」というのが記事の書き出し。(産経新聞、2019年1月18日付)

 

日本テレビのドラマ『ゆとりですがなにか』(2016年)の演技が強く印象に残っている柳楽優弥と、どんな役をやっても唸らせる小林薫の組み合わせ。

これは見ておかなくてはと思って、新宿ピカデリーに出掛けた。

私が見たのは、平日の午後の回だったせいか、お客の入りはあまり良くなかった。

 

夜明け前の橋の上から、映画は始まる。

橋の上から花束を川に投げ捨て、欄干に手をついて、苦しそうにしゃがみ込む青年。何があったのだろう?……勿論、まだ分からない。

夜が明けて、釣りをしにやって来た哲郎が、橋の上から何かを発見して、急いで川べりに降りていく。そこに倒れている青年。おそらく橋から身を投げたのだが、死にきれずに岸に這い上がったところで気を失ったかしたのに違いない。……いったい何があって、死のうとしたのか?

 

青年は哲郎の家に運ばれ、介抱される。

立ち上がって帰ろうとする青年に、哲郎は「まだ熱あるんだろ。別にいいよ。良くなるまでもう少し休んでけば?」と言う。

どうやら青年には帰る所が無いように見える。やがて彼は、哲郎が営んでいる木工所で働くことになる。

 

青年に対して親身になる哲郎の方にも、訳があった。8年前に息子を交通事故で亡くしていたのだ。木工所を継がせたかった息子。

哲郎は、死んだ息子の代わりとして、青年を見るようになり、青年が木工所を継いでくれることをさえ夢想するようになる。

 

青年の方もいっとき、死んだ息子の身代わりになろうとしてか、金髪だった息子と同じように、髪を金髪にしたりする。

しかし、最後に、青年が選んだのは、哲郎の死んだ息子の代替物になることではなかった。

彼は金髪の頭を、黒く染め直す。このシーンの、幾度も幾度も髪を撫でつける動作を撮り続ける映像がまことに美しく、印象深い。

つまり、髪を黒くするという行為・動作は、本来の自分に戻っていくという、重要な儀式だったのだ。

 

青年は、哲郎や木工所の人々のもとから走り去る。走って、走って、海岸に出る。そこで、夜明けを迎える。

美しい海岸の夜明けのシーン。だが、広瀬監督は、そこで終わりにしていない。

すっかり夜が明けて、明るくなった街の中。踏切の遮断機が下りて、青年は立ち止まる。目の前を通り過ぎていく電車。

……実は、映画館で見たときに、この最後の踏切の場面の意味が分からなかった。

 

今、私なりに解釈すると、監督は夜明けの後の、しらじらとした日常的な風景の中に、青年を立たせたかったのではないだろうか。

本来の「現実」の中に青年を立たせ、電車が過ぎ去ったならば、一歩、二歩と歩き始めさせたかったのではないだろうか。

その「現実」の世界こそが、彼が生きる場所なのだと。

生きづらいけれども、そこで生き切らなければならないのだと。

そうすることこそが、本当の「夜明け」なのだと。

 

広瀬奈々子監督は新人で、『夜明け』が第1作目ということだ。しかも、オリジナル脚本。

演劇や小説の創造もいいけれど、映画作りもいいなあと、大それた妄想を抱かせてくれた映画だった。

「箱の中の天皇」−初めての赤坂真理

  • 2019.02.04 Monday
  • 13:48

「小説についての小説」その153

 

「文藝」2018年冬号に掲載された、赤坂真理の小説『箱の中の天皇』。その題名に惹かれ、赤坂真理の小説を初めて読んだ。

何年か前の私であれば、きっと受けつけないスタイルの小説だが、最近は少し小説に対する固定観念がはがれてきていることもあって、最後まで読み切ることができた。

 

とはいっても、『箱の中の天皇』の、小説としての構造をきちんとつかんだ上で読み通せたわけではない。正直、「なにがなんだか分からない」というのが本当のところなのだが、書かれている言葉、文章に、大変興味深い部分があって、その興味に引っ張られて、気がつけば最後まで読んでいた。

 

青来有一の『フェイクコメディ』(「すばる」2018年9月号)には、キッシンジャー元国務長官やトランプ大統領が登場してきて、そういう小説を「メタフィクション」というらしいことを知った。

『箱の中の天皇』も、どうやら、その「メタフィクション」らしくて、今上天皇やマッカーサー総司令官やGHQの民政局(GS)の人々が姿を現わしてくる。

 

2016年8月8日、今上天皇は「象徴としてのお務めについて」と題する「お言葉」をテレビで発した。

あの「お言葉」と同じ言葉が、小説の中の今上天皇の口から語られる。(天皇の「お言葉」は、ゴチックで印刷されている。)

例えば……

「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」

 

この言葉に対して、視点人物である「わたし」が、こんな風に問う。

「あの……、象徴の務めを果たしていく、って、それが、陛下が『全身全霊で』行うことなのですか?」

 

この問いは、私も是非問いたいことなので、いやでも小説にのめり込んでいかざるを得なくなった。

「わたし」は泣きながら、天皇に向かって話す。

 

「陛下は、象徴としての務めを全身全霊で果たす、とおっしゃいました。しかし『象徴』というのは、誰かが書いた言葉です。もっと言えば、第二次世界大戦に負けた日本を占領した、アメリカの占領軍が書いた言葉です。それをなぜ、そんなに大事になさるのですか? それになぜ全身全霊を、かけたりなさるのですか?」

 

「わたし」は、GHQの民政局(GS)の人に訊く。

「あなたがたGSの方々が、天皇に『シンボル』という語を当てたのは、なぜですか?」

GSの人が言う。

「シンボルとは、たとえるなら旗です。明治維新の立役者たちは、天皇を『旗』にたとえましたね」

 

「わたし」は、憲法の第一章第一条の中の「象徴」という言葉を、「旗」という言葉に置き換えて考えてみる。

「“天皇は、日本国の旗のようなものであり、日本国と国民の統合の、旗印である”

 もし、こう書かれていたなら、日本人にもおかしさの本質がわかったと思う。」

「『象徴』という言葉を使うと、何かをわかったような気になる」が、「旗」と置き換えてみると、何かおかしいと感じるのではないかと「わたし」は思うのだ。

 

GSの人はこうも言う。

「たしかに、明治の『革命』を担った人は天皇を、旗にたとえましたよね。しかしそのずっと前からです。天皇は、いつも空白の中心のように在り、実権をもちませんでした。その周りが、権力を持ち、天皇からは権威だけを借りてきました。」

 

小説の終わり近くで、「わたし」は天皇に向かって、言う。

「『シンボル』という言葉をあなたに当てはめたのは、GHQのGSが、天皇というものをよくわかっていたからです。ある意味、日本人よりも、天皇の本質をひとことで言いえたのです。」

 

また、こうも言う。

「あなたははじめて『象徴』とよばれた人。

 そのあなたが、『象徴』の『意味』を創出しようとしてきた。

 呼ばれた当人が、意味を創造しようとしてきた。

 それは並大抵のことではなかったと思います。

 あなたが引き継いだのは、巨大な空(くう)なのではないでしょうか」

 

『箱の中の天皇』を読んで、「これこれ、こういうことが分かった」などと私には言えない。

読後、最も強く思うのは、小説というモノは、こんな風にも書くことが出来るのだということだ。

小説の自由さ、可能性を強く感じるとともに、「天皇」や「象徴」について、これからも私なりに考えつづけていきたいと思った。

 

 

譲位の3ヵ月前に

  • 2019.02.01 Friday
  • 18:07

「劇団は今日もこむし・こむさ」その255

 

今上天皇の譲位が2019年4月30日、改元が5月1日と、すぐそこに迫ってきています。

なにかにつけて「平成最後の○○」「平成最後の××」といった調子で物事が報道されたり、「つぎの元号は何になるか」という話題が取り上げられたりしています。

この譲位について、特に疑義をさしはさむ人も無く、この国は基本的に、今、一つの方向に向かって、なめらかに、穏やかに進んでいるように見えます。

 

しかし私は、そんな世の中に居て、どこか釈然としないものを抱き、このブログでも、幾度か触れさせてもらいました。

 

「象徴としてのお務めについて」のある部分へのこだわり

 

その「釈然としないもの」は、2016年8月8日、今上天皇がテレビで、「象徴としてのお務めについて」と題する「お言葉」を発したときに生まれました。

今上天皇は即位以来、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。」と述べられ、つぎのようにも語りました。

 

「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」

 

この言葉から、すぐに思い浮かんでくるのは、天皇・皇后が被災地を訪れ、膝をついて被災者に話しかける姿であり、かつての戦地を訪問して手を合わせる姿でした。

なるほど、天皇・皇后の考える「象徴としてのお務め」の一つが、あの行動であったのだと、よく分かった気がしました。

ただ、私が「これは?」と思った部分が、「お言葉」の中にありました。それは、こんな部分です。

 

「こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、……」

 

このような具体的な表現は、果たして必要だったのでしょうか? そこまで言わなければ、国民に伝わらないと考えたのでしょうか?

私は、奥ゆかしさに欠ける表現だと思い、美しくないと感じました。

 

「象徴的行為」を積み上げてきた、その必要性

 

以来、今上天皇が、国民に見える形でおこなってきた「象徴としてのお務め」について、また、憲法に記された「象徴」という言葉について、ずっと考えていたところ、「すばる」の2018年1月号に出合いました。

 

この号には、石川健治氏と姜尚中氏の対談「象徴としての天皇と日本国憲法」が掲載されていました。

対談の中で、法学者の石川健治氏は、今上天皇が、「国事行為」とは別に、何故「象徴的行為」を積み上げてきたのか、その必要性について、つぎのように分析していました。

 

昭和から平成に入ったとき、

「天皇の権威が自動的に担保されていた時代は終わりを告げ、頑張らないともう維持できないという状況になってしまった。

 そこで、旧現人神が背負っていたものが一旦は非常に薄くなった段階から始めて、新しい形の天皇像を一から積み上げていくという格好になりました。」と。

 

また、今上天皇が摂政を置くのではなく、あくまでも譲位を望む理由についても、こんな風に述べていました。

 

「もし天皇が、国事行為を行う国家機関としてだけ働く、というのであれば、極端な話、判子を押していればいい。高齢になったら、摂政を置いたり代行を委任したりすれば、仕事を代わってもらえますので、病床に横たわっていても何の滞りもありません。しかし、それでは、象徴性が弱まり、システムとしての象徴天皇制が持ちこたえられない、というジレンマがある。」

 

摂政ではなく、天皇はあくまでも天皇として「象徴的行為」を果たし続ける必要性がある。そうしなければ「象徴天皇制」が維持できない……と、石川健治氏は言うのですが、天皇の権威とか象徴性というものは、そこまでしなければ保てないものなのか? という疑問が湧いてきます。

そもそも、憲法に明記された「象徴」という位置づけとは、何なのか? という問いも同時に浮かび上がってきました。

 

戦後日本を象徴している「象徴」という語

 

憲法には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」と規定されていますが、考えてみると、「象徴」とは、いったい何なのでしょうか?

そのことに関して目を開かせてもらったのは、元宮内庁侍医の永井良樹氏の文章でした。(「正論」2017年10月号、「天皇の元首明記なくして9条改正はなし」)

 

永井良樹氏は、例えば国旗とか校章とか、通常「物」が象徴とされるのであって、「もし人間である場合は『象徴的存在』という風な表現になる。」としています。だから、憲法で、天皇が国の象徴であるとする言葉遣いには「無理」があり、「日本語として熟していないという印象は否めない。」と述べています。

 

さらに永井氏は、内閣総理大臣や最高裁判所の長たる裁判官を任命したり、法律や政令や条約を公布するなど、天皇は事実上、国家元首としての行為をしているにもかかわらず、

「憲法からは天皇は日本国の元首であるという記述が抜けていて、『元首』が『象徴』に置き換えられている。」と、指摘しています。

 

何故、『象徴』ではなく、『元首』としなかったのか?

「その理由は、日本国憲法が成立した当時、日本は占領軍に支配されていて、占領軍司令長官が国家元首の役割を果し、天皇はそれに従属する立場に立たされていたという事情によると考えられる。」とのことです。

 

であるならば、占領軍が去ったあとも、どうして天皇は「象徴」のままだったのでしょうか?

1952年にサンフランシスコ平和条約が発効してから、2019年の今日までの67年間、天皇は「象徴」であり続けてきました。

 

「劇団は今日もこむし・こむさ」その216に、こんな言葉を綴らせてもらいました。

 

「考えてみると、『象徴』という語は、戦後日本を象徴するような語であるように思う。

明確に『元首』と規定するのか、あるいは『元首』とすることに反対なのか、議論をしつくして選択する代わりに、曖昧な『象徴』という語に甘んじていく。

曖昧だからこそ、中庸がとれているかのように思われて、多くの人に受け入れられる。

それでいいのだろうか?」

この思いは今も変わっていません。

 

ところで、「文藝」2018年冬号に、赤坂真理氏の小説『箱の中の天皇』が掲載されました。

小説において、天皇の問題を扱うのは難しいと想像されますが、真っ正面から向き合っていて、新鮮な読書体験をさせてもらいました。

『箱の中の天皇』については、「小説についての小説」の方で、改めて触れさせていただくことにします。

 

いちにち

  • 2019.01.26 Saturday
  • 10:55

一日が早い

ひと月が早い

一年が早い

……このままでは

一生も早い?

せっかくの人生

ゆっくりと過ごしたい

そう思ってゆっくり

行動してみたが

やはり早く過ぎた一日

どうしたものか?

考えると寝つけずに

眠れなかった分だけ

長くなった一日

 

2019年1月18日

「気がつけばこんな詩が」234

果てのないものに向かって

  • 2019.01.25 Friday
  • 19:51

「劇団は今日もこむし・こむさ」その254

 

2019年1月19日(土)、第5回公演を行うことが出来ました。パンフレットにも書かせていただきましたが、第5回公演を行うことは、一つの「目標」でありました。

第一次劇団こむし・こむさは、第4回公演を最後に自然解散の状況になりました。それから40数年後、昔の仲間が再び集まって結成された第二次劇団こむし・こむさ、……今度は第4回で終わらせず、その先まで歩んでいきたい、そう考えてやって参りました。

まずは、この、一つの「目標」を達成できましたのも、私どもの芝居に足を運んでくださる方々のお蔭と思っております。

 

第3回公演までは日暮里のd−倉庫で作品を発表していました。第4回公演から両国のシアターXで上演することが出来ることになり、今回で2作品目ということになります。

前回、『水の中の塔―東京スカイツリー異聞』については、シアターX発行の「批評通信」に、ミムラショウジ氏が批評を書いてくださいました。

その中の一節を、少々長くなりますが、ご紹介させていただきます。

 

<『水の中の塔』は1945年3月の墨田区周辺を襲った東京大空襲の記憶がテーマ。劇団員にとって親や祖父母の世代が体験した記憶である。その記憶を忘れないことが現在の彼らの「表現しなければならないこと」だった。

 プロを自任する劇団はどれだけ「今、表現しなければならないこと」に想いを尽くしているだろうかと思う。確かに、こむし・こむさの俳優の演技やドラマトゥルギーは未熟。けれども、仲間内で互いの芝居を観てあげることが慣例のようになっているプロを自任する演劇業界人に対して、こむし・こむさの活動はしがらみから自由であるがゆえに外の世界に開かれている。「表現したいこと」を「観てもらいたい」人に素直に見せる。演劇に対して本来的な向き合い方ができている。>

 

ミムラ氏の批評は、私ども劇団の、「今、このとき、表現したいこと、表現しなければならないことの演劇化」という共通認識を深く汲み取ってくださったものでした。

しかし、ミムラ氏は、私どもの劇団の弱点をも鋭く指摘していました。それは、「確かに、こむし・こむさの俳優の演技やドラマトゥルギーは未熟。」という言葉でした。

私はこの言葉を、まっすぐ受け止めなければいけないと強く感じ、第5回公演に臨みました。

 

さて、そうして、『降りる人―時代』という作品をシアターXの舞台にかけたわけですが、はたして、私どもの未熟な部分は、どれほどに改善し、前に進むことが出来たでしょうか?

その答えは、『降りる人―時代』をご覧下さった、お一人お一人の中に在るのだと思います。

その意味で、毎回、お客様にお願いしているアンケートに書かれたお言葉の一つ一つが、答えを解く鍵になります。

アンケートは、今回も100人以上の方にご協力いただくことが出来ました。またメールや電話でも、ご感想をお寄せいただきました。

 

実際に教職に就かれている方の、こんな言葉もありました。

――現場は公務等も含めて大変ですが、目の前の子どもたちと繋がり、毎日を共に過ごすために頑張れる自分がいます。

 

「繋がり」といえば、こんな風に書かれている方もおられました。

――現代の情報社会における、人との向き合い方、つながり方について深く考えさせられました。また、普段から、「人と人とがつながる場」をつくっていきたいと考えているだけに、目の前・周りに居る人とのつながり方、今後もしっかり考えていきたいと思いました。

 

「情報社会」について、このようなご意見を寄せてくださった方もいます。

――ITには確かに負の側面も大きいですが、ITがあることで初めてできる「つながり」もあるので、うまく使うことができれば、多様な人間関係を構築できる場合もあります。

 

その一方で、別の感じを抱いている方もいます。

――今の世の中携帯がゆきわたって、どこでも皆携帯を見ていますが、私は何かそんな現状に納得いかないものを感じています。今の子供達は便利な反面、携帯に自分の時間を奪われていると感じてなりません。

 

「20歳の女性」と書いてくださった観客のご意見は、また違います。

――私は、インターネットでつながっていない時代を生きていません。その時代の一人としては、けっして人間関係がうすいなどと思ったことがないです。むしろ、すぐに友達・家族に相談できる環境です。

 

「組織」と「個人」の問題に言及されている方もいました。

――組織の中での個人のあり方という普遍的なテーマで、感情移入しやすかった。自分自身も同じような問題に直面しており、色々と考えさせられた。

――実際の教育委員会とは異なるのかもしれませんが、いつの時代も、すじの通らない事がありますね。私も一社会人として日々闘っています。

 

主人公の女性副校長については。

――皆、理不尽さを抱えながら生きている―という言葉が、とても共感できました。

――自分の信念を貫くために降格をも辞さない副校長に感動した。自分にはできないことだとは思ったが、多少は信念を貫く勇気も必要だと感じた。

 

「降りる」ということについて、こんなお言葉も。

――降りる人…人には降りているように見えても、本人(教頭先生)は降りてはいない…

――現代や社会に向けてメッセージを発するという演劇の役割に、きちんと向き合っておられると思いました。「降りる」ことに対して希望を持たせていただき、静かな元気が出ました。

 

ご感想・ご意見の一部を紹介させていただきました。当たり前なことですが、ご感想は一色ではなく、多岐に亘っておりました。

(あらかじめ、引用させていただくお許しを得ていませんでしたが、ご寛容のほどお願い致します。)

 

公演の4日後、反省会をもちました。

アンケートもその場で1枚1枚読ませていただきました。

皆さまから沢山のご意見・お言葉をいただき、多少前進した部分はあるものの、「確かに、こむし・こむさの俳優の演技やドラマトゥルギーは未熟。」というミムラ氏の指摘は、私どもにとって、まだまだ心して克服していくべき大きな課題であると感じました。

いや、演技もドラマトゥルギーも、果ての無い課題なのかもしれません。

その、果てが無いと思われるものに向かって、第6回公演そして、その先へと歩き続けていきたいと思っております。

 

牛丼屋の店員さんとの会話

  • 2019.01.14 Monday
  • 19:39

「劇団は今日もこむし・こむさ」その253

 

2019年に入り、元旦にブログを書いて以来、本日14日まで、ずっと書けないでいました。というのも19日に、劇団こむし・こむさの第5回公演があり、その準備に追われて、ブログを書く余裕がなかったためです。

準備がすべて完了したということではありませんが、昨夜のちょっとした、出来事とも言えないようなことを記しておきたいなと思いました。

 

昨夜午後10時近く、稽古からの帰り道、空腹を感じて、駅前の牛丼屋さんに寄りました。カウンターが一つだけの狭い牛丼屋さんです。カウンターの奥の方の席が空いていたので、そこに座りました。

食事をしていると、「野村さん」と呼ばれました。

はっとして顔を上げると、店長さんらしい男性が、若い女性の店員に話しかけているところでした。どうやら、その女性の名前が「野村」らしいと分かりました。

 

店長さんらしい男性は、何か、物の置き方が違うと指摘しているようでした。昼間と夜とでは、これこれ、こういう風に変えなければならないと女性の店員に教えているのですが、その教え方、言葉遣いが、ちょっとクールな感じに私には受け止められました。

女性の店員さんは大丈夫かな? めげないかな? と、少し心配になりました。

 

そこで、女性の店員さんがカウンターの向こうに立ったときに、話しかけてみました。

私「私も野村っていうんですよ」

店員さん「そうですか。けっこう野村っていますよね」

私「そうかな?」

店員さん「有名な人もいるじゃないですか」

私「そうか」

私の頭に、野球の野村監督が浮かんできました。浮かんできたのはそれだけで、ほかの「野村さん」は浮かんできませんでした。

店員さんとの会話はそれだけでした。

 

話は変わりますが、芝居の公演が近づいているせいか、けっこう精神がナイーブになっていることに、自分でも気づきます。

劇団を復活させた5年前は、そんなことはなく、高揚感ばかりだったような気がします。

しかし、芝居を数年続けてきた今は、高揚感だけでなく、恐れのようなものも公演前に感じるようになりました。

それだけ、理性的、客観的に、自分たちの芝居を見ることが出来るようになったのかもしれません。観客の皆さんに披露するに足る作品に成っているか、と考えると、ゆっくり眠りにつくこともままならなくなってしまいます。

 

稽古の帰り道、ふと寄った牛丼屋さんで、店員さんに声を掛けたのは、店長さんらしき人に注意をされた彼女を心配して、という風にさきほど書きましたが、実は、人に話しかけることによって、心を少しでもなごませたいという精神的な欲求が、私の方にあったからなのではないかと、思い直した次第です。

 

ハイテンションな自分と、ローテンションな自分。錯綜する、いろいろな自分を抱えながら、5日後に公演当日を迎えることになります。

残りの5日間全力をあげて準備をし、観客の皆さまをお迎えしたいと思っています。

喜びと、恐れを感じつつ……。

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