田島亮の再来

  • 2018.08.17 Friday
  • 23:22

「お芝居つまみ食い」その239

 

2018年7月1日〜7日

serial number 旗揚げ公演

作・演出 詩森ろば

『nersery』

フレミングハウス

 

2013年の4月、新国立劇場・小劇場で、『効率学のススメ』という芝居を見た。

作 アラン・ハリス、翻訳 長島確、演出 ジョン・E・マグラ―、出演者は豊原功補・中嶋しゅう・田島令子などだった。

 

私が『効率学のススメ』の舞台を見たあとで、この公演に、ある事案が発生した。

芝居はナマモノなので、出演者が亡くなったり、病気や怪我で出演できなくなったりといった、不測の事態がときどき起きるが、この『効率学のススメ』では、出演者の中の一人が、開演時間に間に合わないで、舞台に穴を開けてしまったのだった。

この事案の原因となった男優は、その後、演劇や映像の世界から消えてしまった。

 

『効率学のススメ』以前に、私がこの男優の舞台を見たのは、3作品あった。(このほかにも、『令嬢ジュリー』や『中国の不思議な役人』などにも出演しているが、私は見ていない。)

2010年3月、『ヘンリー六世』(演出 蜷川幸雄、彩の国さいたま芸術劇場)

2011年7月、『血の婚礼』(作 清水邦夫、演出 蜷川幸雄、にしすがも創造舎体育館特設劇場)

2011年12月、『みんな我が子』(作 アーサー・ミラー、演出 ダニエル・カトナー、新国立劇場)

『ヘンリー六世』のときは、主要な役は与えられず、いくつかの役を掛け持ちして演じていたが、『血の婚礼』そして『みんな我が子』と、見るたびに、より重要な役を得て、演じるようになっていった。

 

舞台に穴を開ける。その理由が誰にも納得のできることであれば、許されることもあるのかもしれないが、彼の場合は、許されなかった。

許されないのは、仕方がないのかもしれないが、そうして、演技者としての道が閉ざされてしまうのは、残念なことだと私は思った。

残念だが、それが、演劇や芸能の世界の厳しさなのだろうと感じた。

 

だから、serial numberのチラシを、どこかの劇場でもらい、そこに載っている写真を見たとき、驚いた。5年前に演劇の世界から消えたと思っていた役者が、還ってきていたのだ。

名前は「田島亮」、本名で出演していた。

 

『nersery』の公演会場は、清澄白河の元倉庫だったという所だった。

元倉庫のシャッターをくぐって入場すると、そこがもう舞台のフロアーで、その奥に階段状の客席が設けられていた。

あらかじめ、「入場したら終演まで外に出られない」と知らされていた、その理由が、実際に行ってみて分かった。上演中の舞台を突っ切って、シャッターを上げて、出て行かない限り、途中退場はできない構造になっているのだ。

 

私は、1年に何回か、お芝居を最後まで見ていることが出来なくて、途中で退席してしまうことがある。

もし、『nersery』が、そんな、客席に座っているのが耐えられないような芝居だったらどうしようかと思いながら、一番前の、最も上手寄りのパイプ椅子に腰を下ろした。

劇場に閉じ込められてしまった、という強迫観念にとらわれていた。

 

開演時間が来て、はじめに、短い『nersery』の前日譚が演じられた。

男性と女性、2人の出演者が登場した。

女性の役者さんのセリフが棒読みに聞こえて、ひょっとしたらと思って、あとでパンフレットにはさまっていた紙を見て確認したら、役者さんだと思ったその女性は、作・演出の方だった。(棒読みなどと言って申し訳ないが、そう感じてしまったのは事実なので、お許しを。)

 

途中で席を立ちたくなったらどうしようと、心配していた私だが、それは杞憂だった。

『nersery』の、ルディ・オコーナー(25歳)を演じた田島亮の演技は見事だった。

 

はじめ、ルディ・オコーナーは、真正の少年として現われる。

大人の俳優が、少年を演じるとなると、どうしてもわざとらしさがジワジワと滲み出てくるような演じ方になるが、田島亮の場合は、まさに、そこに少年が居るように感じられる、そんな演技なのだった。

演じているのだが、演じていると思わせないのだ。

 

舞台は精神病院の診療室。

患者であるルディ・オコーナーと、精神科医のティム・グレイ、1対1、セリフの応酬による、二人だけの芝居が続いていく。

 

ある瞬間、ルディ・オコーナーの人格が、エリックという別の人格に入れ替わる。

台本のト書きには、こうある。

「ルディの表情が一変している。幼さが消え、魅力的で闊達、やや不良風の風情をまとった若い男がそこにいる。」

その一瞬の変化が、歌舞伎の早変わりを見るように鮮やかだった。

声も、少年の声から、青年の声に変わっている。

 

芝居の終盤、今度はエリックという人格から、ルディという少年の人格に戻る瞬間がおとずれる。

そのときの変化もまた、手品を見ているようで、驚かされる。

なぜ、ルディ・オコーナーが、ふたつの人格を持たなければならなかったのか、その理由が解き明かされて、芝居は終わっていく。

 

田島亮という役者は、この数年間のブランクを経て、明きらかに、大きく変化していた。

おそらく演出家や役者仲間にとって、ちょっとやそっとでは歯が立たないのではないか、そう思わせる役者になっていた。

 

serial numberの、今回の公演については、ほかにも感じることがあった。

それについては、また書かせていただきます。

 

成河の一人芝居「フリー・コミティッド」

  • 2018.08.16 Thursday
  • 16:42

「お芝居つまみ食い」その238

 

2018年6月28日〜7月22日

企画・製作/主催 シーエイティプロデュース

作 ベッキー・モード、翻訳 常田景子、演出 千葉哲也

『フリー・コミティッド』

DDD 青山クロスシアター

 

成河の一人芝居と聞いて、これは観に行かなければと思った。

1月に『黒蜥蜴』(脚本 三島由紀夫、演出 デヴィッド・ルヴォ―、日生劇場)で、成河は雨宮潤一役を演じていたが、役不足だと感じた。演出家・プロデューサーは、どうして黒蜥蜴の宿敵、明智小五郎の役を成河にふらないのかと思った。

『フリー・コミティッド』は一人芝居! であれば、成河の演技力を十二分に味わうことが出来るに違いないと、期待が膨らんだ。

 

……ということで青山に出掛けた。

たしかに成河の演技力は感じた。成河でなければ出来ない芝居なのかもしれない。しかし、何か、違うような気がしてならなかった。

 

そもそも『フリー・コミティッド』とは、どういう芝居なのだろうか?

翻訳の常田景子氏がパンフレットに書いている文章によると、1999年にニューヨークのヴィンヤード・シアターで初演され、好評だったので、チェリー・レーン・シアターで続演された芝居だそうだ。2016年には再演もされている。

この芝居の「売り」は、何かというと、「主人公のサムを演じる俳優が、勤め先のレストランに予約しようとして電話してくる大勢の客たちや、レストランのシェフや従業員たち、そして自分の父親や兄までを演じ分けるというのが売り」なのだそうだ。

 

また、パンフレットには成河へのインタビューが掲載されていて、その中で成河はこんなことを言っている。

「登場する固有名詞はすべて実在する人物や団体ばかり。ニューヨーカーなら誰もが知っている超有名人が登場していて……、とにかく、アメリカのドメスティックな人たちが出てくるんですよね。」

 

オーディションを受け続けながら、レストランの予約係をやっている俳優。

会話の相手は、すべて電話の向こうの人。その電話の向こうの、40人近い人物を、まるでそこに居るように演じ分ける、芝居の面白さ。

しかも、ニューヨーカーなら知っている、実在の人物や団体ばかりだというのだから、面白さは倍増する。

アメリカの観客が、どんな風に喜んだか、想像がつく。

 

しかし、ここは日本だ。ニューヨーカーたちが、ベッキー・モードの芝居を喜んだのと同じように、東京の観客がアメリカ発の翻訳劇を面白がって見るとは限らない。

だから、成河自身、「これは翻訳劇の中でも、日本で上演するのが非常に困難な部類だぞと思って、最初は尻込み」をしていたそうだ。

 

しかし、台本を読み込んでいくうちに、分かってきたと言う。

「表面的な面白さだけでなく、明確に言いたいことがある脚本だということが理解できたんですよね。自分たちの生活をきちんと見つめて、もの申している脚本といいますか。」

 

その、理解できたこととは……。

「僕がこの脚本になにを見つけたかというと、それは『都市の生活』なんです。他人の要求に応え続けることで、ストレスを溜めていく都市生活。そういう状況にいると、人は自分でなにかを選び取ることをしなくなっていきますが、それってたぶん、今の僕らみんなに言えることだと思うんですよ。自分で選んでいるつもりでいても、実はそう思い込まされているだけだったりして。」

 

そこで、成河は、「表面的な面白さ」だけではない芝居を志向したようで、こんなことを語っている。

「この作品をご覧になったあと、お客様が青山を歩いて信号機や車の渋滞の列を見たとき、その見え方や都市との距離感が、ちょっと変わっているはずなんですよね。『あぁ、自分もサムと同じように、都市に生きているんだな』と。僕自身もそういう変化を感じたくて、この作品に取り組んでいる。付け加えるなら、俳優と観客がそれぞれの立場から、演劇を通じて自分を変化させられる空間、それがいい劇場なんだと思います。」

 

上演する芝居の意義・意味を感じたい気持ちはよく分かるが、しかし、ここまでいってしまうと、この『フリー・コミティッド』の場合、そぐわない気がする。

演劇によって、観客が「変化」する、「変化」させられることは、そうそう起こることではないように思う。

 

「シアターガイド」の2018年7月号に、『フリー・コミティッド』の紹介記事が載っていて、そこでも成河がインタビューを受けている。

インタビューの最後は、こうまとめられている。

「普段の生活について、少し立ち止まって考えていただけるようなお芝居にしたいですよね。とはいえ難しいテーマを押しつけるつもりはないですし、8割はバカバカしいコメディー(笑)。お客様が飽きないスピードを出したいと思いますし、楽しんでいただける“芸”を見ていただこうと思います。」

 

こちらのインタビューの言葉の方が、『フリー・コミティッド』の実際に合っているように感じる。

作品の意義・意味を、肥大化してとらえないで、「8割はバカバカしいコメディ」と思って演じてもらえれば、それでよかった気がする。

 

実際、成河が目指した「スピード」も「芸」も実現されていたように思う。

ただ、どうしても、アメリカのドメスティックなものの上に構築されている台本なので、成河の演技力は認めるものの、「バカバカしいコメディ」として十分楽しむことは、(私の場合だが)出来なかった。

 

外国で評判になった芝居を、日本語に翻訳して上演することの意味を、今回『フリー・コミティッド』を見て、改めて考えさせられた。

高橋弘希「送り火」の”都会”と”地方”

  • 2018.08.13 Monday
  • 17:05

「小説についての小説」その143

 

第159回芥川賞は高橋弘希氏の『送り火』に決まった。

『送り火』が「文學界」2018年5月号に発表されたとき、私は読み始めたものの、数ページ読んだところで止めてしまっていた。

 

自分が読み通せずに終わった作品が、高名な文学賞を受賞したと知って、(だらしないことかもしれないが)もう一度読んでみようと思った。

 

主人公の「歩」は中学3年生、父親の転勤に伴って、東京から、津軽地方の山の中の集落に引っ越す。学校は第三中学校、同学年の男子生徒は「歩」を入れて6名しかいない。

委員決めが行われ、「晃」が学級委員長になり、転校生の「歩」が副委員長になった。

 

男子生徒たちをしきっているのは「晃」で、いじめの標的になっているのが「稔」だ。

「稔」は暴力を受け、缶ジュースやスナック菓子も買いに行かされる。

 

「1」〜「4」の章があり、「1」〜「3」の部分で語られてきたあれこれが、「4」の部分で集約され、明確化されるという構成になっている。

 

「4」で、「歩」は森の中の空間に連れていかれる。

そこには第三中学校の先輩の男たちと、第三中学校の3年生の男子たちが居た。

「晃の左瞼は紫色に腫れ上がり、唇の端には血痕が滲んでいた。」

男子生徒のリーダーである「晃」は、先輩の男たちに制裁を受けたのだろうか、すでに傷を負っている。

 

先輩の男は、かつて第三中学校で行われていたという「サーカス」という「遊戯」をする者を選べと、後輩たちに言う。

「サーカス」とは、縄で後手に縛り上げられ、駆けていって、直径60センチのボールに飛び乗る、というもの。

実は、今リーダーとして君臨している「晃」が、2年前、中学1年生のとき、上級生たちにいじめられ、「サーカス」をさせられていたということを、「歩」は知る。

 

しかし、今、常にいじめの標的になり、犠牲になるのは、「稔」だった。

「稔」は手を縛られ、助走し、ボールに飛び乗ろうとして失敗し、転倒する。……繰り返し、繰り返し。その結果、

「稔の左右の眼窩はテニスボール程にも腫れ上がり、もう顔貌が変わっていた。その赤紫色に脹れた瞼から、絶え間なく生血が染み出している。」

……それでも終わらない。さらに、陰惨な状態に陥っていく。

 

だが、ここに至って、ついに「稔」が反撃に出る。

どういう加減でか、「稔」の腕を縛っていた縄が解け、「稔」は持っていた刃物を取り出して、先輩の男の頸筋を切ったのだ。

それを見た「晃」は、「鳥の叫喚を上げ」、その場から逃げ出していく。

「歩」は、その「晃の突然の逃走の意味を理解」する。「晃は稔の復讐に怯え、子供のように泣き喚きながら逃げていった。あの男は学級のリーダーではなく、ただの弱虫の虐められっ子だったのだ。」

 

つぎに「稔」が凶器を手にして向かってきたのは、なんと「歩」だった。

「歩」はその事態の展開が理解できない。「歩」は叫ぶ。

「僕は晃じゃない! 晃ならとっくに森の外へ逃げてるんだよ!」

それに対する「稔」の言葉は意外なものだった。

「わだっきゃ最初っから、おめぇが一番ムガついでだじゃ!」

 

『送り火』はすでに文芸春秋から単行本として出版されている。

その書評を倉本さおりという書評家が新聞に書いているのを読んだ。(産経、2018年8月5日)

 

倉本氏は、主人公である「歩」について、厳しい見方をしている。

「歩は頭の良い子供だ。転勤族ゆえに場の空気を読むことに長け、物事を俯瞰しながら客観的にふるまう。だが俯瞰とはそもそも危うい言葉でもある。すなわち、高いところから見おろす――歩自身は無害で公平な立場を担っているつもりでいるが、その「視線」こそがある種の暴力であったことに読者はクライマックスで気づかされるのだ。」

 

中学3年生で転校していった、津軽の山の中の学校。少人数の学級集団の中に突然入りこむことになった少年に対して、その要求はあまりに高いのではないだろうか?

場の空気を読もうとするのは当然だし、一方に偏らずに、物事を俯瞰しようとするのも仕方のないことだし、客観的にふるまうことも、そこで生活していくためには必要なことだ。

 

これが、東京の中央線沿線に住んでいた少年が、津軽の山の中の中学校に転校していくのではなく、反対に、津軽の山の中で暮らしていた少年が、東京の区立中学校に転校していった場合でも、同じように厳しく言われてしまうのだろうか。

新しい環境の中で、できるだけ「無害で公平な立場」を維持して、知らない生徒集団に馴染み、その中で何とか生活していこうとすることに対して、それは「高いところから見おろす」視線だとされるのだろうか。

 

もし、「歩」の姿勢を批判するのなら、横暴なリーダーとしてふるまう「晃」の行動を抑制できず、「稔」にいじめと犠牲を集中させ続けている、ほかの男子生徒はどうなのだろう?

女子生徒たちはどうなのだろう? 教員たちはどうなのだろう? 親たちはどうなのだろう? 集落の大人たちはどうなのだろう?

知らなかったと言うのだろうか。少なくとも、女子生徒たち・教員たちのうちの誰かは、きっと知っていたはずだ。 

 

倉本氏は続けて、こう書いている。

「都会から来た者が地方へ向ける身勝手な感傷と蔑視。当事者であることを引き受けない態度。読者は歩の視点からつづられてきた美しい情景のすべてを無責任に消費していたことを思い知る。」

 

ここにもまた、先に引用した倉本氏の文章と同じ、ある視点がうかがえる。

「都会」と「地方」を並べ、一方を良しとし、一方に疑問符を付け、記述しているように見受けられる。

「読者は歩の視点からつづられてきた美しい情景のすべてを無責任に消費していた」と倉本氏は書いているが、作者の、津軽の山の中の情景の描写は、単純に「美しい」ものではない。表面的にはそう見えるかもしれないが、作者はもっとリアルな目でとらえているように思う。

 

おそらく、作者も、「都会」と「地方」を対立的にとらえてはいないような気がする。

それは、『送り火』の最終段落からも、分かるように思う。

 

「焔と河の畔には、三体の巨大な藁人形が置かれていた。一つの影が、松明の炎を藁人形の頭部へと掲げる。藁人形の頭が燃え盛り、無数の火の粉が山の淵の闇へと吸われていく。それは習わしに違いないが、しかし灯籠流しではなく、三人のうちの最初の一人の人間を、手始めに焼き殺しているようにしか見えない。」

 

祭りで、藁人形を焼くことを、一人の人間を「焼き殺しているようにしか見えない」、そう表現している作者の「地方」に対する思いには、複雑なものがあるのではないだろうか。

「上」「下」の哀しいこだわりー「ブロウクン・コンソート」

  • 2018.08.12 Sunday
  • 14:45

「お芝居つまみ食い」その237

 

2018年6月26日〜7月1日

パラドックス定数 第40項

パラドックス定数オーソドックス シアター風姿花伝プロミシングカンパニー

作・演出 野木萌葱

『ブロウクン・コンソート』

シアター風姿花伝

 

シアター風姿花伝は小劇場だけれども、割と奥行きがある。

『ブロウクン・コンソート』の装置は、舞台を奥まで使わずに、客席寄りに、町工場の二階の小さな部屋を造っていた。(舞台美術 吉川悦子)

その小さな部屋を舞台に、7人の男たちが織りなす芝居。

 

7人は何グループかに色分けできる。

ひそかに拳銃を作っている、宗谷製作所の兄弟……兄・佳朗、弟・陽彰。

ヤクザ……兄貴分の智北賢三と、弟分の抜海一巳。

刑事……上司の筬島隆雄と、部下の初野柊弥。

自称殺し屋……永山由之

 

兄と弟。

兄貴分と弟分。

上司と部下。

舞台を見ていて、男たちが、そういった関係性について、こだわりを持ちながら生きていることが分かった。そのこだわりが、なんだか哀しく感じられた。

 

上演後、ロビーで台本を販売していたので購入した。

台本を読んでみると、男たちのこだわりの部分がよく理解できた。

 

<宗谷製作所の兄弟について>

兄弟の場合、年齢の差もあって、兄が優位に立つのが通常だが、室谷兄弟の場合は逆転している。

というのも、兄の佳朗は知能の発達が遅れているようで、言葉も普通に話すことができない。施設に入っていたのだが、費用が続かず、弟の陽彰が引き取ってめんどうを見ているという事情がある。

陰の商売である拳銃作りも、弟がしていて、兄は出来上がった拳銃を磨くだけの仕事をしている。

 

ヤクザの抜海一巳は、拳銃を磨くだけの仕事をしている兄の佳朗が、実は拳銃作りの腕を持っていることを知っている。だから、こんな風に、兄の佳朗をけしかけたりする。

「おまえもう磨いているだけじゃあ、つまんないんだろ?ハルさん(=弟の陽彰)と同じことしたかったんだよな?」

そして、言う。

「おまえもさ・・・本気でハルさん蹴落としてみろよ。」

 

<ヤクザの兄貴分と弟分について>

兄貴分の智北賢三は、13年間、娑婆を留守にしていたが、出所して、宗谷製作所にやってきたところから、『ブロウクン・コンソート』は始まる。

智北は、13年の遅れを取り戻して、早く「のし上がりたい」という野望を抱いている。

智北は、同じ組のヤクザ・抜海一巳を、「俺の下」と見做し、「上に立つ器じゃない」と認識している。

 

この2人の関係の秘密を知っているのが、自称殺し屋の永山由之だった。

永山由之は、13年前に、抜海一巳が智北賢三を裏切って、あることを「警察にチクった」ということを知る人物だった。

抜海の裏切りによって、智北は13年間刑務所に入ることになったのだ。

 

一方、智北賢三を裏切った抜海一巳は、どんな風に考えているかというと、こんなことを、ある場面で、宗谷佳朗に吐露する。

「考えたんだよな。組が欲しいとかそういうんじゃねえんだよ。一回ぐらい・・・俺が蹴落としてやってもいいんじゃねえか?それでどうなろうが別に、」

 

智北はのし上がろうとあがいているし、その智北を抜海は蹴落とそうとした。

 

この二人の関係はどうなっていくのか?

芝居の終わり近く。工場内の部屋から、二人が出て行ったあとのト書き。

「遠くで簡潔な二発の銃声。」

この二発の銃声の意味するものは? おそらくは、二人の死?

 

<刑事の上司と部下について>

部下の初野柊弥は、「手柄を立てたい」と考えている。

なぜ手柄を立てたいのかというと、「アレの上に立てるように」。

アレというのは、上司の筬島隆雄のことだ。

「俺、警察の入り方まちがえてさ。国家試験を受けんのサボったら、あんなのの下だよ。この俺が。」

 

しかし、初野柊弥は、自称殺し屋の永山由之に殺されてしまう。

部下の初野の死後、上司の筬島の反応はこんな具合だ。

あるセリフ……「初野が死んだらよ。俺の上に立てねえじゃん。」

こんなセリフも……「あいつもう、手柄立てらんねえじゃん。」

「初野死んでよ。俺一人だよ。」……このセリフには、自分の上に立つことを狙っていた部下の死を前にして、「一人」になってしまった上司の寂しさが滲んでいる。

 

初野の死を、筬島は、「殉職」ということにしようとする。

「良かったな初野。おまえ階級あがんぞ。殉職だもんな。殉職っつったら二つだぞ。二つ上がったらおまえ俺の上だ。やったな。」

初野は「殉職」によって、筬島の「上」に行くことができた。喜んでやるべきか?

しかし、筬島は、続けて、こう言う。

「でもおまえさあ・・・おまえもう何にも見えなくなっちゃったんだよなあ・・・。」

 

こうして刑事の初野が死に、殺し屋の永山も殺され、おそらくヤクザの智北と抜海が撃ち合って死に、7人の登場人物のうち、残ったのは刑事の筬島と、拳銃を作っている兄弟だけになる。

 

舞台の終盤、弟の陽彰が、兄の佳朗に、印象的なセリフを吐く。

「俺より下の奴ってもっといるよな。もっと悲惨な奴って死ぬほどいるよな。俺そういう奴のことばっか考えてるよ。そうしねえと持たねえもん。」

すると、佳朗が訊き返す。「俺か?」

陽彰が黙っているので、佳朗はもう一度言う。「俺のことか・・・」

陽彰は否定する。「違う。/兄ちゃん、違う。」

 

自分より「下」の人間を求める心、あるいは、少しでも「上」の立場に立とうとする気持ちは、この芝居の登場人物に限らず、誰にもあるのではないだろうか。

そうしないと「持たない」、生きていけない弱い存在であるのは、陽彰だけではないような気がする。

 

パラドックス定数第39項の『731』、ウォーキング・スタッフのプロデュースによる『D51−651』……最近観た野木萌葱作品は、いずれも私には、どうとらえたらいいのか、未だに観劇の感想がまとまらないでいる。

けれど、今回の『ブロウクン・コンソート』は深く感じるものがあった。

 

脚本の良さも勿論だが、今回注目したのは、宗谷佳朗を演じた小野ゆたかという役者さんの演技力だった。途中から、その演技にひきつけられて、目が離せなくなった。セリフ術だけでなく、歩き方、指の先の曲げ具合にまで神経が行き届いていて感心させられた。

 

今までも、パラドックス定数の舞台で、その演技を見ているはずなので、どんな役を演じていたのか調べてみた。

『東京裁判』……弁護人・末永令甫

『九回裏、二死満塁。』……二塁手

『731』……731部隊の第四研究部にいた辰沢士郎

 

『東京裁判』で、初めてパラドックス定数の芝居に出合い、それ以降は野木萌葱氏作・演出の芝居を見るのを目的としてきたが、次回からは小野ゆたかという役者さんがどんな演技を見せてくれるかという関心が付け加わった。

加藤剛氏の瞳

  • 2018.08.08 Wednesday
  • 17:13

「劇団は今日もこむし・こむさ」その237

 

2018年6月18日、俳優座の加藤剛氏が亡くなった。80歳、胆嚢がんを患っていたという。

近年、テレビドラマに出演されているのを見た。背筋をピンと伸ばし、ていねいにセリフを言っていて、年齢よりも若く感じられた。その清潔感も、あいかわらず変わっていなかった。

 

1981年のことだから、37年前のことになる。43歳の加藤剛氏に会ったことがあり、今回の訃報を聞いて、思い出した。

その頃、私は、ある新聞社から言われて、俳優さんなどにインタビューをして、それを記事にする仕事を少ししていた。

 

インタビューの場所は六本木の、俳優座劇場の中の一室だった。

1954年に開場した、昔の俳優座劇場の建物は趣きがあって懐かしい気がするが、その後、1980年に改築されて、現在の建物になった。

インタビューで訪れた俳優座劇場は、改築後の方だったことになる。

 

そのころ加藤剛氏は、前年に出版したエッセイ集『海と薔薇と猫と』(創隆社)が評判になっていて、10年来続いているテレビ時代劇『大岡越前』の撮影のために、1週間に4〜5日は京都で暮らしているという状況だった。

 

インタビューの場所は加藤剛氏側からの指定だったと思う。

カメラマンと二人で、部屋に入っていくと、加藤剛氏が一人で待っていて、立って出迎えてくれた。その応接が丁寧だったことが印象に残っている。

 

俳優座という新劇の団員としてだけではなく、『三匹の侍』『砂の器』など、テレビや映画で活躍していて、人気が高いとあれば、華やかな「芸能人」の雰囲気をかもし出していても不思議ではなかったが、加藤剛氏には、そういう雰囲気は無かった。

スーツに、ネクタイを締めて、実にきちんとした佇まいだった。

 

加藤剛氏は、俳優座の養成所で演劇を学んでいる途中で、TBSテレビのドラマ『人間の条件』(原作 五味川純平)の主役・梶に抜擢され、俳優としてのスタートを切った。

(ドラマ『人間の条件』は私も見ていた記憶がある。主人公・梶の演技も、瞬間的な映像だが、目に残っている。)

 

「芸能人」としてのきらびやかさを放出してはいないものの、「ああ、この人は、やはり特別な、なにかを持っている」と感じさせられたことがあった。

会ってすぐ、第一印象で思ったのだが、それは、加藤剛氏の「瞳」だった。

もちろん、端正な顔立ちがあっての、「瞳」なのかもしれないが、それにしても、こんな目をした人が居るものかと思わせるような「瞳」だった。

ドラマ『人間の条件』の主役を演じる若い俳優を探していたTBSのスタッフも、きっと、加藤剛氏の特別な「スター性」に、ひらめきを覚えたのではないだろうか。

 

晩年、加藤剛氏がテレビに出演すると、私は、どうしても氏の「瞳」に視線が行ってしまった。

しかし、「瞳」の輝きというものは永遠ではないのだと知り、それは仕方のないことだと思わせられた。

(けれど、それはテレビを通してのことであって、生身の加藤剛氏に接することができたら、その「瞳」は相変わらず輝いていたかもしれない。)

 

インタビュー記事の原稿を書き上げると、私は題名(見出し)をつけて、新聞社の人に渡した。

新聞の整理係の人が、その題名(見出し)を採用するかどうか分からないのだが、小説や詩に題名をつけるように、インタビュー記事にも題名(見出し)を自分でつけた。

 

おそらく、私が考えた題名(見出し)を新聞の整理係の人が使ってくれたのだと思う。

加藤剛氏のインタビュー記事の見出しは、「多感な少年のような瞳」と印刷されていた。

 

小説と「読む戯曲」の合体ー「ひかりごけ」

  • 2018.08.03 Friday
  • 22:03

「小説についての小説」その142

 

武田泰淳の小説「ひかりごけ」を読んだのは、1973年だった。(新潮文庫『ひかりごけ・海肌の匂い』所収)

40数年ぶりに、また読んでみた。

 

1973年に読んだときは、おそらく、人が人を食べるという、その重いテーマを、どのようにとらえればよいか、「ひかりごけ」を読むことによって、つかみたかったのだと思う。

そのテーマについて、私の中ですでに解決したというわけではないが、今回40数年ぶりに読んだのは、「ひかりごけ」が変わった構造の小説で、何故、そのような構造をもった小説を武田泰淳が書いたのか、その訳を知ることができればと思ったからだった。

 

「ひかりごけ」は、文庫本で、55ページの小説だ。

そのうち22ページまでは、普通の小説のような書き方で進んでいく。

だが、22ページ目の中程から、戯曲になっていくのだ。

戯曲の第一幕目が21ページくらいに亘って書かれ、そのあと、第二幕目が13ページくらい書かれる。

最後は、第二幕の幕が「しずかに下りる」という言葉で終わる。

小説で始まった小説が、戯曲で終わるのだ。

 

小説のはじまり、「私」は「羅臼」の村を訪れる。

「私」が村の中学校の校長からいろいろな話を聞いた中に、「ペキン岬の惨劇」の話があった。

「私」は、校長の紹介でS青年に会い、Sが編纂した「羅臼村郷土史」を譲りうける。その中に、難破船の船長の、人喰事件の記述があった。

 

その記述とは…… 

昭和19年12月、船団「暁部隊」が根室港を出帆。

第五清神丸(乗組員は船長以下7名)が、羅臼北方の海上で、機関部に故障を生じて航行不能になった。乗組員は海に入り、吹雪の波打ち際に打ち上げられる。

 

昭和20年の2月、船長が、羅臼から21キロ離れたルシヤに姿を現わす。

船長の自白によると、冬期は使用されずにいる漁民の小屋に、船長と西川だけがたどりついた。

西川の死後、「しかし私とても食物は一切ありません。結局は西川君と同様、死を以て終らなければならぬのだと考えた時、むらむらと野獣のような気持が燃え上り」船長は西川の肉を食べた。

 

S青年は、事件についての記述のあとに、「推理小説的な想像」を付け加えていた。

〇 「西川と船長は、ついに発見されなかった三名の船員の死体を食用に供したこと。」(漁民の小屋にたどりついたのは、西川と船長だけではなく、ほかに3人いた。西川と船長は、その3人の肉を食べたのではないかということ)

〇 もう一つの想像は、「船長が西川を殺害したこと。」

 

「私」は北海道旅行から帰ってきて、「この事件をどのような形式の小説の皿に盛り上げたらよいのか」迷う。

「この事件には、私たちに、サルトルの嘔気とはちがった意味の、嘔気をもよおさせる何物かがあります。あまりにも重苦しい象徴、あまりにも色彩鮮明な危険信号、あまりにもコントラバスの効いた低音部の重圧があります。」

 

そして、小説が始まって22ページ目、武田泰淳は、「読者にはあまり歓迎されそうにない題材に、何とかして文学的表現を与え」るために、「私はこの事件を一つの戯曲として表現する苦肉の策を考案」した、と書く。

 

どうして戯曲として表現するかというと、「それは、『読む戯曲』という形式が、あまりリアリズムのきゅうくつさに縛られることなく、つまりあまり生まなましくないやり方で、読者それぞれの生活感情と、無数の路を通って、それとなく結びつくことができるからです。」としている。

 

そして、読者に対して、「この上演不可能な『戯曲』の読者が、読者であると同時に、めいめい自己流の演出者のつもりになってくれるといいのですが。」と、要請をしたのち、戯曲の部分が始まっていく。

 

第一幕は「マッカウス洞窟の場」、登場人物は「船長、船員西川、船員八蔵、船員五助」の4人。

 

まずはじめに、五助が死ぬ。

五助の肉を八蔵は食べない。船長と西川は食べた。

五助の肉を食べた西川の「首のうしろに、仏像の光背のごとき光の輪が、緑金色の光を放つ」。

その光を見て、八蔵が言う。「昔からの言い伝えにあるこった。人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うッすい、うッすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけつうもんの光に似てるだと。」

 

つぎに八蔵が死ぬ。

西川は、八蔵のつぎに自分が死ねば、船長が自分を食べるだろうと考える。

「おら、海にはまって死ぬだ。おめえの手のとどかねえところで、死ぬだ。」

西川は、洞窟を去って行こうとする。

「おめえに喰わせるくれえなら、フカに喰わせるだ。」

そう言って出ていった西川を、船長が追っていく。

……やがて、船長が戻ってくる。西川の屍をひきずって。

 

第二幕は「法廷の場」、時は「第一場より六カ月を経過せる晩春の一日。」

登場人物は、「船長、判事、検事、弁護士等、一般の法廷に必要なる諸人物、及び傍聴人。」

 

第二幕は、ほとんど、船長と検事の対話から成り立っている。

この幕で、最も印象的な場面。

船長が、検事に向かって、こう言う。

「あなた方と私は、はっきり区別ができますよ。私の首のうしろには、光の輪が著いているんですよ。よく見て下さい。よく見ればすぐに見えますよ。これが証拠なんですから。」

 

この船長のセリフのあとの、ト書きは、意外なものだ。

「検事の首のうしろに光の輪が点る。次々に、裁判長、弁護士、傍聴の男女にも光の輪が著く。互いに誰も、それに気づかない。群集は光の輪を著けたまま、依然として右往左往する。」

 

今回「ひかりごけ」を読み直してみて、なぜ武田泰淳が、小説の後半部分を「読む戯曲」にしたのか、分かる気がした。

そのポイントは、「ひかりごけ」のように光る「光の輪」にあるのではないだろうか。

 

もし、「人の肉を食べた人間の首のうしろには光の輪が出る」というモチーフを、普通のリアルな小説の中で使って書いたとしたら、その小説は、おとぎ話や寓話めいたものになってしまう気がする。

(現代ならばファンタジー小説という分野もあるようなので、そのような小説として書くことも可能かもしれない。)

武田泰淳は、「『読む戯曲』という形式」は、「あまりリアリズムのきゅうくつさに縛られること」がないので、戯曲として表現することにした、と作中に書いていた。

その、リアリズムのきゅうくつさに縛られないやり方というのが、「光の輪」なのではないだろうか。

演劇であれば、「光の輪」を一つの演劇的な表現として効果的に使用し、観客(読者)に訴えかけることができる。現実の世界ではありえないことも、演劇の世界では存在させることが出来る。

 

武田泰淳は1954年に「ひかりごけ」を書いた。

作者は、小説中の戯曲を「この上演不可能な『戯曲』」と言っているが、現在でもやはり、この戯曲は上演不可能だろうか?

おそらく1954年当時、「光の輪」を陳腐なものではなく、自然なものとして、舞台上に創り出すことが難しく思われたのではないだろうか。そのため、上演不可能と考えたのだと思うが、現代の照明の技術でも、やっぱり「光の輪」を創り出すのは難しいだろうか。

「ひかりごけ」の光とともに、人々の首のうしろに浮かぶ「光の輪」を、「読む戯曲」としてではなく、実際の舞台でも見てみたい気がする。

 

また、「ひかりごけ」は、「読む戯曲」を小説の中に取り込んで、創り上げた成功例であると今回感じたが、このように、戯曲と小説を合体させたり、融合させたりする自由な実験は、いろいろと試みる価値があるのではないかとも思った。

野木演出ではない「D51−651」

  • 2018.07.23 Monday
  • 15:48

「お芝居つまみ食い」その236

 

2018年6月23日〜7月1日

ウォーキング・スタッフ プロデュース

脚本 野木萌葱、演出 和田憲明

『D51−651』

シアター711

 

D51−651は、デゴイチ ロッピャクゴジュウイチと読めばいいらしい。

この舞台を見に下北沢に出掛けたのは、作者が野木萌葱だったからだ。

野木萌葱の戯曲を、野木萌葱以外の演出家が演出し、パラドックス定数ではない集団が演じるのを見るのは初めてだったので、その点にも興味があった。

 

シアター711の舞台は狭い。そのほとんどをD51の運転席のようなもので占めている装置。若い機関助手が懸命に石炭を燃やし、老練な運転手がD51を走らせる。場面によってD51はほんの少し位置を変え、空いた舞台の空間がD51の車外になったり、警察署になったり、駅の構内になったりする。気がつけば線路が遠近法を使って、手前から奥に向かって伸びている。

狭さという悪条件の中、装置が工夫され(美術、塚本祐介)、そこに照明の力(佐藤公穂)も加わって、ときに、舞台に広ささえ感じるほどだった。そんなところに演劇の魅力を感じた。

 

野木萌葱がこの戯曲で扱っているのは「下山事件」だ。

1949年7月、初代の国鉄総裁・下山定則が常磐線の北千住と綾瀬の間で、貨物列車(D51−651)に轢かれて死んだ。果たして、下山総裁は自殺したのか? それとも殺されて、死後に轢断されたのか? しかし1964年に公訴時効が成立して、未解決事件となった。

 

登場人物は6人。D51を運転していた機関士と機関助手と車掌、そして捜査を進める警察官、国鉄側の弁護士、役人。

パラドックス定数のメンバーとは違う役者さんたちの演技。演出者が違うこともあってか、舞台の雰囲気、テイストがやはりパラドックス定数と異なっていた。

なにが、どう異なっていたのか? と、説明を求められると困るのだが、ウォーキング・スタッフの今回の舞台の方が「普通」に見えた。(「普通」と言うと、「ありきたり」とか、悪い意味にとられてしまうかもしれないが、そうではありません。)

パラドックス定数の舞台は、何かが違うような気がするのだが、それもまた、まだ説明できるほど分かっていない。

 

「テアトロ」の2018年8月号に江原吉博氏が劇評を書いていて、パラドックス定数の『731』と共に、ウォーキング・スタッフの『D51−651』の舞台についても触れていた。

 

<役人は日本の経済復興のために国民に忍耐を強い、組合活動家の車掌は民主化の名の下にGHQの復興プログラムに乗ることは、この先ずっと米国に従属することになるという。日本の政治経済の現状はこの辺りからすでに始まっている。戦後はまだ終わっていない。野木萌葱の二作はそうささやきかける。>

 

実は、このブログの「その229」で書かせていただいた通り、『731』を見たあとの感想がまとまらなかった。どのように『731』を受け止めればいいのか、分からなかった。別に、こう受け止めなければいけない、というものがあるわけではないが、自分なりの感想が持てなかった。

今回の『D51−651』も、やはり同じだった。

 

江原吉博氏の劇評を読み、「戦後はまだ終わっていない。」……ああ、そういうことなのかと思ったものの、釈然としないものが残る。

まだもう少し、考えなければならない気がする。

加地亮氏の「保育士になりたい」思い

  • 2018.07.20 Friday
  • 19:19

「劇団は今日もこむし・こむさ」その236

 

前回ブラジルで行われたサッカーのワールドカップで、日本は1勝もできずに敗退してしまった。その負のイメージがあったからか、今回のロシアでのワールドカップに対しても、期待するまいという意識があった。

けれど、初戦のコロンビア戦で日本が勝つと、俄然、期待感が高まってきて、その後のなりゆきに目が離せなくなった。

 

テレビ東京を除いて、どのテレビ局もサッカー関連の番組を多く放送するようになり、その需要の増加からか、たくさんのサッカー関係者が登場してきて、試合の分析や予想をしていた。

その中に、元日本代表の加地亮氏の姿があって、思わず注目してしまった。(出演していたのは、2018年7月2日、午前0時5分はじまりの「やべっちFC」、日本が予選を勝ち上って、つぎはベルギーと闘うという時点での放送だった。)

 

熱烈なサッカーファンからすれば、私などはファンとみなされないに違いない。Jリーグの試合なども見ない。ただ、日本代表の試合だけには興味がある。

だから、加地亮氏についても、どのような選手なのか、ほとんど知らない。

そんな私が、何故、テレビに登場した加地亮氏を見て、注目したのかというと、10年以上前、週刊文春のコラムで、彼の記事を読んだことがあるからだった。

 

それは熊崎敬という方の「熊さんのゴール裏で日向ぼっこ」というコラムで、2005年11月17日号の見出しは、「保育士になりたい? 若き日本代表の素顔」というものだった。

「サッカーの日本代表選手」と、「保育士」の取り合わせが、新鮮だった。

 

<加地クンは、すでに将来の人生設計を立てている。ただ、「引退後もサッカーに携わって……」なんて、多くの選手が口にするようなことはいわない。

「子どもが大好きなんで、保育士になりたいんです。子どもに影響を与える立場だから難しい仕事ですけど、やりがいがあるじゃないですか。選手生活の終わりが見えてきたら、通信教育なんかで学ぼうと思ってます。ええ、引退後はサッカーから離れますよ」

 加地クンは選手寿命が短いことを知っていて、長い人生の後半戦をどう戦うか、真面目に考えているのだ。>

 

このとき加地選手25歳。地に足がついているというのだろうか、フワフワしたところがない。保育士が、なんとなくの思いつきではないことが、「子どもに影響を与える難しい仕事」という言葉からも分かる。

 

<では、前半戦のうちにやっておきたいことは?

「子どもを作ってね、僕がプレーしてるところを見てほしいな。これが一番。あとは何だろう……貯金をできるだけ溜めることかな」>

 

加地選手が、その後どのような経験を積み重ねていったのか、私は知らない。

そこで調べてみたら、セレッソ大阪→大分トリニータ→FC東京→ガンバ大阪→メジャーリーグのチーヴァス・USA→J2のファジアーノ岡山でプレーを続け、2017年の11月に引退を発表したそうだ。

 

プライベートな情報としては、男の子1人と女の子2人に恵まれたようなので、子供に自分のプレーを見てほしいと言っていたことは実現させたことになる。

仕事としては、現在、ヘアエステサロンやレストランをご夫婦で経営しているという。

 

7月2日「やべっちFC」に出演した際の加地亮氏は、腰がすわっていて、好感が持てた。

今後、サッカーの解説者としての活躍もあっていいのではないかと思った。

 

では、保育士についてはどうなのだろうか?

こちらは実現させていないようだけれども、加地亮氏は今年38歳、人生の「後半戦」というにはまだまだ若い年齢だ。

これからの人生、何があるか分からない。

保育士に限らず、幼児教育に関連する仕事を展開するチャンスだって、あるかもしれない。

「保育士になりたい」という若い日の思いは、持ち続けていてもいいのではないだろうかと思うし、加地氏自身もまだ、そう思っているかもしれない。

「家族熱」舞台化そしてノベライズ

  • 2018.07.15 Sunday
  • 16:07

「小説についての小説」その141

 

6月に東京芸術劇場で芝居『家族熱』を見た。

向田邦子がシナリオを書き、TBSが1978年に放送した連続テレビドラマを、二人芝居にしたものだった。

シナリオを諸田玲子が小説化したものが、文春文庫から出ていたので、ぜひ読んでみたいと思った。 

 

小説の書き出し。

<表札の上を蝸牛が這っている。

 眠気を誘うような歩みにつれて、

 黒沼謙造――。

 いかめしい文字が見え隠れしている。>

 

小説が、どの程度、向田邦子のシナリオに忠実に書かれているのか分からないが、この書き出しの部分を読んだだけで、描写が細かいことが分かる。

また、映像が鮮やかに浮かんでくる文章だ。

 

芝居『家族熱』は、後妻に入った母親・朋子と、7歳しか年の違わない先妻の息子・杉男の二人にしぼって舞台化されていたが、そんな二人の微妙な関係性も、こんな風に描かれている。

麻酔医をしている杉男が、夜勤明けに帰ってきて、玄関先で浴衣姿の朋子に迎えられる場面。

 

<(略)朋子は「あら」と杉男の顔を見た。「徹夜すると、杉男さんでも、ヒゲ、伸びるのね」

 顔を寄せられ、杉男はどきりとした。くるりと踵を返す。家のなかへ駆け込み、二階につづく階段を上がりかけて、「お母さん」と振り向いた。

「ほどけてる……」

 あわてて締めた半幅帯がほどけかけている。>

 

お互いが、相手の細かい部分を見ていて、しかもその視線が、ヒゲとか、半幅帯とか、普通の母と子とは違うところに向けられているところ(当人たちは、意識していないのかもしれないが)など、どこか危険な香りが漂ってきて、上手い。

 

……ということで、小説『家族熱』、けっこう面白く読み進められるかと感じたのだが、そのうちに、つぎつぎと別の登場人物たちが出てきて、そのそれぞれが緻密に描かれていくのを追っていくうちに、テレビドラマを小説化したものと、純粋に初めから小説として書かれたものの違いを感じるようになった。

 

『家族熱』がそうなのかどうかは分からないが、もしテレビドラマに登場した人たちをすべて小説にも登場させ、場面をすべて再現していくとしたら、どうしても小説としては長くなっていかざるを得ない。

 

文春文庫の表紙を見ると、<向田邦子原作 家族熱>とある。

諸田玲子氏が小説化をしたことは、巻末に諸田氏と向田和子氏(向田邦子の妹)の対談が掲載されていて分かるけれども、あくまでも向田邦子の『家族熱』であって、諸田玲子の『家族熱』ではないらしい。

 

そうである以上、諸田玲子氏は原作に忠実にならざるを得ないし、まして視点をしぼったり、登場人物を整理したりすることは出来ないに違いない。

もしかしたら、諸田氏はいろいろ手を加えたり、省略したりして、小説として読みやすくしてくれているのかもしれないが、(私の場合)『家族熱』を小説として読み続けることが辛くなってしまった。

 

今回、シナリオを原作とした舞台『家族熱』と、シナリオを原作とした小説『家族熱』に触れることが出来た。

舞台の方は、だいたんに脚色されて、たった2人で演じる芝居となり、ある意味、原作とは別の作品になっていた。

シナリオを小説化することをノベライズと言うようだけれども、その場合、原作と、どの程度距離を置くことが許容されるのだろうか。

ノベライズ、という分野について考えさせられた。

書かなければならない戯曲「ジハード」

  • 2018.07.09 Monday
  • 20:42

「お芝居つまみ食い」その235

 

2018年6月23日〜7月1日

主催・企画・製作 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団

さいたまネクストシアターゼロ 世界最前線の演劇1[ベルギー]

作 イスマエル・サイディ、翻訳 田ノ口誠悟、演出 瀬戸山美咲

『ジハード―Djihad―』

彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO

 

どこかの劇場で『ジハード―Djihad―』のチラシをもらった。

「ジハード」をテーマにして、どのように舞台で表現して見せてくれるのだろう、そう思って与野本町まで行った。

また、過去にさいたまネクストシアターの芝居を何度か見たことがあるので、蜷川幸雄がいなくなった今、彼らがどのような演技をするのかという関心もあった。

 

STORYは、

<ベルギーのブリュッセルに住む移民2世の若者、ベン、レダ、イスマエル。3人は「ジハード(聖戦)」に参加するため、内戦の続くシリアに旅立とうとしている。ベルギー社会とイスラム教コミュニティのはざまで、自分の愛するものを禁じられ、行き場のない思いを抱える彼らは「ここではないどこか」を求めていた。彼らは戦場で何を見つけるのか、そして愛と情熱の行方とは――。>

というものだ。(チラシより)

 

「聖戦」に参加する若者たちと聞くと、一つの信念を抱いて、信仰のためならば死も恐れない人物をイメージするが、『ジハード』に登場する3人は、きわめて「普通」の若者たちだった。

 

「シアターガイド」2018年7月号に、『ジハード』に出演する4人の役者さんへのインタビュー記事が載っていた。

その中で竪山隼太という役者さんは、

<喜劇的なやりとりの中に同じ人間としての共通項を見いだしたいです。>

と言い、小久保寿人という役者さんは、

<人を愛すること、かなえられない夢と現実との葛藤といった、誰にでも十分理解できる普遍的な事柄が扱われていますしね。絶対に日本のお客様にも共感できる作品だし、そうさせたい。>

と語っている。

 

役者さんたちは、「ジハード」に参加しようとしている者にも、「ジハード」によって攻撃を受けるかもしれない側の人間と、「共通項」があり、「普遍的」なものが在るのだと指摘していて、そのことは舞台でも表現されていた。

私も、この芝居でそのことを教えられたように感じたが、その一方で、「みんな同じ人間なんだ」といった時点で、考えをストップさせてはならないようにも思った。

 

「シアターガイド」には、作者イスマエル・サイディについての記事もあった。

作者は、<1976年、モロッコ系移民の子としてベルギーで生まれた劇作家で演出家、そして俳優、映画監督>で、

彼がこの芝居を書いたきっかけは、<友人がイスラム国の戦闘員としてTVに映し出された姿を見たことだった。なぜ、イスラム教徒の移民コミュニティーの若者たちが、ジハード(聖戦)に心惹かれるのか――。>

それが執筆の動機だったとのこと。

 

『ジハード』の3人の若者について、同じ記事に、

<宗教や人種のせいで偏見を持たれ、ベルギー社会で孤立している登場人物たち>

と書かれている。

宗教、人種、移民、偏見……さまざまな問題がからまりあった結果が、作者の友人のように、イスラム国の戦闘員となってしまうという現実を生んでいるのだろう。

「みんな同じ人間なんだ」という感性は大事に違いないが、それだけでは現実に立ち向かえない複雑さが世界を覆っている。

 

与野本町から帰りの電車に揺られながら、『ジハード』の作者イスマエル・サイディ氏について、また、演劇について考えていた。

氏は、モロッコ系移民の子供として、ベルギーという国で暮らし、そこで今、書かなければならない戯曲を書いた。それが『ジハード』だったに違いない。

氏のそうした創作への姿勢が、じわじわと観劇後の躰にしみてくるように感じた。

 

(なお、「ジハード」というのは本来「努力する」という意味なのだそうだ。そのことも今回知った。)

PR

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM