パラドックス定数をさらに知ったー「シアターガイド」の記事

  • 2018.10.06 Saturday
  • 18:50

「劇団は今日もこむし・こむさ」その244

 

モーニングデスクが発行している雑誌「シアターガイド」を毎月購入している。

最寄りのJR駅のビル内の本屋さんでは扱っていないので、一駅だけ電車に乗って、隣り町の本屋さんまで買いに行く。

 

劇場でもらうチラシの束も、私にとっては貴重な情報源だが、「シアターガイド」も芝居選びに欠かせないものになっている。

昔々、雑誌「ぴあ」のページをめくっていたのと同じ感覚で、「これは?」と感じる情報をキャッチするのが面白い。

 

情報収集に役に立つだけでなく、貴重な記事が掲載されることもある。

2018年11月号には、那須佐代子氏と、野木萌葱氏へのインタビュー記事が載っていて、「よくぞ、この記事を載せてくれました」と感謝したくなった。

 

那須佐代子氏はシアター風姿花伝の支配人で、野木萌葱氏はパラドックス定数の代表。

シアター風姿花伝がパラドックス定数をバックアップする形で、2018年の4月から、2019年の3月まで、計7本の芝居を上演するという企画が、現在進行中だ。

 

「東京裁判」という作品で、野木萌葱氏の存在を初めて知り、圧倒され、かつ、このような演劇人がいたのだと、現代演劇に希望を見出したように思った。

だから、1年かけて、野木作品を7作、観続けることができる企画は、本当に有り難く感じている。

 

「シアターガイド」のインタビュー記事を読んで、「なるほど」と思ったことがいくつかあった。

たとえば、シアター風姿花伝として、劇団を応援する形として、「ロングラン公演」をサポートするという構想があったらしい。

しかし、野木氏としては「うちの劇団で1カ月公演は無理」という判断があり、「だったら長期公演を1回やるのではなく、年に複数回公演してもらう形でもいいのでは」と那須氏は思い至ったのだそうだ。

 

そうして、1年に7作品を上演する企画が実現したわけだが、那須氏がつぎのように言っていることは重い。

「野木さんとパラドックス定数さんが再演に耐え得る秀作をたくさん持っていらしたから」

クオリティーの高い戯曲を、クオリテイーの高い演技・演出で観せ続けられなければ、この企画の意味は無い。

 

那須氏が、「『Nf3Nf6』など非常にストイックな芝居で、俳優がマゾヒスティックなほど自分を追い込んでいるように見えたんです。」

と言ったことに対して、野木氏がつぎのように応えたのが、私には意外だった。

「ああ、その傾向はありますね。でも演出で追い込んでそうなる訳ではなく、劇団員が自発的にあの空気感に持っていくんです。」

パラドックス定数の芝居(演技)には独特の緊張感があるが、私は、それは、野木氏の演出によって創られているのだろうと思っていた。

しかし、野木氏は「劇団員が自発的にあの空気感に持っていく」のだという。

パラドックス定数における、演出者と演技者の関係性が見えてきて、「シアターガイド」の記事は新鮮だった。

 

「劇団員」といえば、那須氏と野木氏のインタビュー記事のあとに、パラドックス定数の劇団員の文章を掲載しているのも、いい編集だと思った。

そのページでも、初めて知ったことがあった。

パラドックス定数の劇団員(俳優)は、4人だけとのこと。

今まで観てきたお芝居の出演者の、全員とは言わないまでも、ほとんどが劇団員なのだと思っていたのだが、そうではなかったのだ。野木氏と少ない劇団員とがチームを作って、活動をしてきたのだと知り、たとえ少人数であっても、ものごとを成すことはできるのだと教えられた気がした。

 

4人の劇団員の文章が、それぞれに深い。 

植村宏司氏は文章の最後を、つぎのような言葉で締めている。

「私自身も一連の公演を通し、逆に野木の刺激になるような芝居ができたらと思っています。」

作・演出をする人と、演技者とが、しのぎをけずるような関係にある。その様が見えてくるようだ。(そんな芝居作りは、あこがれだ。)

小野ゆたか氏の、「パラドックス定数での創作・公演は、自分にとって体の一部と言っていいもの。」という言葉も、さらっと言っているが、すごい。

 

「野木戯曲の特徴は、その“回りくどい偏屈さ”にあると僕は思っています。」(西原誠吾氏)

「人が人と極限状態で相対する瞬間、内面は千々に乱れていてもその場に確かに人間が存在することの醜さと美しさ、その両方を繊細に描き出すのが野木作品の魅力。」(井内勇希氏)

短い言葉ではとうてい言い尽くせない野木氏の戯曲の複雑さ。

野木氏と共に格闘し、舞台を創ってきた演技者だからこそ、表現できる言葉なのだと感じた。

 

シアター風姿花伝での7作上演も、あと3作を残すのみとなった。

野木氏の戯曲を、4人の劇団員が中心となって、客演の役者さんを独特な空気感の中にとりこみながら、どのように舞台化していくのか、「シアターガイド」の記事を読んだ今、なおさらに関心が増している。

テレビ番組「ソノサキ」のラストシーン

  • 2018.10.03 Wednesday
  • 19:17

「劇団は今日もこむし・こむさ」その243

 

2018年10月2日の午後11時過ぎ、テレビを点けたところ、テレビ朝日で「ソノサキ」という番組をやっていた。

新聞のテレビ欄を見ると、「動物とのキズナSP…引退した盲導犬と指導員が再会」とあった。

 

なにげなく見はじめたのだが、やがて、「どうなるのだろうか?」と好奇心が刺激され、ラストまで見ないではいられなくなった。

 

人間と犬の、7年後の再会。

人間の方は、盲導犬を指導し、育てる仕事をしている女性。

動物の方は、その女性指導員に育てられた犬。6年間、盲導犬として働いたが、今は老いて、ペットとして飼われている。

 

女性は、指導員としては新人の時代に、その犬と出会い、苦労して育てたので、特別に思い出が深い。

盲導犬としての訓練が終わり、利用者の方に、その犬をお渡ししたときのエピソードがいい。

犬は、利用者の方に引き渡されたあと、指導員の女性をちらっと振り返りもせずに、利用者をエスコートして去って行ったというのだ。

だからこそ「盲導犬」だし、そういう役割を務めるように育てたのが指導員自身なのだから、その一見クールな犬の姿は、指導員の指導のたまものであるのだけれども、……でも、どこか寂しかった?

 

犬は盲導犬の任務を終えて、今は普通のペットとして、あるお宅で飼われている。

そのお宅に、指導員の女性が訪ねていく。

果たして、犬は、指導員の女性と再会して、どんな反応をするのだろうか?

視聴者の興味を引くように、番組は上手く編集していた。

 

コマーシャルが終わって、いよいよ犬が現在暮らしているお宅の門の前に、指導員の女性がやってくる。

すると、犬は女性に会うやいなや、しっぽを左右に振り出し、自分から女性に近づいていって、その頭をこすりつけていった。

犬のからだをずっと、ずっと撫でつづける、指導員の女性。

……それが、結末だった。

 

番組の筋書きにうまく嵌ってしまったと思いながらも、いいものを見させてもらったと素直に感じた。

言葉を発することのない動物だからこそ、より一層伝わってくるものがあるような気がした。

 

学校の避難所の主体ー「神戸新聞」の記事に”?”

  • 2018.09.25 Tuesday
  • 19:41

「劇団は今日もこむし・こむさ」その242

 

インターネットでニュースを見ていたところ、

「学校の避難所、先生任せ? 市職員運営のはずが…」

という見出しの記事(2018年9月23日配信、神戸新聞NEST)が目に入った。

 

「学校の避難所、先生任せ?」と、「?」がついているのは、たしかに、学校の避難所は「先生任せ」であってはいけないと私も認識しているので、合点がいった。

しかし、「市職員運営のはずが…」という言葉は、ちょっと違うのではないかと思った。

 

この記事のリードは、つぎの通りだ。

「災害時に小中学校に開設される避難所への対応が課題となっている。避難所運営は自治体職員が担うと決めている市町が多いが、今月4日の台風21号では、神戸市内の複数の小学校に市職員が現れず、教諭らが避難者を受け入れた。今夏は災害が相次ぎ、今後も秋雨や台風シーズンが続くことから、学校側から「対応に限界があり、学校業務にも支障が出る」と懸念の声が上がる。」

 

本文からは、避難所の運営に関して、学校の側、行政の側、双方の事情のようなものが窺われる。

 

〇神戸市東灘区の小学校には12人が避難したが、校長1人で対応、区役所に連絡すると、「暴風などで六甲大橋を渡れず、職員が行けない」と説明された。

 

〇市内の別の小学校には10人が避難し、教頭や教諭が避難所の開設作業に追われたが、市の防災マニュアルには「職員を避難所へ派遣し開設作業を行う」と定めているのに、マニュアル通りではなかった。

 

〇市の危機管理室は「避難所が多かったこともあり、どのタイミングで職員を派遣するか見通しが立たなかった。検証したい」と言っている。

 

この神戸新聞の記事は、基本的に、避難所は行政が運営するべきだという考えに基づいて書かれているように見受けられた。

記者は、神戸市以外の例も挙げている。

姫路市は……「開設準備を学校に手伝ってもらうことはあるが、基本的に市職員が最初から最後まで対応する」

伊丹市……「避難者がいなくても、市の担当者が学校で待機する」

これらは、記者の考えを裏付ける発言ということなのだろう。

 

そして記事の最後に、神戸学院大学の教授(社会防災学)の話を載せている。いわく、

「避難所は開設も含め行政が行うもの。学校側が道義的に手伝うケースもあるが、襲来が想定できる台風や大雨などでは、あらかじめ行政が主導すべきだ。(略)行政、学校、地域が連携し、非常時に誰がどのように行動するかを協議し、地域ごとに防災マニュアルを作成しておく必要がある。」

 

社会防災学の先生が「避難所は開設も含め行政が行うもの」と言っているから、なるほど、それが「結論」かと、受け止められる記事になっている。

 

しかし、私は、この記事には、欠けているものがあると思う。

それは、避難者自身、及び、その学校が存在する地域の、住民の主体性だ。

校長が1人で対応したという小学校には、12人の住民が避難した。

教頭・教諭が開設作業をした小学校に避難した住民は、10人いた。

非難した住民のうち、躰が自由に動かないお年寄りや、病気の方もいらしたと思うが、中には元気な人もいたと思う。

避難所というのは、行政や学校の職員に何もかもお膳立てをしてもらって、安全のサービスを一方的に受ける場所ではなく、その地域の住民が公共の施設を借りて、自分たちの力で運営していく場所だと私は考えている。

だから、受動的にではなく能動的に、「お客様」としてではなく「運営者」の一員として動くことが必要なのだ。もちろん、人によって、出来る活動は違うけれども。

 

私は都内の3つの区立中学校で、教頭(副校長)を経験した。

その、それぞれの学校で、校区内の町会や自治会の方と共に、「避難所管理運営マニュアル」を作成し、冊子を作った。

神戸新聞の記事の、大学の先生がおっしゃっていたような「地域ごとのマニュアル」に当たる。

 

マニュアルのコンセプトの第一は、避難所を管理・運営するのは、学校だけではなく、また、行政だけでもなく、避難者を含む住民と、学校の教職員と、区の職員、この3者が一体となって動ける組織を作る、というものだった。

例えば、その名称は「避難所運営会議」といったもので、その議長には、地域の住民の代表の方に就いていただく。この、あくまでも「住民が主体である」というのも、大事なコンセプトだ。

 

避難所が長期化する場合には、「避難所運営会議」の下に、広報・庶務部、給食・物資部、防犯・警備部、医療・衛生部などを設け、避難者にも役割を分担してもらう。また、避難者による班を形成し、班長を選出してもらって、組織的に動けるようにする……等々、そのコンセプトを貫く。

 

マニュアルには、避難者名簿や、物資依頼伝票、避難所用物品受払簿など、いざというときに必要になる書類のサンプルも掲載した。

 

幸いなことに、在職中に避難所が実際に開設されるような災害は無かったが、「避難所管理運営マニュアル」作りの過程で、学んだことは多かった。

 

災害が発生するたびに、ボランティアの方々の活動が報道される。その無私の精神に、尊敬の念を覚える。

神戸新聞の地元は、1995年に発生した阪神・淡路大震災の被災地だったのではないか。

あのとき全国からボランティアが駆けつけて、「ボランティア元年」という言葉を生んだ。

ボランティアの精神を良しとするのであれば、避難所を自分たちの力で管理・運営するというコンセプトは理解しやすいことなのではないだろうか。まして、自らのこと、自らの地元の避難所なのだから。

 

神戸新聞さんには、行政への要請だけでなく、災害に対して主体的な行動を起こす、神戸市民の姿を掘りおこし、喚起・報道してもらえたらと思う。

 

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