アジアカップでの南野選手のある「動き」

  • 2019.02.14 Thursday
  • 15:25

「劇団は今日もこむし・こむさ」その256

 

「週刊文春」(2019年2月14日号)のページを繰っていたら、「アジアカップで評価を上げた大迫と冨安。下げたのは……」という短い記事に目が留まった。

いったい誰の評価が下がったのだろうと思って読んでみたら、堂安律と南野拓実だという。

サッカー協会の関係者がこう言っているのだそうだ。

 

「堂安は右サイドで得意のドリブル突破が毎試合不発。終始動きの重さが目立った。南野は大迫不在の試合では周囲とのコンビネーションが噛み合わず、技術的なミスも多く見られた。」

 

読んで、「専門家から見ると、そういうことになるんだ」と思いはしたものの、1月28日の夜、準決勝の対イラン戦で、南野選手が見せた、ある瞬間の動きに注目していた私には、解せないものがあった。

 

その、南野選手の「動き」とは、どんな動きだったかというと……

翌日の新聞には、「大迫2得点 イラン撃破」という見出しの記事の中に、こう書かれていた。

 

「スタンドの約9割のイランサポーターが静まりかえった。後半11分、左サイドに出たスルーパスに、南野は倒されながらも立ち上がる。一瞬足を止めた相手守備陣をよそに一人ボールを追い、反転、クロスを上げた先に大迫が待っていた。

 頭で押し込み、今大会無失点だったイランから先制点。」(1月29日付産経新聞)

 

倒されてピッチに腹ばいになったが、すぐに立ち上がり、今にもラインの外に出てしまいそうなボールを必死に追っていく、その「動き」が、私には印象的だったのだ。

サッカー選手としては、当たり前の動きなのかもしれないが、あきらめないで動き続ける、その姿勢に、正直打たれるものがあった。

 

普通の新聞には、スポーツの記事が少ししか載らないので、コンビニに行き、スポーツ新聞を3紙買ってきて読んでみた。

どの新聞も、2点とった大迫勇也選手の活躍ぶりを、最も大きく報道していたが、南野選手についても書かれていた。

 

「日刊スポーツ」は、「冨安が南野が止めた!!」という大きな見出しを掲げ、南野選手については、こんな風に書いていた。

 

「全得点に絡む活躍で勝利に貢献した。後半11分、ボールをキープして倒されるも、すぐに立ち上がりクロスでFW大迫の先制点をアシスト。『こけたときに足が止まったのは分かった』と、相手がノーファウルを審判にアピールしている隙をついた。追加点もペナルティーエリア内で仕掛け、PKを誘発。原口のダメ押し弾も演出し『得点に絡むところは貢献したいと思っていた』と納得の表情を浮かべた。」

 

「スポーツ報知」は、「南野3点演出」という大きな見出しの横に、さらに「倒されても/すぐ起き上がり/大迫ヘッドアシスト!!」という見出しを添えていた。

「日刊スポーツ」が、「相手がノーファウルを審判にアピールしている隙」と書いていた場面について、「スポーツ報知」は、「イランDF4人がシミュレーションのファウルを主張するように主審に詰め寄ったが、笛は鳴らない。ボールも生きていた。」と書いていた。

たしかに、そのようにも見える。しかし、笛が鳴らない以上、選手としてはボールを追い続けるのが使命だろう。

 

「スポーツニッポン」には、「南野執念クロス&PK誘った」という見出しがあった。

 

準決勝での、こんな活躍があっても、週刊誌に、「評価を下げた」選手として書かれてしまう。

今回のアジアカップで、堂安選手は2得点、南野選手は1得点を挙げた。

彼らが、もっと多く点をとっていれば、評価は下がらなかったのだろう。期待が高かった分だけ、評価が厳しくなったのに違いない。これが、結果が重視される、プロの世界というものなのだろう。

 

しかし、「倒されても/すぐ起き上がり」とか、「南野執念クロス」とか、新聞の見出しにも謳われたように、そのボールへの向き合い方から、学ぶべきもの、共感を覚えるものがあったことは事実だ。

スポーツに、人生とか、生き方とかを重ねて見てしまうのは、本筋からずれているのかもしれないが、やっぱり、倒れても、ボールを追い続ける姿勢を持ち続けていきたいものだ、と思ってしまう。

譲位の3ヵ月前に

  • 2019.02.01 Friday
  • 18:07

「劇団は今日もこむし・こむさ」その255

 

今上天皇の譲位が2019年4月30日、改元が5月1日と、すぐそこに迫ってきています。

なにかにつけて「平成最後の○○」「平成最後の××」といった調子で物事が報道されたり、「つぎの元号は何になるか」という話題が取り上げられたりしています。

この譲位について、特に疑義をさしはさむ人も無く、この国は基本的に、今、一つの方向に向かって、なめらかに、穏やかに進んでいるように見えます。

 

しかし私は、そんな世の中に居て、どこか釈然としないものを抱き、このブログでも、幾度か触れさせてもらいました。

 

「象徴としてのお務めについて」のある部分へのこだわり

 

その「釈然としないもの」は、2016年8月8日、今上天皇がテレビで、「象徴としてのお務めについて」と題する「お言葉」を発したときに生まれました。

今上天皇は即位以来、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。」と述べられ、つぎのようにも語りました。

 

「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。」

 

この言葉から、すぐに思い浮かんでくるのは、天皇・皇后が被災地を訪れ、膝をついて被災者に話しかける姿であり、かつての戦地を訪問して手を合わせる姿でした。

なるほど、天皇・皇后の考える「象徴としてのお務め」の一つが、あの行動であったのだと、よく分かった気がしました。

ただ、私が「これは?」と思った部分が、「お言葉」の中にありました。それは、こんな部分です。

 

「こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、……」

 

このような具体的な表現は、果たして必要だったのでしょうか? そこまで言わなければ、国民に伝わらないと考えたのでしょうか?

私は、奥ゆかしさに欠ける表現だと思い、美しくないと感じました。

 

「象徴的行為」を積み上げてきた、その必要性

 

以来、今上天皇が、国民に見える形でおこなってきた「象徴としてのお務め」について、また、憲法に記された「象徴」という言葉について、ずっと考えていたところ、「すばる」の2018年1月号に出合いました。

 

この号には、石川健治氏と姜尚中氏の対談「象徴としての天皇と日本国憲法」が掲載されていました。

対談の中で、法学者の石川健治氏は、今上天皇が、「国事行為」とは別に、何故「象徴的行為」を積み上げてきたのか、その必要性について、つぎのように分析していました。

 

昭和から平成に入ったとき、

「天皇の権威が自動的に担保されていた時代は終わりを告げ、頑張らないともう維持できないという状況になってしまった。

 そこで、旧現人神が背負っていたものが一旦は非常に薄くなった段階から始めて、新しい形の天皇像を一から積み上げていくという格好になりました。」と。

 

また、今上天皇が摂政を置くのではなく、あくまでも譲位を望む理由についても、こんな風に述べていました。

 

「もし天皇が、国事行為を行う国家機関としてだけ働く、というのであれば、極端な話、判子を押していればいい。高齢になったら、摂政を置いたり代行を委任したりすれば、仕事を代わってもらえますので、病床に横たわっていても何の滞りもありません。しかし、それでは、象徴性が弱まり、システムとしての象徴天皇制が持ちこたえられない、というジレンマがある。」

 

摂政ではなく、天皇はあくまでも天皇として「象徴的行為」を果たし続ける必要性がある。そうしなければ「象徴天皇制」が維持できない……と、石川健治氏は言うのですが、天皇の権威とか象徴性というものは、そこまでしなければ保てないものなのか? という疑問が湧いてきます。

そもそも、憲法に明記された「象徴」という位置づけとは、何なのか? という問いも同時に浮かび上がってきました。

 

戦後日本を象徴している「象徴」という語

 

憲法には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって」と規定されていますが、考えてみると、「象徴」とは、いったい何なのでしょうか?

そのことに関して目を開かせてもらったのは、元宮内庁侍医の永井良樹氏の文章でした。(「正論」2017年10月号、「天皇の元首明記なくして9条改正はなし」)

 

永井良樹氏は、例えば国旗とか校章とか、通常「物」が象徴とされるのであって、「もし人間である場合は『象徴的存在』という風な表現になる。」としています。だから、憲法で、天皇が国の象徴であるとする言葉遣いには「無理」があり、「日本語として熟していないという印象は否めない。」と述べています。

 

さらに永井氏は、内閣総理大臣や最高裁判所の長たる裁判官を任命したり、法律や政令や条約を公布するなど、天皇は事実上、国家元首としての行為をしているにもかかわらず、

「憲法からは天皇は日本国の元首であるという記述が抜けていて、『元首』が『象徴』に置き換えられている。」と、指摘しています。

 

何故、『象徴』ではなく、『元首』としなかったのか?

「その理由は、日本国憲法が成立した当時、日本は占領軍に支配されていて、占領軍司令長官が国家元首の役割を果し、天皇はそれに従属する立場に立たされていたという事情によると考えられる。」とのことです。

 

であるならば、占領軍が去ったあとも、どうして天皇は「象徴」のままだったのでしょうか?

1952年にサンフランシスコ平和条約が発効してから、2019年の今日までの67年間、天皇は「象徴」であり続けてきました。

 

「劇団は今日もこむし・こむさ」その216に、こんな言葉を綴らせてもらいました。

 

「考えてみると、『象徴』という語は、戦後日本を象徴するような語であるように思う。

明確に『元首』と規定するのか、あるいは『元首』とすることに反対なのか、議論をしつくして選択する代わりに、曖昧な『象徴』という語に甘んじていく。

曖昧だからこそ、中庸がとれているかのように思われて、多くの人に受け入れられる。

それでいいのだろうか?」

この思いは今も変わっていません。

 

ところで、「文藝」2018年冬号に、赤坂真理氏の小説『箱の中の天皇』が掲載されました。

小説において、天皇の問題を扱うのは難しいと想像されますが、真っ正面から向き合っていて、新鮮な読書体験をさせてもらいました。

『箱の中の天皇』については、「小説についての小説」の方で、改めて触れさせていただくことにします。

 

果てのないものに向かって

  • 2019.01.25 Friday
  • 19:51

「劇団は今日もこむし・こむさ」その254

 

2019年1月19日(土)、第5回公演を行うことが出来ました。パンフレットにも書かせていただきましたが、第5回公演を行うことは、一つの「目標」でありました。

第一次劇団こむし・こむさは、第4回公演を最後に自然解散の状況になりました。それから40数年後、昔の仲間が再び集まって結成された第二次劇団こむし・こむさ、……今度は第4回で終わらせず、その先まで歩んでいきたい、そう考えてやって参りました。

まずは、この、一つの「目標」を達成できましたのも、私どもの芝居に足を運んでくださる方々のお蔭と思っております。

 

第3回公演までは日暮里のd−倉庫で作品を発表していました。第4回公演から両国のシアターXで上演することが出来ることになり、今回で2作品目ということになります。

前回、『水の中の塔―東京スカイツリー異聞』については、シアターX発行の「批評通信」に、ミムラショウジ氏が批評を書いてくださいました。

その中の一節を、少々長くなりますが、ご紹介させていただきます。

 

<『水の中の塔』は1945年3月の墨田区周辺を襲った東京大空襲の記憶がテーマ。劇団員にとって親や祖父母の世代が体験した記憶である。その記憶を忘れないことが現在の彼らの「表現しなければならないこと」だった。

 プロを自任する劇団はどれだけ「今、表現しなければならないこと」に想いを尽くしているだろうかと思う。確かに、こむし・こむさの俳優の演技やドラマトゥルギーは未熟。けれども、仲間内で互いの芝居を観てあげることが慣例のようになっているプロを自任する演劇業界人に対して、こむし・こむさの活動はしがらみから自由であるがゆえに外の世界に開かれている。「表現したいこと」を「観てもらいたい」人に素直に見せる。演劇に対して本来的な向き合い方ができている。>

 

ミムラ氏の批評は、私ども劇団の、「今、このとき、表現したいこと、表現しなければならないことの演劇化」という共通認識を深く汲み取ってくださったものでした。

しかし、ミムラ氏は、私どもの劇団の弱点をも鋭く指摘していました。それは、「確かに、こむし・こむさの俳優の演技やドラマトゥルギーは未熟。」という言葉でした。

私はこの言葉を、まっすぐ受け止めなければいけないと強く感じ、第5回公演に臨みました。

 

さて、そうして、『降りる人―時代』という作品をシアターXの舞台にかけたわけですが、はたして、私どもの未熟な部分は、どれほどに改善し、前に進むことが出来たでしょうか?

その答えは、『降りる人―時代』をご覧下さった、お一人お一人の中に在るのだと思います。

その意味で、毎回、お客様にお願いしているアンケートに書かれたお言葉の一つ一つが、答えを解く鍵になります。

アンケートは、今回も100人以上の方にご協力いただくことが出来ました。またメールや電話でも、ご感想をお寄せいただきました。

 

実際に教職に就かれている方の、こんな言葉もありました。

――現場は公務等も含めて大変ですが、目の前の子どもたちと繋がり、毎日を共に過ごすために頑張れる自分がいます。

 

「繋がり」といえば、こんな風に書かれている方もおられました。

――現代の情報社会における、人との向き合い方、つながり方について深く考えさせられました。また、普段から、「人と人とがつながる場」をつくっていきたいと考えているだけに、目の前・周りに居る人とのつながり方、今後もしっかり考えていきたいと思いました。

 

「情報社会」について、このようなご意見を寄せてくださった方もいます。

――ITには確かに負の側面も大きいですが、ITがあることで初めてできる「つながり」もあるので、うまく使うことができれば、多様な人間関係を構築できる場合もあります。

 

その一方で、別の感じを抱いている方もいます。

――今の世の中携帯がゆきわたって、どこでも皆携帯を見ていますが、私は何かそんな現状に納得いかないものを感じています。今の子供達は便利な反面、携帯に自分の時間を奪われていると感じてなりません。

 

「20歳の女性」と書いてくださった観客のご意見は、また違います。

――私は、インターネットでつながっていない時代を生きていません。その時代の一人としては、けっして人間関係がうすいなどと思ったことがないです。むしろ、すぐに友達・家族に相談できる環境です。

 

「組織」と「個人」の問題に言及されている方もいました。

――組織の中での個人のあり方という普遍的なテーマで、感情移入しやすかった。自分自身も同じような問題に直面しており、色々と考えさせられた。

――実際の教育委員会とは異なるのかもしれませんが、いつの時代も、すじの通らない事がありますね。私も一社会人として日々闘っています。

 

主人公の女性副校長については。

――皆、理不尽さを抱えながら生きている―という言葉が、とても共感できました。

――自分の信念を貫くために降格をも辞さない副校長に感動した。自分にはできないことだとは思ったが、多少は信念を貫く勇気も必要だと感じた。

 

「降りる」ということについて、こんなお言葉も。

――降りる人…人には降りているように見えても、本人(教頭先生)は降りてはいない…

――現代や社会に向けてメッセージを発するという演劇の役割に、きちんと向き合っておられると思いました。「降りる」ことに対して希望を持たせていただき、静かな元気が出ました。

 

ご感想・ご意見の一部を紹介させていただきました。当たり前なことですが、ご感想は一色ではなく、多岐に亘っておりました。

(あらかじめ、引用させていただくお許しを得ていませんでしたが、ご寛容のほどお願い致します。)

 

公演の4日後、反省会をもちました。

アンケートもその場で1枚1枚読ませていただきました。

皆さまから沢山のご意見・お言葉をいただき、多少前進した部分はあるものの、「確かに、こむし・こむさの俳優の演技やドラマトゥルギーは未熟。」というミムラ氏の指摘は、私どもにとって、まだまだ心して克服していくべき大きな課題であると感じました。

いや、演技もドラマトゥルギーも、果ての無い課題なのかもしれません。

その、果てが無いと思われるものに向かって、第6回公演そして、その先へと歩き続けていきたいと思っております。

 

PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  
<< February 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM