「鮨」渡せる・渡せないの境目

  • 2018.10.31 Wednesday
  • 17:44

「小説についての小説」その148

 

阿川弘之の『鮨』(新潮文庫、日本文学100年の名作第8巻所収)を読んだ。

 

文庫本で14ページしかない短い小説。

主人公は「彼」となっているが、おそらくは阿川弘之本人のことではないかと思われる。

「彼」は、地方の町で開かれたセミナーに参加した帰り、駅まで見送りに来た主催者側の人から、特急列車に乗る際に弁当入りの紙袋を手渡される。

さてその弁当をどうするか、……ああでもない、こうでもないと「彼」が考え、ついにどうしたのか、読者の興味を作者は上手に引っ張っていく。

 

弁当を食べてしまえば、それで話は終わりとなるのだが、ささっと食べてしまえない事情があった。

その町から、終着駅の上野までの所要時間は3時間少々、東京に着いたら「人と遅めの夕食の約束があ」ったのだ。

かと言って「彼」は、「四十何年前の、餓えて苦しくあさましかった時代の記憶が残っていて、無駄にしてしまえばいいと」思う人でもない。(『鮨』は「新潮」の1992年1月号に掲載されたそうだから、40何年前といえば、戦中や、戦後の焼け跡・闇市の時代だろうか)

 

食べるなら食べる、食べないなら食べない、……そうしておけば、事態を複雑にしないで済んだのかもしれないが、「多少腹が空いていないでもなかった」ので、「彼」は弁当の中身を確かめてしまう。いろいろな具の入った巻寿司だった。

思案したあとで、「一つだけ」そう自分に言い聞かせて、好物の太巻の海苔巻きを食べてしまう。

さて、残りをどうするべきか?

 

「列車の中で巻寿司を大分つまんだもんですからと、晩餐の席へ気乗りのせぬ顔を出すのは、待ってくれている先方に対し無礼であろう。」……だから、残りを食べるわけにはいかない。

では、家に持って帰るか? 夜遅くに持って帰っても、誰も食べない。冷蔵庫に入れられ、いずれ、ごみとして捨てられてしまうに違いない。

手をつけていない弁当なら、列車の車掌さんに受け取ってもらう手もあったが、今はもうそれも出来ない。

 

そんな「彼」の頭に浮かんできたのが、上野駅の地下道の浮浪者の姿だった。……「あの連中の一人に食ってもらうというのはどうだろう。」

だが、列車の車掌には渡せないものを、浮浪者になら渡していいのかと「彼」は考え、出した結論は、「こちらに、蔑む気持恵む気持さえ無ければ、構わないのではないか。」というものだった。

 

そう決めると、浮浪者が登場する冒険小説を読んだことやら、元新聞記者の友人や、東京国立博物館に勤務する友人から聞いた浮浪者の話やらが、「彼」の頭に思い浮かんでくる。

また、食べ残しの弁当を渡したときに、浮浪者が「どのような反応を示すか、見てやろうじゃないかと思っ」て、いろいろと考えを巡らす。

〇先ず、「貰ってやるからその辺に置いときな」と、見向きもされない場合。

〇次は相手が酔っていた場合。

〇たとい酔っていなくても、剣突を食わされる場合もあり得る。

 

列車が上野駅に着き、「彼」は地下道に行く。

スポーツ新聞を読んでいた浮浪者に、「彼は手短かに事情を話し、よかったら食ってくれないかという意味の二た言三言、早口で言って、紙袋を持ち上げて見せた。」

すると、その浮浪者は、「彼」が列車の中でいろいろと想像した反応とは、全く別の反応をしたのだった。

その浮浪者は立ち上がり、不動の姿勢に近い姿勢をとって一礼し、

「戴きます。有難うございます。」

と言って、両手で巻寿司の入った紙袋を受け取ったのだ。

 

その、「直立不動の姿勢をとって、有難うございますと、両手で受け取る」動作から、浮浪者は「彼」と同世代の人間で、陸海軍のどちらかに従軍した兵隊だったのではないかと推測する。

一週間後、「彼」は上野駅の地下道を再び訪れ、あの浮浪者を探すが、見つけることは出来なかった。

 

……こうして、『鮨』のストーリーを細かく追ってきたが、それというのも、初めに『鮨』を読んだとき、相手が浮浪者であるにしろ、食べかけのものを渡すという行為は「どうなんだろう?」と、疑問を感じたからだった。

 

もし、自分であれば、(奇麗であるにしろ)一部分手をつけたものを、人に上げたくないし、貰いたくないという気持ちがある。

戦中・戦後の食糧のない時代であれば、自分よりも、困っている人、飢えている人に、食べ物を分けてあげることに、疑問は感じないだろう。分けてもらうことも、有り難いことと感じるに違いない。しかし、現代、おそらく『鮨』が書かれただろう1991年では、「どうなんだろう?」と考えてしまうのだ。

 

『鮨』を何度も読むうちに、「彼」には、浮浪者を「見下す気持」や「蔑む気持」や「恵む気持」がないことは分かってきた。

しかし、それでもやはり、「彼」も迷っていたように、列車の車掌さんには渡せないものを、どうして浮浪者には渡せるのだろうか、という疑問は消えない。

「渡せない」と「渡せる」、その境目は何なのだろうか?

「見下す気持」は無かったにしても、「彼」には「見下ろす気持」は本当に無かったのだろうか。

 

青来有一氏のメタフィクション

  • 2018.09.16 Sunday
  • 16:10

「小説についての小説」その147

 

青来有一の『フェイクコメディ』(「すばる」2018年9月号)を読んだ。

 

主人公の長崎原爆資料館の館長である「わたし」は、小説家でもある。

「来年三月、わたしは定年をむかえる。三十代のなかばから公務のかたわら、物書きとして小説を書くようになり、これからようやく自由に書くことができるという待ち遠しさが大きい」

とあるので、「わたし」は青来有一氏自身であるようだ。

 

このブログの「その134」で、私は同じ青来有一氏の小説『小指が燃える』に触れたが、『フェイクコメディ』は、小説の書き方が、『小指の燃える』に似ている。

どのような書き方かと言うと、『フェイクコメディ』の中で、筆者がこんな風に書いている。

「わたし自身のなにげない日常を私小説仕立てにして、そこに現実に存在はしても、まず出会うことのない人物を登場させ、現実と小説世界を融合した一種のメタフィクションだ。」

と。

 

「現実に存在はしていても、まず出会うことのない人物」は、『小指が燃える』では、「元都知事で作家の石原慎太郎氏」であり、「被爆者である作家の林京子さん」だった。

そして、今回の『フェイクコメディ』で、長崎原爆資料館を密かに訪ねてくるのは、なんと、「キッシンジャー元国務長官」であり、「ドナルド・ジョン・トランプアメリカ合衆国大統領」なのだった。

 

資料館の展示を見たあとに、トランプ大統領はこんなことをキッシンジャー氏に言う。

「この施設は申し分がない……、小さいがすばらしい展示ではないか。ナガサキのこの原爆資料館を、どうだろう……、マンハッタン計画の関連施設を国立公園にするという計画があっただろう? わが国でここをそっくり買い取って、その関連施設のひとつにくわえるのはどうだろうかね。」

 

キッシンジャー氏はうなずいて、

「なるほど、他国の国民への警告にはなるかもしれませんなあ」「核の抑止力を補完するうえで、民衆の無意識への心理的な効果ぐらいは発揮するかもしれません」

などと応える。

 

「ちがう、ちがう、そうじゃない」

と「わたし」は、トランプ大統領とキッシンジャー氏の間に割り込んでいこうとする。

「ここは核兵器の威力を誇る施設ではない、その恐ろしさを伝える施設なのだ、アメリカの偉大さを讃える施設でもなく、人類の未来への警鐘となる施設であって、わたしはその館長なのだ。」

と。

 

ところがそのとき、後ろから複数の腕が伸びてきて、「わたし」は眠りに落ちてしまう。

その夜、「わたし」が目を覚ましたのは、自宅マンションの近くの公園のベンチの上だった。

 

その夜にあったことを忘れてしまったと思ったが、やがて記憶が戻ってくる。だが、

「トランプ大統領が原爆資料館におしのびで見学にきたなど、だれが信じてくれるだろう。」

とも思う。

「結局は一夜の茶番劇、コメディとして語るしかないのかもしれない。」「ニセの大統領やニセのキッシンジャー元国務長官が登場するコメディとして、こうなったら書くしかないのだろう……」

 

そうして、話は小説の冒頭に戻り、小説『フェイクコメディ』の幕が上がっていく。

 

「メタフィクション」

一歩間違えれば、穴がボロボロと開いた、話にならない小説になってしまう危険性があるように感じる。

しかし、自由な小説世界を創造する手法として、『小指が燃える』そして今回の『フェイクコメディ』を、興味深く読んだ。

北朝鮮で作家になるには…

  • 2018.09.12 Wednesday
  • 21:21

「小説についての小説」その146

 

2012年の8月、ヤン・ヨンヒ脚本・監督の映画『かぞくのくに』をテアトル新宿で見た。

1970年代に「帰国事業」で日本から北朝鮮に渡った兄が、病気を治療するために、特別に許されて日本に戻ってくる。(兄役=井浦新)

その兄を迎える妹(安藤サクラ)をはじめとする家族たちの心情。そして、突然もたらされる、北朝鮮への帰国の指令。

フィクションではあるが、ヤン・ヨンヒ監督の重い、切実な体験に裏打ちされ、一本、ぴんとしたものに貫かれている映画で、印象に残っている。

 

そのヤン・ヨンヒ監督が、「週刊文春」(2018年6月21日)の書評欄で、金柱聖(キム・ジュソン)の『跳べない蛙 北朝鮮「洗脳文學」の実体』を取り上げていた。

「北朝鮮」という語と、「文学」という語の取り合わせが、私には新鮮だった。

そういえば、北朝鮮では、文学がどのように取り扱われているのか、考えてみたこともなかった。北朝鮮における文学とは? その実際を知りたいと思い、『跳べない蛙』を読んでみた。

 

『跳べない蛙』の著者・キム・ジュソン氏は在日三世として日本で生まれて育ったのち、『かぞくのくに』の「兄」と同じく、1970年代に北朝鮮に帰還している。

なお、キム・ジュソン氏は、1959年から1980年代半ばまで続いた「帰国事業」について、「帰国」とか「事業」という表現をするのは適切ではないと書いている。

それでは、「帰国事業」と呼ばれるものはいったい何だったのか? キム・ジュソン氏はこう言っている。

「朝鮮戦争直後、不足している労働力と経済力などを補給するために金日成氏が誘(おび)き寄せた犠牲者たちが、在日帰国者だったのではないだろうか。」

 

北朝鮮に渡ったその日に、キム・ジュソン氏はそこが「地上の楽園」ではないことを思い知らされる。

そもそも北朝鮮に渡ったキム・ジュソン氏が、「思ったことや考えたことをノートに書き出すように」なったのは、「小説の中でならいくらでも日本に行けるんじゃないか」と考えたからだという。

「自分を作中の人物に設定して舞台を日本にすれば、いつでも日本に行けるようになる。」

キム・ジュソン氏は作家になることを目指した。

しかし、2009年に脱北し、現在は韓国で脱北者の支援活動などをしているとのことだ。

 

日本であれば、いろいろな経路をたどって作家になっていくことが可能だが(もちろん、作家になれない可能性も十二分にあるが)、北朝鮮では、そのルートが一つしかない。

それは、作家も、国の、というよりも朝鮮労働党の支配下に組み込まれているからだ。

 

朝鮮労働党には宣伝扇動部という部があり、その下に朝鮮文学芸術総同盟が組織されている。

この文学芸術総同盟の中に、音楽家、美術家、舞踊家、演劇人、映画人、写真家、作曲家、そして作家と、個々の同盟が設けられている。

さらに作家同盟には、道・直轄市ごとに支部があり、本業作家(正式同盟員)、兼業作家(候補同盟員)、アマチュア作家(群衆文学通信員)という階層がある。

 

キム・ジュソン氏は、大学を卒業し、体育の教員をやっていた頃に、本格的に小説を書き出した。

そして、作家同盟の「群衆文学通信員」に登録した。

1年に1度、通信員の講習があり、作品が「合格」すると、作家同盟の月刊誌に掲載される。この月刊誌に、短編小説が3作以上、エッセイが2作掲載されると、アマチュア作家から兼業作家に昇格するシステムになっているらしい。

キム・ジュソン氏は、兼業作家の地位までたどりついたものの、本業作家にはなれなかった。

 

作家になるためには、好きなことを好きなように書いていてはいけない。

北朝鮮では、作家は「職業的革命家」とも呼ばれている。つまり、「革命を本職とする者」であるということだ。

そして、「あの国での“革命”とは、ひたすら金氏(一族)だけを敬い、彼(ら)のお導きによって、完璧な社会主義制度を建てるための活動を指す。」

その理念を実現させる役割が作家にあり、だからこそ「職業的革命家」なのだ。

 

従って、北朝鮮で最も評価されるのは、「金一族の功績と人物を題材にした物語」ということになる。

「抗日パルチザン物」や、「朝鮮戦争後から現在までの社会を背景にした物語」も評価が高いが、キム・ジュソン氏は「日本を背景にした」「総連幹部と在日を主人公にした物語」を書いていた。そのような題材を扱った小説は「海外物」と呼ばれ、思想的・政治的に評価の低いジャンルに属していた。

キム・ジュソン氏はついに、本業作家になる夢を諦めた。

 

ありきたりな感想になるが、好きなことを好きな風に書ける環境というものの有難さを『跳べない蛙』を読んで感じた。

文学に限らず、芸術全般をお上が支配し統率する世界には馴染むことができないと、書くことは容易いが、そのような体制の中に置かれたときに、果たして自分がどのように生きていくのか、いけるのか、考えると、立派なことは言えない。

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