「家族熱」舞台化そしてノベライズ

  • 2018.07.15 Sunday
  • 16:07

「小説についての小説」その141

 

6月に東京芸術劇場で芝居『家族熱』を見た。

向田邦子がシナリオを書き、TBSが1978年に放送した連続テレビドラマを、二人芝居にしたものだった。

シナリオを諸田玲子が小説化したものが、文春文庫から出ていたので、ぜひ読んでみたいと思った。 

 

小説の書き出し。

<表札の上を蝸牛が這っている。

 眠気を誘うような歩みにつれて、

 黒沼謙造――。

 いかめしい文字が見え隠れしている。>

 

小説が、どの程度、向田邦子のシナリオに忠実に書かれているのか分からないが、この書き出しの部分を読んだだけで、描写が細かいことが分かる。

また、映像が鮮やかに浮かんでくる文章だ。

 

芝居『家族熱』は、後妻に入った母親・朋子と、7歳しか年の違わない先妻の息子・杉男の二人にしぼって舞台化されていたが、そんな二人の微妙な関係性も、こんな風に描かれている。

麻酔医をしている杉男が、夜勤明けに帰ってきて、玄関先で浴衣姿の朋子に迎えられる場面。

 

<(略)朋子は「あら」と杉男の顔を見た。「徹夜すると、杉男さんでも、ヒゲ、伸びるのね」

 顔を寄せられ、杉男はどきりとした。くるりと踵を返す。家のなかへ駆け込み、二階につづく階段を上がりかけて、「お母さん」と振り向いた。

「ほどけてる……」

 あわてて締めた半幅帯がほどけかけている。>

 

お互いが、相手の細かい部分を見ていて、しかもその視線が、ヒゲとか、半幅帯とか、普通の母と子とは違うところに向けられているところ(当人たちは、意識していないのかもしれないが)など、どこか危険な香りが漂ってきて、上手い。

 

……ということで、小説『家族熱』、けっこう面白く読み進められるかと感じたのだが、そのうちに、つぎつぎと別の登場人物たちが出てきて、そのそれぞれが緻密に描かれていくのを追っていくうちに、テレビドラマを小説化したものと、純粋に初めから小説として書かれたものの違いを感じるようになった。

 

『家族熱』がそうなのかどうかは分からないが、もしテレビドラマに登場した人たちをすべて小説にも登場させ、場面をすべて再現していくとしたら、どうしても小説としては長くなっていかざるを得ない。

 

文春文庫の表紙を見ると、<向田邦子原作 家族熱>とある。

諸田玲子氏が小説化をしたことは、巻末に諸田氏と向田和子氏(向田邦子の妹)の対談が掲載されていて分かるけれども、あくまでも向田邦子の『家族熱』であって、諸田玲子の『家族熱』ではないらしい。

 

そうである以上、諸田玲子氏は原作に忠実にならざるを得ないし、まして視点をしぼったり、登場人物を整理したりすることは出来ないに違いない。

もしかしたら、諸田氏はいろいろ手を加えたり、省略したりして、小説として読みやすくしてくれているのかもしれないが、(私の場合)『家族熱』を小説として読み続けることが辛くなってしまった。

 

今回、シナリオを原作とした舞台『家族熱』と、シナリオを原作とした小説『家族熱』に触れることが出来た。

舞台の方は、だいたんに脚色されて、たった2人で演じる芝居となり、ある意味、原作とは別の作品になっていた。

シナリオを小説化することをノベライズと言うようだけれども、その場合、原作と、どの程度距離を置くことが許容されるのだろうか。

ノベライズ、という分野について考えさせられた。

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  • 2018.11.15 Thursday
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