「草薙の剣」と2019年4月〜5月の日々

  • 2019.05.24 Friday
  • 19:20

「小説についての小説」その166

 

橋本治の『草薙の剣』(新潮社)を読んだ。

小説は「スーパーマーケットにいる夢を見た。」という文で始まる。

誰が夢を見ているのか? 普通、誰か、一人の人物が見ているのだろうと思うところだ。

だが、『草薙の剣』の場合、一人ではなかった。6人の男が見ていた。

62歳の昭生。52歳の豊生。42歳の常生。32歳の夢生。22歳の凪生(なぎお)。12歳の凡生(なみお)。

 

本の表紙に、『草薙の剣』がどんな小説なのか、分かりやすくまとめた文章が印刷されていたので、引用させていただく。

「10代から60代まで、10歳ずつ年の違う男たちを主人公に、彼らの父母、祖父母までさかのぼるそれぞれの人生を、戦前から平成の終わりへと向かう日本の軌跡のなかに描きだす。敗戦、高度経済成長、オイルショック、昭和の終焉、バブル崩壊、二つの大震災。」

 

そう、……主人公が6人もいる上に、さらにその父母や祖父母の代までをも描いていく。その構想に、まず、驚かされた。

(あとでご紹介する随筆の中で、橋本治は『草薙の剣』の「本当の主人公として存在するのは、そのバラバラの六人の動きが示す『時の流れ』の方です。」と書いている。)

そしてその構想を、単なる着想に終わらせることなく、緻密に、ひとつの長編小説として組み立てていく、建築家のような力に圧倒された。

 

本の表紙にはこんなことも印刷されていた。

「ごくふつうのリアルな日本人の心の100年を描いて、読者をさまざまな記憶でつよく揺さぶりながら、戦後日本の行き着いた先としての現代のありようを根底から問い返す。」

 

「読者をさまざまな記憶でつよく揺さぶりながら」とあるが、それは全く、その通りだった。読みながら、私も幾度となく過去にさかのぼって、考えさせられた。

例えば、「第二章 終わってしまった時代」に、こんな記述があった。

 

「しかし一九七〇年代の終わりになると、その喫茶店の中に電子回路が組み込まれたゲーム用のテーブルが続々と運び込まれるようになり、人々は宇宙からの侵略者を撃退するゲームに夢中になった。喫茶店のドアを開ければ、『ピュン! ピュン!』という電子音が容易に聞こえて、まさかそれが新時代の到来を告げるようなものであるなどとは、誰も思わなかった。」

 

確かに「まさかそれが新時代の到来を告げるようなものであるなどとは、誰も思わなかった」かも知れないが、のちになって、あのインベーダーゲームから、別の時代に入っていったのだという実感が私にもある。

私はゲームについて何も知らないが、ひとがやっているのを見ていて、インベーダーゲームについて、単純・素朴という印象を抱いていた。

大掛かりな装置を必要としたゲームが、やがて、もっと手軽に、個人的にも楽しめるものに進化・発展していった(知らないのに言っています)。その後のゲームの変化・変容を考えると、インベーダーゲームは原始的な感じさえするし、その分、まだ人間的だったのではないだろうか、とゲームに触ったこともないのに思っている。 

 

「第四章 よどみ」は、つぎのような記述で始まる。

 

「その四年後、在位の天皇が去って、『昭和』という時代が終わった。しかし、時代というものは、チーズや肉の塊のように、切り分けて簡単に区切りが作られるものではない。時代というものは、多くの人々が籍を置く地の上を流れる雲のようなもので、たとえ多くのメディアが声を揃えて『一つの時代が終わった』と言ったとしても、世に生きる人々は深くうなずいたりはしない。『戦争が終わった』というのならともかく、人はただ『そうか』と思って聞き流す。」

 

橋本治がここで言っていることは、その通りだと私も思う。

昭和とか平成というのは、そのときの天皇の、(古い言葉で言えば)御世を表しているのであって、一つの御世が終わったからといって、それが即、一つの時代の終わりになるわけではない。御世の移り変わりと、時代の移り変わりは、同一ではない。

ただ、昭和天皇が崩御したあのとき、私は「一つの時代が終わった」という感覚を抱いたように思う。1945年、進駐軍の背の高いマッカーサーの横に立たされ、写真を撮られた、敗戦国の小柄な天皇。その天皇の死は、メディアが言うからではなく、戦後生まれの私にさえも、「昭和という時代が終わった」という実感を抱かせた。

 

「第五章 草薙の剣」には、2000年の出来事に関する、こんな記述がある。

 

「その一月、新潟県の柏崎市で、母と同居する無職で独身の男が、九年間自宅に若い女を監禁していたことが発覚した。驚くべきは、その期間が九年の長きに亘り、同居の母親が二階の部屋に見知らぬ若い女がいるのを知らずにいたことだった。日本の社会の底に、不気味な菌糸が根を張っているようだった。」

 

「日本の社会の底に、不気味な菌糸が根を張っている」……そんな感覚は、19年後の現在の感覚でもあるように思う。否、菌糸のはびこりは、さらに侵攻しているのかもしれない。社会の底に根を張るどころか、いつのまにか茎を伸ばし、目の前にありありと姿を見せているようにさえ感じる。

 

橋本治は亡くなってしまった。2019年1月29日没。享年70。

関川夏央が「文學界」の2019年4月号に、「九十八まで生きるんじゃなかった?」と題する追悼文を書いていた。

それを読み、2018年の5月に、顔面上顎洞に癌が見つかっていたのだと知った。

 

『草薙の剣』は第71回野間文芸賞を受賞し、その受賞記念の企画として、橋本治は「随筆『草薙の剣』」を2019年1月の「群像」に寄せている。

その「随筆」のシメの文章が印象深い。橋本治はこう書いている。

 

「私は、戦争の終わった昭和二十年のような特殊な例を除いて、『時代がある時はっきり変わる』という考え方をしません。前の時代の中に後の時代は胚胎していて、やがてその特徴がゆっくりと浮かび上がって来るのだと思います。だから、まだ『昭和』であるはずの一九八〇年代は、既に『プレ平成』であり、もう昭和が終わったはずの一九九〇年代は『ポスト昭和』なんじゃないだろうかと思います。在位の天皇のあり方によって『時代が変わる』になってしまうと、自分を語る言葉を持たないままに逝ってしまったとても多くの「豊生の父」が見えなくなってしまいます。『時代を書く作業』がそのことによって『人を抹消する』になってしまうのが、私はとてもいやです。」

 

橋本治は、平成が終わる前に亡くなった。

だから、平成から令和に切り替わる、2019年4月〜5月の日本を目にしていない。

目にしていないけれども、2019年の4月末に向かっては「時代が終わる」と、そして5月1日以降は「令和の時代が始まった」と、多くのメディアが声を揃えて言い続けた、そのことを橋本治は言い当てている。

メディアだけではない。いろいろな団体、組織がこぞって、(それぞれの思惑があってのことだろう)「令和」「令和」と新しい「時代」を押し出し、そこに乗ろうとしているように見える。

 

先に述べたように、たしかに私は、昭和天皇崩御の際には、「一つの時代が終わった」という感覚を抱いた。

けれども、今回の天皇譲位にあたっては、一つの時代の終わりとも、一つの時代の始まりとも思うことはなかった。

繰返しになるが、『草薙の剣』第四章の冒頭で橋本治は、

「たとえ多くのメディアが声を揃えて『一つの時代が終わった』と言ったとしても、世に生きる人々は深くうなずいたりはしない。」と、書いた。

そんな「人々」の一人として、私も2019年4月〜5月の日々を過ごしてきたし、過ごしていこうと思っている。

 

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