抑制の効いた「泣いた赤鬼」

  • 2019.06.17 Monday
  • 15:26

「お芝居つまみ食い」その275

 

2019年6月14日公開

「泣くな赤鬼」製作委員会

原作 重松清『せんせい。』(新潮文庫)所収「泣くな赤鬼」

脚本 上平満、監督 兼重淳

『泣くな赤鬼』

新宿バルト9にて

 

「赤鬼」というのは、高校の野球部の監督の先生の綽名だ。正確に言えば、「綽名だった」。今は別の高校に転勤して、やっぱり野球部の顧問をしてはいるのだが、「赤鬼」とは呼ばれず、名字が「小渕」なので、「ブッチー」と呼ばれている。

以前つとめていた高校では、甲子園出場を目指して、グラウンドで鬼のような形相で指導をしていたので、生徒たちから「赤鬼」と恐れられていたのだが、今は野球に対する情熱も失せてしまった風だ。(演ずるのは堤真一)

 

胃腸(?)の具合も良くなくて、診察を受けに病院に出掛けたところ、待合室で、以前の高校で野球を指導していた「ゴルゴ」という綽名の「元生徒」と再会する。

この「ゴルゴ」という生徒、野球の才能は人一倍あるのだが、努力を持続させることが出来ない性格で、今ひとつ、その才能を生かし切れないところがあった。そこで、「赤鬼」は「ゴルゴ」のポジションだった3塁に、もう一人、真面目な選手を起用して、競わせ、発奮させようとした。しかし、「ゴルゴ」は発奮しなかった。逆にクサってしまい、野球部をやめ、あげくの果てには高校まで退学してしまった……。そういう「元生徒」だった。

けれど、そんな「ゴルゴ」も、今は工場でちゃんと働き、結婚もして、赤ん坊もいる「大人」になっていた。アロハを着て、髪を金色に染め、しっかりした「大人」には見えない風体だけれど。(演ずるのは柳楽優弥)

 

野球部の熱血先生「赤鬼」……、その先生に「泣くな」と言うからには、さぞかし「泣かせる」ストーリーになっているに違いない。どうやって「鬼の目にも涙」を流させ、観客の涙を誘うのだろうか? その辺の映画の作り方への興味が、私に無かったとは言えない。

 

「鬼の目にも涙」を流させる要素になったのは「癌」だった。

一児の父親とは言っても、まだまだ若い「ゴルゴ」が、癌を発病してしまい、余命半年と診断されたのだ。(そういえば、「赤鬼」と「ゴルゴ」が再開した場所は病院だった。)

 

「俺は人前では泣かない」……そう言って、かつて甲子園出場のかかった県大会決勝で敗れたときも涙を決して見せなかった「赤鬼」。そんな「赤鬼」も、「ゴルゴ」の死に直面すれば、おそらく号泣するに違いない。

体育部の熱血指導者だった教師と、癌によって余命を宣告されたその教え子。

物語とすれば、「絵に描いたような」お話で(とは言っても、なかなか上手く書けるものではないけれど)、観客も(少なくとも私は)涙をしぼりとられることを覚悟させられる展開だった。

 

「御涙頂戴」という評言ないし悪口がある。

もしかしたら、そんな映画になるのかもしれない。そんな予想をした。

……しかし、『泣くな赤鬼』はそうではなかった。

 

もちろん、「ゴルゴ」が徐々に死に向かっていく場面、そして、ついに死を迎える場面で、私も、ほかの観客も(すすり泣く声が聞こえた)泣きはした。

けれど映画は決して「御涙頂戴」ではなく、ギリギリのところまで抑制されていた。そのことに私は強い共感を覚えた。

 

その「抑制」を体現していたのが、役者さんたちの演技だった。(その陰には、監督の意図もあったのだろう。)

「赤鬼」の堤真一、「ゴルゴ」の柳楽優弥だけでなく、「ゴルゴ」の妻を演じた川栄李奈、「ゴルゴ」の母を演じたキムラ緑子の演技もまた、内側から思いが自然にあふれ、そこで生きているように受け止められるものだった。これみよがしの、オーバーな演技は無かった。

 

「ゴルゴ」の死の間際、「赤鬼」は泣いた。鼻水を垂らして。

私は死んでいく「ゴルゴ」が「赤鬼」に向かって、「泣くな赤鬼」と言うのではないかと思って見ていた。けれど、そんなシーンはなかった。

ただ、何か、「ゴルゴ」が手ぶりで、「赤鬼」にサインを送った。それから「ゴルゴ」は息を引き取った。

 

あれは何のサインだったのか……? 

あとでパンフレットの、監督へのインタビュー記事を読んでみた。その中で、最後のサインについても語られていた。

 

「ゴルゴ」は高校生のとき、「赤鬼」監督が、「バントをしろ」というサインを出したにも関わらず、それを無視してヒットを放つような選手だった。そんな場面が確かにあった……。

そのエピソードが、死の場面のサインにつながっていた、ということを知った。兼重監督はこう語っている。

 

「それこそゴルゴが拒んだバントは犠牲打。自分がアウトになっても仲間をひとつ進塁させるプレイです。ゴルゴが死ぬ間際にするサインはそれなんです。病院へ見舞いに来た赤鬼先生が、もう甲子園を諦めたことを正直に話すわけですが、それを聞いたゴルゴは自分が先生の背中を押さなくてはと考え、“俺は死んでいくけど、みんなの想いを受け止めて、先生は一歩踏み出して欲しい”という想いを込めてあのバントのサインをするんです。」

 

「ゴルゴ」の高校時代のバント拒否のエピソードが、最後の最後できちんと回収されたことに、気づけなかったのは残念だった。しかし、「泣くな赤鬼」などと「ゴルゴ」に言わせる私の夢想より、無言のサインを師弟が交わすほうが、遥かにいい。帽子を脱ぎたい。

 

「ゴルゴ」の死と、そのサインがカンフル注射になったのだろう、「ゴルゴ」の死後、「赤鬼」は変身する。やる気が見えなかった野球部の監督としての役割に、再び燃え始めるのだ。

若者の成長物語ならぬ、「おじさん」の成長物語風で、そこのところはちょっぴり「型通り」に感じなくもない。しかし、ここで、「ゴルゴ」の遺志をしっかりと受け止めて、本来の「赤鬼魂」を取り戻し、元気に躍動する姿を見せてくれなければ、映画は確かに終わらない、というところなのだろう。

 

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