憂鬱ー国賓を迎える春を前にして

  • 2020.01.22 Wednesday
  • 18:05

「劇団は今日もこむし・こむさ」その280

 

2020年1月20日、第201通常国会が召集(「招集」ではなく、召集令状などと同じように、「召集」と書くものらしい)されて、安倍首相が施政方針演説をおこなった。

今回の施政方針演説に対しては、ある関心を抱いていた。日本の首相として、香港やウイグルの問題について、どのように触れるのか? また、中国の習国家主席を国賓として迎えることについて、どう考えているのか? それらについて、ぜひ、知りたいと思っていた。

 

1月21日に新聞に掲載された演説を読んでみた。けれど残念ながら、私が期待していたことに関して、具体的な言及はなかった。ただ、中国については、つぎのように語られていた。

 

「日本と中国は、地域と世界の平和と繁栄に、ともに大きな責任を有しています。その責任をしっかり果たすとの意志を明確に示していくことが、今現在の、アジアの状況において、国際社会から強く求められています。首脳間の往来に加え、あらゆる分野での交流を深め、広げることで、新時代の成熟した日中関係を構築してまいります。」

 

この中の、「首脳間の往来」の1つが、「習近平主席の国賓としての来日」なのだろう。

 

同じ日の新聞に、雑誌「正論」2020年2月号の広告が出ていた。

見ると、「中国への決意」という文字が大きく印刷され、その右に、

「安倍晋三首相 田久保忠衛と櫻井よしこに『戦略』を語る」

左側に、

「習近平『国賓』反対されても迎える理由は…」

とあった。

 

首相が習近平主席を国賓として迎える理由は何なのか? その「戦略」とは何か?

ぜひとも知りたいと思わせる広告だったので、町に一軒だけ残っている本屋さんまで足をのばして雑誌を買ってきた。

 

何故、習近平主席を国賓として招いたのか? その意味について、首相はこう語っていた。

「その意味は、令和の新しい時代がスタートした中で、日中両国は互いに地域、そして世界の平和と安定と繁栄に大きな責任を共有しているとの認識を確認し、責任を果たすべきとの認識を共有する機会なのです。その責任感の下に、国賓としてお招きするという判断をしました。」

この語り口は、施政方針演説での言い方とほとんど同じだ。

 

聞き手の田久保忠衛氏(杏林大学名誉教授)の質問が、興味深かった。

「習氏を国賓で招いた場合、必ず天皇陛下の訪中ということになります。また、国賓で迎えるタイミングが、香港で血塗られる事件が起きている最中で、桜の花の観賞ということになると非常にまずいな、という懸念があります。」

 

国家主席の国賓としての来日に対して、今度は、天皇の訪中の問題が出てくる。そのことについて首相はどう考えているのか? その答えに注目したが、そこに触れることはなかった。

ただ、香港に関しては、

「先般、習首席、それから李克強首相と首脳会談を行った際にも、香港における自制を強く求め、対話によって解決すべきだということを強く求めました。」

と述べた上で、

「先ほど申し上げましたように、国賓としてお招きするということは、両国が地域の平和と安定に責任を持っている、また責任を持つべきだという認識を共有する機会とするわけですから、われわれも努力をしますが、中国側にもその努力をしていただきたい。」

と、同じ言い方を繰り返すのにとどまっている。

 

もう一人の聞き手、ジャーナリストの櫻井よしこ氏の質問も、つっこんだものだった。

「香港問題が起きて、世界の世論はガラリと変わりました。ウイグル問題も出てきました。新しい状況が出る前に提案したこととはいえ、方針転換できないものでしょうか。それに、国益に反するのではないかと思うのです。」

 

方針転換できないものか? それは、まさに、私も訊きたいことだが、首相の返事は、田久保氏への返事とほぼ変わりのない、つぎのようなものだった。

「繰り返しになりますが、まさに国賓というのは日本人にとって極めて重要なことなんです。この重要な訪問ということからも、お互いに責任をしっかりと認識をするという訪問にしたいと考えています。」

 

田久保忠衛・櫻井よしこ両氏のインタビューに答える首相の言葉を読んで、分かったことがある。

それは、「国賓」として招待をした上で両政府が話し合いをおこなうことは、通常の首脳会談よりも重要度が増すのだ、という安倍首相の「国賓」のとらえ方だった。

 

そのとらえ方は、前回引用させていただいた長谷川幸洋氏の、「国賓として招待するからこそ、日本は言いたいことが言えるレバレッジが効く。」という考え方と共通している。

(レバレッジというのは、梃子(てこ)を使えば重い物でも持ち上げられる原理・効用のことのようだ。)

 

2019年12月23日、北京でおこなわれた日中首脳会談で、安倍首相は香港の情勢や、新疆ウイグル自治区の人権問題についても触れたようだ。だが、習国家主席はそれについてはこれまでと変わらず、「内政干渉」として受けつけなかった。

 

果たして、習近平主席が国賓として来日したとき、香港、ウイグルを含め、さまざまな問題に対して、どのような態度をとるのか? 首脳会談のレベルと変わらないやりとりで終わってしまうのか?

「国賓」の重みは、どれほどに相手方と共有できるものなのだろうか。

2020年の春。日本が、中国の国家主席を国賓として迎え入れたことだけが、事実として後世に残ることだけは避けたい気がする。

 

中国の主席を国賓として迎えるー割り切れぬ思い

  • 2020.01.22 Wednesday
  • 13:41

「劇団は今日もこむし・こむさ」その279

 

このブログの「その275」の最後に、つぎのように書いた。

 

「アメリカのトランプ大統領は、11月27日、『香港人権民主法案』に署名をした。ひるがえって、日本の国会では香港の人権や民主主義について、どのように論議がなされているのだろうか?(ひょっとしたら、少しも論議されていない?)

来年の春、日本政府は中国の習近平主席を国賓として迎えようとしているらしい。経済問題などがあって、政治的に判断しているのかもしれないが、香港の現状を考えると釈然としない。」

 

中国の、人権を無視した横暴は、香港に対してだけでなく、新疆ウイグル自治区の人々に対しても向けられているという報道が、2019年の11月下旬から、新聞でも詳細になされるようになった。それらの報道は、憶測や伝聞ではなく、中国の内部文書をもとにしたものであったので、生々しく、衝撃的なものだった。

 

そんな中国の、最高責任者である習近平主席を、国賓として日本に迎えなければならないという……。その割り切れない思いは、増すことはあっても薄まることがない。

 

Hanada」2020年2月号に、ジャーナリスト長谷川幸洋氏の、「中国内部文書が明かしたウイグル弾圧の惨」と題する文章が掲載された。

長谷川氏は、中国共産党によって、現在新疆ウイグル自治区でおこなわれていることについて、こう書いている。

「これは、ほとんどナチスの強制収容所に匹敵する、と言ってもいい所業ではないか。ガス室にこそ送っていないが、有無を言わさぬ強制連行の末、強制的な思想改造教育と徹底的な監視、ときには拷問も加えて、ウイグル人の人権と生活、文化、宗教を破壊しているのだ。」と。

 

このように書く長谷川氏だが、習近平主席を国賓として招待することについては、つぎのように述べている。

「私は国賓招待かどうかに関係なく、なにより日本がウイグル人に対する人権弾圧問題を含めて、中国に指摘すべき点をしっかり指摘する。そこがもっとも重要であり、それさえできれば、国賓であっても構わないと考える。」と。

 

氏は、そう考える理由を4つ挙げていて、その「第一」として、つぎのように言う。

「これはそもそも日本側から持ちかけた話である。いったん『国賓としてお招きしたい』と言っておきながら取り消すのは、外交として非礼だ。香港のデモは三月から始まっていた。(中略)それらの問題を取り消しの理由に挙げるなら、日本は六月時点で『国賓として招待したい』と言うべきでなかった。」

 

「第二」としては、

「国賓として招待するからこそ、日本は言いたいことが言えるレバレッジが効く。」

「第三」は、

「ここで国賓招待をキャンセルすれば『日本はトランプ政権が対中対決姿勢を強めているから断ってきた。日本はやはり米国のポチだ』という話になりかねない。」

そして「第四」は、

「根本的な話をすれば、残念ながら、日本は中国の脅威に自分だけでは対処できない。ベースとなる国力に圧倒的な差があるからだ。(中略)日本は日米同盟を維持しつつ、すぐ隣の中国とは二枚腰、三枚腰で付き合い、脅威をコントロールせざるを得ないのだ。」

……と。

 

私は、特に「第一」の理由を読み、一度、政府として、正式に「国賓として招待をした」ということの意味の重大さを認識させられた。

これが、国賓として招待をしてしまう、その前であるならば、「招待をするな」という意見を述べることに躊躇はない。

しかし、すでに招待をしたあとになって、それを中止せよと言うのはどうなのだろう? 果たして、その声は有効に働くものなのだろうか?

 

問題は、2019年の6月の段階で、政府が国賓として招待したことにあるのであって、今となっては、引き返せないところに来てしまっている……、ということなのかもしれない。

そうは言っても、中国の国家主席を国賓として迎えることの、悩ましい思いは晴れることがない。

「パラサイト 半地下の家族」の坂と匂い

  • 2020.01.18 Saturday
  • 17:11

「お芝居つまみ食い」その288

 

2020年1月10日より全国ロードショー

2019年 韓国

製作 Barunson E&A

脚本・監督 ポン・ジュノ

『パラサイト 半地下の家族』

TOHOシネマズ錦糸町にて

 

『パラサイト 半地下の家族』という題名に惹かれるものがあった。

何を見て、それを知ったのかはっきりしないが、韓国に半地下の部屋が多いのは、かつて、北朝鮮の核攻撃から身を守るために造られたものが、現在まで残っているからだという知識(?)があった。

また、一時期、韓国のドラマを見ていたときに、半地下の部屋がけっこう登場していたことが思い出された。

 

ポン・ジュノ監督には、高い評価を受けている作品がたくさんあるようだが、私は2009年の『母なる証明』しか見ていない。キム・ヘジャ、ウォンビン、チン・グの演技が強く印象に残っており、あの『母なる証明』の監督の映画ならば、ということもあって、何か月かぶりに映画館に出かけた。

 

『パラサイト 半地下の家族』で描かれた半地下の部屋の状況は、ドラマで見慣れていた部屋よりも、ずっとリアルで、深刻なものだった。

ドラマに出てくる半地下の部屋は、貧しい若者の、一時的な生活の場であることが多かった。

けれど、『パラサイト 半地下の家族』の半地下の部屋は、4人家族が暮らし、その生活臭がぷんぷんと匂うような場所として描写されていた。

もう、いい年齢である父親と母親、そして大学受験を繰り返している息子、やはり大学を目指している妹。半地下ではなくて、日の当たる部屋に住みたいのだろうけれど、それが果たせず、やむを得ず暮らしている。4人には定職も、バイトの口さえもない。収入は、ピザ店の箱を組み立てる内職で得られる賃金だけなのだ。

 

しかし、大学に合格できないでいる息子が、大学生である先輩から、IT企業の社長の娘の、家庭教師の職を運よく引き継いだことから、この家族の運命が開けていく(ように見える)。

高台の豪邸に住むIT企業の社長には、妻と、娘と、息子がいる。

浪人中の息子は大学生だと偽って、社長の娘の家庭教師になりすます。そのうえ妹を、社長の息子の美術教師として豪邸に潜入させることに成功する。

どうやら、半地下の家族たちには「詐欺師的才能」が備わっているようなのだが、それは「生活の知恵」の一種と言うか、生きるための、やむにやまれぬ行為とも受け止められる。

 

そして、さらに……と、話の続きを書きたいところなのですが……。

映画を見たあとで買って帰ったパンフレットに、「ポン・ジュノ監督からのお願い」が載っていて、その中で監督がこう言っている。

「本作をご紹介頂く際、出来る限り兄妹が家庭教師として働き始めるところ以降の展開を語ることは、どうか控えてください。みなさんの思いやりのあるネタバレ回避は、これから本作を観る観客と、この映画を作ったチーム一同にとっての素晴らしい贈り物となります。」と。

 

 

韓国のドラマや映画を見ていると、(たぶん、ソウル市を舞台にしたドラマだと思うが)坂道が出てくることが多いことに気づかされる。

一つの坂を上るだけでなく、さらにその上にも坂道がつづき、何段もの階段をのぼった先に、ようやく目指す家が現われたりする。

 

若いうちならともかく、そんな高い所に、年取ってからも住み続けなければならないとしたら、大変だなあと、ドラマや映画を見ていて思う。

半地下の部屋も住みやすいとは言えないだろうが、坂道の上の、車も入れない階段の先の住居もまた、住みやすいとは言えないのでは? と感じる。

 

しかし、『パラサイト 半地下の家族』のIT企業の社長の豪邸は、高台の上にあった。

同じ高台でも、場所によっては、自動車で上り下りする道が整備されて、高級な邸宅が建つ高台もあれば、土地を求めて、やむなく上へ上へとのぼっていった所に家が建てられた高台もある、ということなのだろう。

 

『パラサイト 半地下の家族』で印象的だったのは、雨の中、半地下の家族が、高台の豪邸から、半地下の部屋のあるふもとの町へと、徒歩で下っていくシーンだった。

坂道を下り、長い階段を下っていく。これでもか、これでもか、というほどに、延々と下っていくシーンが、象徴的に感じられた。

高台の豪邸と、ふもとの町の半地下の部屋。分かりやすい図式と言ってしまえば、その通りだが、それを映像で、的確に表現し尽くしているところに魅力を覚えた。

 

また、私にとって、「新しい」と感じられたのは、「匂い」だった。

ポン・ジュノ監督が「匂い」に着目して、それを映画の重要なシーンで、ある人物がとった行動の、決定的な動機として使っていることに、思わず「はっ」とさせられた。

高台の邸宅の、無味無臭のような世界と、半地下の、さまざまな匂いが煮詰められたような世界。生活臭のない空間と、人間臭さが横溢した空間。

高台と低地の世界の対比・対立と同じように、「匂い」にも対比・対立が見てとれること。ポン・ジュノ監督は、それを「匂い」のない、映画という映像の中で描いてみせた。

 

松下洸平は「無名」ではない

  • 2020.01.10 Friday
  • 17:19

「お芝居つまみ食い」その287

 

NHKの連続テレビ小説は『梅ちゃん先生』(2012年上半期)以降、見ていなかった。

しかし、2019年の師走、なにげなくチャンネルを回したら(……ではなく、なにげなくリモコンの「1」を押したら)松下洸平の顔が映った。

松下洸平がこんな朝早くから、何の番組に出演しているのだろうと思ったら、現在放送中の連続テレビ小説『スカーレット』だった。

 

松下洸平が演じていたのは主人公(戸田恵梨香)の夫の、陶芸家の役だった。舞台ではないから勿論声をはることもなく、きわめて静かに、けれど感情の襞を的確に表現していて、さすがだと感じた。

それで、松下洸平の演技目当てで、『スカーレット』を見ることにした。朝、見逃したときはお昼の再放送を忘れずに見た。1度その両方とも見ることが出来ないことがあったので、1週間の放送のダイジェスト版も見たりした。

けれど、およそ1〜2週間見続けたあと、『スカーレット』を見るのを止めてしまった。

 

それは、主人公の父親の造形(当該の俳優だけでなく、ドラマ全体としての造形)に疑問を感じたからだった。父親は癌(?)を患っていて、余命いくばくもないというストーリー。人がひとり亡くなってしまうのだから、もちろん見ているほうも、切実な感情を抱かざるを得ない。けれど、考えてみると、よくあるパターンをなぞっているように思えた。

その上、重い病気にかかって亡くなっていく父親が、いっこうに病身に見えてこないのも、なんだか変だなあと感じさせた。最期、眠るようにして臨終を迎えるのだが、肉厚の顔や、陰りのない健康的な肌つや、たくましい首周りの筋肉……、とうてい死に行く人の姿には見えなかった。ただ気持ちよさげに昼寝をしている姿に見えた。それなのに、周囲の俳優たちは深刻な顔をして、人間の死を痛烈に受け止めるかのような演技をしている。

 

朝っぱらから、お茶の間に(……ではなく、リビングに)、ひとの「死」をリアルに表現した映像を届けられないという配慮から、そうして、ドラマを「浅く」「軽く」「綺麗に」しているのかもしれないが、いくら松下洸平が出演しているといっても、これから先、見続ける意欲がなくなってしまったのだった。

 

 

2020年になって、1月16日発行の「週刊文春」の広告が新聞に出た。

どんな記事が載っているのだろうと、小さな活字の部分まで確認したら、

「戸田恵梨香から『顔の薄い人』スカーレット松下洸平の表情が消えた」

と題する記事が掲載されていることが分かった。

“顔の薄い人”って、何なのか?

“松下洸平の表情が消えた”って、何なのか?

 

まんまと宣伝文句につられてしまったのかもしれない。気になって、「週刊文春」を読んでみたところ、どうということもないことが書かれていた。

“顔の薄い人”というのは、主人公の父親を演じた役者さんが「濃い顔」をしていて、その顔と対比して、松下洸平の顔が「薄い」と、戸田恵梨香が感じたという話だった。

“表情が消えた”というのは、ドラマのクランクインのとき、緊張して、「顔から表情がなくなっていた」と、松下洸平自身が語ったというだけのことだった。

 

「週刊文春」の記事を読んで感じたのは、松下洸平のような演技の実績を持つ俳優であっても、マスコミに取り上げられると、まるで新人のような扱いを受けるのだなあ、ということだった。

いわく、「松下は舞台やミュージカルでキャリアを積む一方、朝ドラのオーディションを何度も受けては落ちてきた過去を持つ苦労人だ。」

いわく、「これまでは無名で、連ドラももっぱら単発出演に留まってきた松下。まさにシンデレラボーイだ。」

 

2014年6月、新国立劇場小劇場で『十九歳のジェイコブ』(原作 中上健次、脚本 松井周、演出 松本雄治)で松下洸平の演技を見て以降、目にとまった限りではあるけれど、その舞台を追ってきている身としては、テレビの人気者にならないかぎり、無名も同然というマスコミの扱い方は、どこかおかしいのではないかと思う。

松下洸平が「これまでは無名」って、記事を書いた記者が知らなかっただけなのではないだろうか?

 

松下洸平が演じた『木の上の軍隊』(2016年、作 蓬莱竜太、演出 栗山民也)の新兵や、『母と暮らせば』(2018年、作 畑澤聖悟、演出 栗山民也)の息子など、記事を書いた記者が、ひとつでも観ていたなら、その書き方は、別のものになっていたのではないだろうか? 

もし、観ていたならば、「朝ドラのオーディションを何度も受けては落ちてきた」とか、「連ドラはもっぱら単発出演に留まってきた」とか、まるで、テレビドラマの主要キャストにならなければ、うだつのあがらない無名の俳優にすぎない、といった風な書き方は出来ないに違いない。

 

もちろん、役者の実力が認められて、テレビや映画にたくさん出ることは決して悪いことだとは思わない。だが、演劇の世界での仕事そのものが、もっと評価されてもいいのではないかと思う。テレビや映画に出ることや、有名になることが、役者として「階段を上る」ことなのだ、というマスコミや世間のとらえ方は、浅すぎるのではないだろうか。(逆に言えば、演劇という文化が、まだまだ日本に深く定着していない表われなのかもしれない。)

 

松下洸平は『スカーレット』をきっかけにして、もしかしたら、近頃よく言われる「ブレイク」を果たすのかもしれない。それはそれで当然のような気もするが、仮にそうなったとしても、彼には舞台の仕事から離れずに、演劇の道を究めていってほしい。そう願っている。

香港理工大学・学生会長の言葉

  • 2019.12.28 Saturday
  • 16:31

「劇団は今日もこむし・こむさ」その278

 

現在2019年の師走だが、月刊誌はもう2020年の2月号が発売されている。

「WiLL」(ワック出版局)と「Hanada」(飛鳥新社)の2月号には1編ずつ、香港情勢に関する記事が載っていた。

2編とも、11月中旬、香港中文大学と香港理工大学でなされた、若者たちの闘いについて書かれていた。

 

「Hanada」に掲載されたのは、ジャーナリストの福島香織氏の「香港現地レポート 中国は世界最悪、最凶の暴力のプロ」と題する記事。

ただし、福島氏自身が大学に入っての記事ではなく、福島氏の友人・取材協力者である若者たちが現場で見聞きし、体験したことをもとにしてのレポートだった。

 

福島氏の友人・取材協力者たちが現場から持ち帰った映像や情報から、福島氏はこのように書く。

「大学のなかでの抵抗者たちの姿は、警察の暴力に怯え、袋の鼠となって、逃げ惑い、重傷を負い、涙を流しながら、それでも香港の自由を守りたいと訴えていた。」

……そこには、“英雄的”な姿ばかりではなく、リアルな若者たちの姿があったようだ。

 

11月18日の未明、香港理工大学のキャンパスに警察が突入した。そのときの様子についても、福島氏はこう伝える。

「抵抗者たちが果敢に火炎瓶を投げ、突入してきた警察の装甲車が燃え上がった様子がテレビの映像で報じられていたので、互角に戦っていたように見えたかもしれないが、抵抗者たちの多くは追い詰められ、怯え、うろたえていた。」……と。

 

そして……。

「手製のボウガンや火炎瓶で応戦しようとする抵抗者たちに、警察は『実弾をもって反撃する』と警告していた。投降して出てくるようにとの呼びかけに応じて、一部が武器を捨て指定された入り口から出ると、すでに無抵抗なのにもかかわらず、地面に押し倒され、殴る蹴るなどの激しい暴行を受けた。顔を蹴られる者もいた。セルフメディアや医療ボランティアまでもが、そうした暴行を受けたうえで問答無用で逮捕された。

 この様子を見て、抵抗者たちは怖くなり、投降したくとも投降できなくなっていた。」

 

「WiLL」には、写真家・宮嶋茂樹氏が「戦場・緊急報告! 火炎の香港は今――」という記事を寄せていた。宮嶋氏撮影の写真も6葉掲載されている。

 

宮嶋氏は11月16日に、単身、香港理工大学に入っている。

その深夜、「早くも警察の偵察部隊が姿を見せると、学生らは投石と火炎ビンで応戦。一進一退の後、一部正門まで警察に押さえられるが、何とかその夜は守り通した。」

……宮嶋氏は、「もはやキャンパスから出るに出られず、学生とともに籠城する覚悟を決めるしかなかった」という。

 

翌日11月17日、宮嶋氏は、高圧放水車が放つ、催涙成分と有害な刺激物質が混ぜられている青い水を、頭から大量に浴びせられてしまう。

「のたうち回って悲鳴上げ、構内の医療テントに駆け込んだが、激痛で目も開けられない。(中略)消火栓から真水を浴びせられ痛み止めクリームを塗られても、まだ激痛が引かない。」

 

11月18日。

「八時を回ったころ、どこに隠れていたのか黒ずくめの学生が大量に現れ、正門に突進し始めた。まるで硫黄島の玉砕覚悟の突撃みたいである。火炎ビンが自決用の手榴弾に見える。学生の顔に昨夜までの笑顔や余裕は見えない。というか悲愴感が漂う。

 女子学生もカップルも、火炎ビンを手に正門を出るやいなや勢いよく四方に散開した。」

 そうして、銃声と爆発音が鳴り始め、警察部隊が進入してくる中を、宮嶋氏も大学を脱出する。……宮嶋氏は幸運にも脱出できたものの、学生たちのほとんどは逮捕された、という。

 

「逮捕」の意味は重い。

逮捕されて、「暴動罪」が適用されれば、最悪、懲役10年の刑を受けることになるのだ。

 

一度脱出した香港理工大学を、その後も宮嶋氏は訪れている。

記事の最後のほうに登場する、学生会長の話が、胸に痛かった。

 

「その日、最後まで残っていた学生会長が投降した。(中略)学生会長はカメラの前でも素顔を晒していた。そればかりか、『水はあるか?』『外国人でも遠慮しないで、食堂に行けばお湯とカップ麺とリンゴがありますよ』と気を回してくれた優しい学生会長であった。

 十年の服役となるかもしれない後悔を記者に問われ、彼はこう答えた。

『自由のために戦った結果の十年の不自由なんて、短いもんです。』」

 

……もう、何も言えない

成河を狂わせよー「タージマハルの衛兵」

  • 2019.12.22 Sunday
  • 12:02

「お芝居つまみ食い」その286

 

2019年12月7日〜23日

新国立劇場 演劇 2019/2020シーズン

シリーズことぜんVol.3

作 ラジヴ・ジョセフ、翻訳 小田島創志、演出 小川絵梨子

『タージマハルの衛兵』

新国立劇場小劇場

 

成河の芝居は、3月にDDD青山クロスシアターで見た『BLUE/ORANGE』以来だ。

時は1648年、舞台はインドのアグラ。

登場するのは、建設中のタージマハルの衛兵2人のみ。

演ずるのは成河と、文学座の亀田佳明(よしあき)。上演時間は1時間35分。二人芝居での1時間35分だから、けっこうなセリフの量だろう。

成河のストレートプレイをたっぷりと楽しめるに違いないと、期待をしつつ開演を待った。

 

いきなり、カーテンコールの話に飛ぶが、熱い拍手を送るような心の高ぶりは無かった。けれど、拍手をしたくない訳ではなく、落ち着いて、しっかりと拍手を送った。2回で終わるかと思ったが、カーテンコールは3回おこなわれた。私も、ずっと拍手し続けた。

 

初台から新宿へ。新宿で各駅停車の総武線に乗り換えて家路を辿るあいだ、私は、何故自分が、静かな拍手しか送れなかったのか、なぜ力強い拍手をすることが出来なかったのか、その理由をずっと考えていた。

 

タージマハルの2人の衛兵は、幼馴染で、親友でもあるらしい。しかし、似た者同士ではなく、対照的な気質を持っている。

成河が演じた「フマーユーン」という若者は、皇帝シャー・ジャハーンの支配について、疑いを抱いていない。権力に対しては、服従しなければならないという考えを持っている。しかも、父親が、衛兵の組織の、高い地位に就いているという家庭で育った。

 

フマーユーンは、普通の人であり、常識人なのだが、一方の、亀田佳明が演じた「バーブル」という若者は、個性的で、自由な発想をする。

 

この、仲のよい、けれど、気質・考え方の異なる2人に、決定的な転機が訪れる。

それは、タージマハルの建設にたずさわった2万人の人間の、手首から先を切り落とすという任務を、2人が命じられ、それを実行させられた後のことだった。

 

いわば自由人であるバーブルは、皇帝の考え方に疑問を抱く。

タージマハルは唯一絶対の「美」を具現化した存在である。タージマハルが完成した今となっては、もう、タージマハル以外の「美」は存在してはならない。だから、タージマハルの建設に関与した2万人の両の手首を切断し、二度とタージマハルのような「美」を創り出させないようにする。……それが、最下層の衛兵の若者2人に、2万人の手首を切り落とさせた理由だった。

 

バーブルは、皇帝の考え方に、真っ向から、異を唱え始める。

「美」を限定すること、「美」の可能性を閉ざすこと、「美」を断ち切ってしまうことは許されない……と、教養があるとも思えないバーブルが、皇帝の考え方の誤りを直感的に認知し、愚直に糾弾し始めるのだ。

そして、バーブルが行きついたのは、「皇帝を暗殺しなければならない」という結論だった。

 

常識人フマーユーンは驚く。

バーブルが、もし皇帝暗殺の挙に出てしまったら、親友は捕らえられ、殺されてしまう。

フマーユーンは、衛兵の幹部である父親に助けを求める。

バーブルの助命の代償として、父親がフマーユーンに命じたのは、バーブルの手首を切り落とせ、というものだった。

 

フマーユーンは泣く。

泣きながら、親友バーブルの手首に、何度も剣を振り下ろし、ついに切断してしまう。……少なくとも、親友の命だけは、……それだけは、守れた。

 

芝居の最後のシーン。独りで、衛兵として立ち続けているフマーユーンの姿だけが、暗闇に浮かんでいる。

彼は何も語らない。語らないが、私には、彼の思いが伝わってきたように感じた。

「バーブルを助けるためには、こうするより、仕方なかったんだ……」

 

……と、『タージマハルの衛兵』を振り返ってみて、どうして、終演後の拍手が重かったのか、その訳がわかったような気がした。

「こうするより仕方がない」という「現実」。その「現実」の生きがたさを、露わにしたところで、幕が下りた(と言うのは、あくまでも私の感じ方だが)、そのことに、違和感があったのだ。

 

ひと昔前の私なら、そんな幕切れでも、共感することが出来たかもしれない。

しかし、「現在」の世界においては、「そこ」で立ち止まっていていいのだろうか? と思うのだ。

皇帝シャー・ジャハーンに象徴されるような「権力」の横暴は、さまざまな形で、「現在」の世界でも、如実に顕現されている。

けれど、たとえば香港では、その「権力」の横暴に対して、「仕方がない」と、ただ立っているだけではなく、……死を賭している人々がいる。

この「現在」の世界と引き比べて、新国立劇場小劇場の舞台の最後のシーンは、少し「ずれて」いはしないだろうか?

棒立ちしている、無言のフマーユーンで、あっていいのだろうか?

 

 

パンフレットを読むと、成河と亀田佳明に出演のオファーをしたとき、フマーユーンとバーブルのどっちの役を演じてもらうかを、演出家は決めていなかったそうだ。

さらに、本読みの段階に入っても、役は固定されていなかったらしい。

 

演出の小川絵梨子氏の言によれば、

「最終的には、観客の想像を少し裏切れるかなという期待も含め(笑)フマーユーン=成河さん、バーブル=亀田さん、という配役でお願いをしました。」

ということになったらしい。

 

たしかに、成河が、のびやかな発想をする若者=バーブルのほうを演じるのが、順当だったように思う。けれど演出家は、その想像を裏切るかたちで、成河に、制約の中でもがく若者=フマーユーンを演じさせることにした。

その意図は分からない訳でもないが、私は、やっぱり、成河にバーブルを演じさせるべきだったのではないかと思う。

 

BLUE/ORANGE』を見たあとの感想(このブログの「その267」)で、何故、成河はクリストファーの役を章平に譲ってしまったのか? と書いた。

成河は狂気(「凶器」と書き換えてもいい)を身にまとう役者だ。

BLUE/ORANGE』のクリストファーも、今回の『タージマハルの衛兵』のバーブルも、狂気を孕んだ成河のような役者が演じてこそ、なのではないか?

 

もし、『タージマハルの衛兵』で、成河がバーブルを演じていたら(亀田佳明の演技をけなすつもりは無く、役者のタイプの違いがあるという話です)、時代の枠を飛び越し、制約を制約と感じない、それだけに危険な、しかし、だからこそ希望でもあるバーブルが現出したのではないか?

……となれば、舞台に棒立ちしているフマーユーンではなく、棒立ちするフマーユーンの脳裏に浮かんで消えない、「美」の守り人=バーブルの姿が、観客と共有されて幕が下りたのではないだろうか?

 

「現在」の世界を打開する途は、フマーユーンの進む方向には無く、バーブルの進む方向にあるのだと思う。

選択肢

  • 2019.12.19 Thursday
  • 12:16

テレビCM

「買わないという選択肢は無いやろ」って

あなたは怖い目をして言いますけどね

買わないという選択肢は、あります

 

買わないだけじゃありません

行かない

見ない

使わないという選択肢

うなずかない

笑わないという選択肢だってあります

そもそも

選択しないという

選択肢だってあるはずです

 

ところで

生きないという選択肢は

あるのでしょうか

 

生きづらいです

もうこの辺でと

思うことがあったりもします

でも

つぶやいています

あなたのように怖い目をしたりしないで

おどおどと

「生きないという選択肢は無いやろ」って

 

2019年12月19日

「気がつけばこんな詩が」236

初めての、すみだ北斎美術館

  • 2019.12.16 Monday
  • 11:32

「劇団は今日もこむし・こむさ」その277

 

すみだ北斎美術館で開かれている『北斎視覚のマジック 小布施北斎館名品展』を見に行った。地元にある美術館なのだが、入ったのは、今回が初めてだった。

外観もこじんまりとしているが、実際、中に入っても、コンパクト、といった印象だった。

 

美術館は3年前、2016年に開館した。いつでも行けるという気持ちがあったのだろう、わざわざ出向く気にならないでいた。

ところが、このブログの「その274」で書かせていただいたように、雑誌「テアトロ」の2019年12月号に、津嘉山正種氏の対談が載っていて、その中で氏が、小布施の北斎館で見た「龍が昇っていく絵」について語っているのを読んだ。

氏は、北斎が、90歳くらいの年齢になっているのに、「やっと自分らしい絵が描けるかもしれない」と、その龍の絵に書き込んでいることに感銘を受けたと話していた。90歳にして、なお「発展途上」の気持ちでいることに、氏は打たれたようだ。

 

また、新宿の紀伊國屋に行ったときだったろうか。地下道を歩いていたら、力強い波と、不死鳥を思わせる鳥(?)をあしらったポスターが、壁面に貼られていた。『北斎視覚のマジック 小布施北斎館名品展』の広告だった。その、波と鳥(?)の色と形が、斬新だった。

 

……ということで、劇団の第6回公演が終わって4日目のこと、すみだ北斎美術館に出かけてみたのだった。

 

館内は広い感じではなかったが、展示されている作品は充実していた。

肉筆画、摺物、版画、版本……という風に区分けされるようだが、バラエティに富んだ絵たちが並んでいた。

 

私の中の何かが、はっきりと感応したのは、つぎの3つだった。

 

<チラシやポスターに使われていた、あの、波と鳥(?)の絵>

実は、祭屋台の天井に北斎が描いた「男浪」と「鳳凰」なのだった。

「男浪」は波がしらが無数の節くれだった男の手の指のようで、ガシ、ガシ、ガシッと空をつかんで駆け上り駆け下り、波と波が闘っているように見えた。奥の方へと続いていく、青い波のトンネルからは、時代を超えて、今どきのサーファーが飛び出してきてもおかしくない。それほどに、現代的な絵だった。

「鳳凰」はもう訳が分からない。「の」の字に体をくねらせ、ぎっと天空を見上げた鳳凰は、そこで、ぴたっと静止しているようにも見えたし(歌舞伎で、役者が見えを切っているように)、轟音を上げながら羽根を回転させて飛び去っていく、その刹那であるようにも見えた。黒の中に、赤と金と茶と青など、強い色彩が張り合い、格闘し、豪奢だった。

 

<版画の藍>

版画は80点あまりも展示されていたが、私が特に惹かれたのは「冨嶽三十六景」で、その中の、「武陽佃嶌」「相州七里陝廖崛蟒G烝刑検廖崚貪壘芙臻楷蟷」「信州諏訪湖」「常州牛堀」「甲州三嶌越」といった作品に惹きつけられた。

同じ「冨嶽三十六景」でも、色の鮮やかなものもあるが、私の心が動いたのは、上記のような、ほとんど藍色一色で描かれたものだった。

その藍には、舶来の化学顔料プルシャンブル―が使われているそうで、「ベロ藍」と呼ばれるものであるらしい。ベロ藍。その世界に引き込まれてしまった。

 

<桔梗図>

今回展示されていた作品の中で、私が最も魅せられたのは、肉筆画の「桔梗図」だった。

扇面として描かれた小品で、祭屋台の「男浪」や「鳳凰」の作者と同じ人物が描いたものとは思えないほどの、繊細さがある。しかし、細い茎をすうっと長く伸ばして立つ桔梗は、その底に強さを秘めている。 

そうして、花びらの藍。……そこにも、藍があった。

 

宝暦10年(1760年)、江戸の本所に生を受けた葛飾北斎。同じく本所生まれの私は「ゆかり」を感じ、そのことから、かねて関心を抱いていたものの、深く知ろうとはしていなかった。

墨田区が美術館を建て、「葛飾北斎」「葛飾北斎」と言うので(そんなに言っていないかもしれないが……)、なぜか(子供のように)反抗心などを抱いたりして、わざと避けてきたきらいがある。だが、今回の美術館訪問を機に、私の中で、葛飾北斎を解禁しようという機運が盛り上がってきた。(だからといって、それがどうしたという話なのではありますが。)

 

第6回公演終了いたしましたーありがとうございました

  • 2019.12.11 Wednesday
  • 21:44

「劇団は今日もこむし・こむさ」その276

 

ありがとうございました

2019年12月7日(土)、劇団こむし・こむさ第6回公演をおこなわせていただきました。

雨模様の冬空のもと、大勢の皆様にお越しいただくことができました。まことにありがとうございました。

 

お詫び

まず、お詫びしなければなりません。

昼の回、予定の開演時間から、10分あまりも遅れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

劇場の受付から外にまで、お客様の長い列がつづき、ただでさえお寒い中を、長らくお待たせしてしまいました。すでに劇場内の座席にお座りになっていたお客様にも、ずっとお待ちいただくこととなりました。

日頃、観客として、お芝居が定刻通りに始まらないことがあると、「何をやっているんだろう」とヤキモキする私が、今回は長らく開演を遅らせる失態をしてしまいました。

受付のあり方、ご案内の仕方、さまざまな反省点がございます。このたびのようなことが発生しないよう、次回以降、改善してまいります。どうかお許しくださいますようお願いいたします。

 

皆様のご感想・ご意見

皆様方にお寄せいただきましたアンケートは、ただいま集約をしているところです。アンケートのほかにも、メールや口頭にて、たくさんのお言葉をいただきました。その一つ一つに対して真摯に向かい合い、次回への糧とさせていただきます。

 

原作者のご家族のご配慮・ご協力

『トラック島のヘル』は、広田和子氏の著書『証言記録 従軍慰安婦・看護婦』(新人物文庫)の中から、芸者菊丸さん(お芝居では菊千代とさせていただきました)のエピソードを取り上げ、舞台化したものです。

また、菊丸さんの取材を担当することになった、若き日の広田和子氏(劇中では久保)にも登場してもらい、2人の女性のやりとりの中から、戦前、戦後の日本の来し方を振り返ろうとするものでした。

広田和子氏は2018年に急逝されたため、ご家族の方に舞台化の許可をいただき、台本をお読みいただくところから、制作の仕事がスタートしました。プログラムにも書かせていただきましたが、ご家族には多くのご配慮・ご協力を賜りました。

今回の公演は、私ども劇団単独の力ではなく、ご家族と共同作業をさせていただいたという実感があります。

 

共同作業の歯車

今、「共同作業」という言葉を使いましたが、思い起こすと、今回の舞台は、さまざまな「共同作業」によって作り上げられたような気がします。

もともと演劇は、戯曲、演出、演技、装置、照明、音響、制作、表方……、専門的な各パートが、有機的に組み合うことによって成立するものですが、必ずしも、その組み合いが上手くなされるとは限りません。どこかに齟齬があったり、足らない部分があったりします。

しかし、劇団こむし・こむさも、遅々とした歩みながら、これまで歩み続けてきたおかげでしょうか、……今回の第6回公演では、「共同作業」の歯車が、いつもより滑らかに回転してくれたように思います。

 

演技者と演技者の共同

「共同作業」の進展は、演技者と演技者の間にも見られました。

衣裳などについては意見を言うことがあっても、ほかの演技者の演技に対しては、あまり、ものを言うことがなかったメンバーが、今回は積極的に、感じたことを発言することが何度かありました。言葉数の少ないその評言は、的確で鋭いものでした。

演技者同士が腹蔵なく、意見を言い合える稽古場。そんな稽古場をこれまでも望んできましたが、なかなか実現されないできました。けれど、今回の稽古場からは、変化のきざしを感じることができました。

 

客演者の助け舟

またある日、私はある演技者=Aに、ある場面で、「そこで、声を出して笑おうよ」と言いました。……しかし、Aは笑えませんでした。Aが笑うことによって、その場面の雰囲気が俄然変化すると考えていた私は、再び、「声を出して笑う」ことを要求しました。……だが、やはり出来ません。

何度目かの稽古のときでした。今回客演をしてくださった松本藍果さんが、稽古の合間に、Aと、演技のやりとりを自主的にしているのが目にとまりました。

果たして、次の稽古のとき、Aは楽しそうに笑うようになりました。客演者の助け舟によって、私は演出の意図を諦めずに済みました。

 

台本の修正

台本のセリフをたびたび修正するクセが、私にはあります。

稽古を始めた頃には存在していなかった人物が、のちのち出てきたり、そこに居たはずの人物が登場しなくなることもあります。

今回も、何度も修正を繰り返し、合計すると2〜30枚の新しいページを演技者に渡し、前の台本と差し替えてもらいました。

基本的には、自分の考えで台本を改めていきますが、今回は2度ほど、人の言葉をキッカケにして、台本を改訂するということが起こりました。

1度目は、表方の協力者が、稽古の様子を見に稽古場にやってきたときに発した言葉が、改訂のキッカケになりました。もう1度は、稽古場から最寄りの駅に向かう道すがら、客演者が発した言葉を聞いて、改訂を考えました。これもまた、「共同作業」の1つであったと思います。

 

おこがましいのですが

劇団こむし・こむさの音響・照明は、ずっと市来邦比古氏と、安達直美氏が引き受けてくださっています。これまでも、専門家として、私どものつたない舞台を、音で、光で、引っ張り上げてきてくれました。ですから、「共同作業」などと言うのは大変おこがましいのですが、今回、「はっ」とさせられることが幾つもありました。

 

「光」との共同

今回の装置は、天井から、ある工事用に使われるテープを吊るしました。巨大な鳥籠のような、閉塞的な状況を表現しようとしたものです。舞台奥のホリゾントの部分だけでなく、舞台前面の左右にも、2本ずつテープを吊り下げました。

その舞台前面のテープを見逃すことなく、照明家さんは「光を当てる」ことによって、閉塞感の表現に力を貸してくれました。(その照明を見て、私は思わず心の中で快哉を叫びました。)

 

「音」との共同

音響家さんもまた、私が想定していなかった音を、要所要所に入れてくれました。

海軍の航空廠の場面では、ラッパの音と、行進する兵士の軍靴の音。主人公の自殺の報のあとには、不穏なサイレンの音。……雑誌の編集部の場面で流れたのは電車の走行音でした。

劇中で「週刊芸能」と言っている雑誌は、「週刊アサヒ芸能」のことです。

1971〜2年当時、「週刊アサヒ芸能」の編集部はどこにあったのか? 調べてみたところ港区新橋にあったらしいと分かり、セリフに「新橋」という地名を入れ込みました。

新橋の町は線路にそって延びています。音響家さんはガードの上を走る電車の音を編集部の場面に流すことによって、土地柄をも表してくれました。脚本を書いた者としては、かゆいところにまで届いてくるような、それは嬉しい「音」でした。

 

第7回公演に向かって

次回は、2020年10月13日(火)シアターXにて、第7回目の公演をおこなわせていただくことになっています。

今回の「共同作業」の進展が幻に終わることのないように、「チーム」としての力を発揮して、次の作品に向かっていきたいと思っております。

次回の作品は、これまでにも増して、気概をもって「挑戦」する必要があると、今から臍を固めております。

どうか、また足をお運びくださいますよう、お願いいたします。

木村友祐ー「はじっこで暮らす者」の視点から?

  • 2019.12.10 Tuesday
  • 16:44

「小説についての小説」その182

 

11月の中旬、「すばる」2019年11月号に掲載されていた、木村友祐の『幼な子の聖戦』を読んだ。

実に久しぶりに、「圧倒的な作品」を「読んだ!」という気がした。「力」があり、「骨太」だった。「真っ向勝負」をしていると感じた。木村友祐という作家の存在を知ることが出来、嬉しかった。

 

……そこで、池袋の舞台芸術学院の発表会に出かけた帰りに、ジュンク堂に寄って、木村友祐の本を探してみた。4冊の単行本が書棚に並んでいた。その中で、最も発行日が古いものを選んでレジに持っていった。

2014年8月発行の『聖地Cs(せいちシーエス)』(新潮社)だった。

 

『聖地Cs』には2編の作品が収録されていた。表題作と、『猫の香箱を死守する党』。

2編を読み終わって感じたのは、『幼な子の聖戦』を読んだときと同様、「強い!」ということだった。

 

木村友祐作品の「強さ」はどこから生じているのか?……まだ木村友祐の作品を3つしか読んでいないけれども、少し掴めたように思った。

それは、ものごとの根本、基本、土台のようなところから、文章を紡いでいるからではないだろうか。大事なことにグサリと剣を突き立て、底の底、奥の奥から、言葉を発している……、そこから「強さ」が生じているのではないか。

 

『聖地Cs』の視点人物は33歳の「わたし」。彼女は、原子力発電所の事故のために、人が住むことの出来なくなった町の牧場=「希望の砦」に、ボランティアとしてやってきた。

被曝した牛たちに飼料をやる仕事をするのだが、飼料の牧草は、ほかの牧場から無料でもらってきた、放射能物質で汚れたものなのだった。汚染されていない牧草を食べさせてあげたいのはやまやまなのだが、寄付でなんとか運営している「希望の砦」には、資金が無いのだ。

別のボランティアの女性が言う。「牛を生かすっていうより、ゆっくり殺してるのかも」

牧場主は言う。「おれは牛たちと運命をともにするって決めたの。死に方を決めたの。」

 

「イチゴ」という名のホルスタインの話は無残であり、その描写は荘厳でさえある。

「震災直後の三月十五日あたりに生まれたから「イチゴ」と名づけられたその子は、死んだ母親のそばから離れようとしなかったそうです。母親がふいに倒れ、そのまま動かなくなる。乳がでないのに乳首を吸っているうち、ちいさな虫たちがにぎやかにからだを覆い、盛んに出入りし、母のかたちがだんだん変わっていく。嗅いだことのない異臭に覆われる。大きなからだを構成していたものがちいさな者たちに移されていく死の喧騒が通り過ぎると、静寂のなかに骨のかたちのまま盛り上がった皮が残される。」

 

『猫の香箱を死守する党』にも、動物が登場する。猫だ。

視点人物である「おれ」の飼っている「クロタロ」と、いわゆる野良猫たち。

「おれ」は「クロタロ」を可愛がっているが、野良猫に対しても、つぎのような見方・感じ方をしている。

「道で見かければかわいいと思う野良猫たちがつねにさらされている過酷さ。飼い猫の寿命は十五年前後だけれど野良猫はその三分の一の五年ほどだという。彼らは食べられなければ体力が弱り免疫が低下して病気になる。治療を受ければ簡単に持ち直すようなものでも野ざらしの猫にとっては命取りになる場合もあるだろう。そうしてだれにも知られずに自分がそこに暮らしていたという証も残さないままで死んでいく。」

 

野良猫たちに餌をやりに、高田馬場から中野まで、毎日やってくる女性が登場する。彼女はその餌やりを40年以上も続けている。メス猫には避妊手術を受けさせてもいる。

「おれ」が、その女性に「でも、四十年もよくつづけましたね。すごいと思いますよ。」と言うと、女性はこう答える。

「好きでつづけてたらそんなにたってたってことなんだけど。でもまぁ、猫が殺される社会は、ヒトも殺される社会だとは思っていたかな」

その意味を問うと、女性は言葉を足す。

「社会で何か異変が起こったとき、まずはじめに影響を受けるのって、そのはじっこで暮らしてる者じゃないかって」

 

木村友祐という作家は、まさに「はじっこで暮らしている者」の視点に立っている。

『聖地Cs』を読んで、失望感を感じてしまったら、もう木村祐介の作品を読むのはやめようと思っていたが、ここで止めることは出来なくなった。

 

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