芥川賞「送り火」の選評

  • 2018.08.26 Sunday
  • 16:09

「小説についての小説」その144

 

「文藝春秋」2018年9月号に、第159回芥川賞の選評が掲載されている。

高橋弘希氏の受賞作「送り火」が、どのように評価されているのか興味があって、読んだ。

 

批評として、最も強く響いてきたのは、高樹のぶ子氏の「青春と暴力」と題する選評だった。

 

高樹氏は、暴力といっても、直接的身体的なものもあれば、震災や、社会のシステムによるものもあるとした上で、

「こうした外的な力に対してどう身構えるか、反撃するか、屈服するか、屈服して何を得るか。その姿が青春小説だと言っても良いし、青春小説の魅力もそこにある。」

と書き、「送り火」に触れていく。

 

「けれど受賞作「送り火」の一五歳の少年は、ひたすら理不尽な暴力の被害者でしかない。この少年の肉体的心理的な血祭りが、作者によって、どんな位置づけと意味を持っているのだろう。それが見いだせなくて、私は受賞に反対した。」

 

「読み終わり、目をそむけながら、それで何? と呟いた。それで何? の答えが無ければ、この暴力は文学ではなく警察に任せれば良いことになる。」

 

たしかに高樹氏が指摘しているように、「暴力」が「作者によって、どんな位置づけと意味を持っているの」か、窺うことは難しい。「暴力」が投げ出されているように感じる。

 

ただ私は、同じ「文藝春秋」9月号に載っている「受賞者インタビュー」の中で、作者がこんな風に語っていることに注目した。

「実家近くの祭りは、結構怪しい雰囲気のお祭りで、子どものころに見て異様に感じた、というかドン引きしてた。」

 

これと同じことを、作者は新聞への寄稿文の中でも書いていた。(2018年8月8日付産経新聞、「芥川賞に決まって」)

「青森は私の出身地で、作中に登場するお祭りは、子供の頃に毎年観ていた。地方特有の土着的な祭りで、子供ながらに異様に思った、というかドン引きしていた。」

 

「地方特有の土着的な祭り」というと、もうそれだけで無条件に「いいもの」「懐かしいもの」と思いがちだが、高橋氏は子供のときから、そこに「怪しさ」「異様さ」を感じていたのだ。

「ドン引き」という言葉から、出身地の祭りに対する、高橋氏の「立ち位置」がうかがえる。

 

前回のブログの最後で書いたことと重複するが、「送り火」の最後の段落の文章はこうだ。

「焔と河の畔には、三体の巨大な藁人形が置かれていた。一つの影が、松明の炎を藁人形の頭部へと掲げる。藁人形の頭が燃え盛り、無数の火の粉が山の淵の闇へと吸われていく。それは習わしに違いないが、しかし灯籠流しではなく、三人のうちの最初の一人の人間を、手始めに焼き殺しているようにしか見えない。」

 

祭りにおいて、松明の炎で藁人形を焼く「習わし」、それを、「人間」を「焼き殺しているようにしか見えない」として作品を結んでいることに、私は作者の意図を感じる。

つまり、そこに、作者は「暴力」を感じているのではないだろうか。

 

吉田修一氏の選評は、ある意味、高樹のぶ子氏の選評に呼応している。吉田氏は、

「今作の転校生の主人公ではないが、この作者はいつもそこから立ち去りたがっているように思う。」

と書き、

「ある委員が、この作者が持つテーマとして「理不尽な暴力」という言葉を使われたのだが、それがとても肝に落ちた。」

と言う。「ある委員」というのは、おそらく高樹氏を指しているのだろう。

 

そして吉田修一氏は、続けてこう書いている。

「とすれば、願わくばいつの日か、この「理不尽な暴力」を前に立ち去らないと決めた作者の言葉を読んでみたい。」

なるほど、将来に望みを託す、そういう選評の書き方もあるのかと、発見した思いがした。

 

堀江敏幸氏の「索敵の果てに聞こえてくるもの」と題する選評は、吉田氏と違って、高樹のぶ子氏の批評と対立しているように読めた。堀江氏は言う。

「では、歩の受難と陰惨な場面の先になにがあるのか。それを問うことは、この作品においてあまり意味がない。異界のなかで索敵を終えた歩の、血みどろになって遠のいていく意識のなかで、シャンシン、シャンシンというチャッパの音を聴き取ることができれば、それでいいのだ。」

 

堀江氏は、「受難と陰惨な場面の先になにがあるのか。それを問うことは、この作品においてあまり意味がない。」としている。

「それで何?」と呟いた高樹のぶ子氏と、正反対の立場だ。

(こんな風に、作家たちが自論を堂々と述べあう姿を見るのは、とてもいいものだ。)

 

「シャンシン、シャンシン」という擬音が出てくるのは、上で引用した、最終段落「焔と河の畔には……」の、一つ前の段落だ。

 

「頭を打ったせいか、物音は聞こえない。流水の音だけが異常なほど鮮明に耳元から聞こえてくる。その流水音の遥か後方で、途切れ途切れ、しかし確かな響きで、何かが奏でられている。シャンシン、シャンシン――、その音色を聴くうちに、再び腹から込み上げてきて嘔吐した。」

 

私には、堀江氏が、なぜ、「シャンシン、シャンシンというチャッパの音を聴き取ることができればそれでいい」と言うのか、その理由が分からない。

この段落で重要なのは、主人公の少年が、「その音色を聴くうちに、再び腹から込み上げてきて嘔吐した。」という点なのではないか。

 

シャンシン、シャンシンという音が、主人公の少年に嘔吐を催させたのだ。

「嘔吐」という表現には、ただ体内のものを吐き出すだけでなく、現状を受け入れられない・否定する思いが込められている。

そして、次の最終段落において、焼かれる藁人形を、焼き殺される人間と少年に認識させて、作品は閉じられていくのだ。

 

 

高橋弘希「送り火」の”都会”と”地方”

  • 2018.08.13 Monday
  • 17:05

「小説についての小説」その143

 

第159回芥川賞は高橋弘希氏の『送り火』に決まった。

『送り火』が「文學界」2018年5月号に発表されたとき、私は読み始めたものの、数ページ読んだところで止めてしまっていた。

 

自分が読み通せずに終わった作品が、高名な文学賞を受賞したと知って、(だらしないことかもしれないが)もう一度読んでみようと思った。

 

主人公の「歩」は中学3年生、父親の転勤に伴って、東京から、津軽地方の山の中の集落に引っ越す。学校は第三中学校、同学年の男子生徒は「歩」を入れて6名しかいない。

委員決めが行われ、「晃」が学級委員長になり、転校生の「歩」が副委員長になった。

 

男子生徒たちをしきっているのは「晃」で、いじめの標的になっているのが「稔」だ。

「稔」は暴力を受け、缶ジュースやスナック菓子も買いに行かされる。

 

「1」〜「4」の章があり、「1」〜「3」の部分で語られてきたあれこれが、「4」の部分で集約され、明確化されるという構成になっている。

 

「4」で、「歩」は森の中の空間に連れていかれる。

そこには第三中学校の先輩の男たちと、第三中学校の3年生の男子たちが居た。

「晃の左瞼は紫色に腫れ上がり、唇の端には血痕が滲んでいた。」

男子生徒のリーダーである「晃」は、先輩の男たちに制裁を受けたのだろうか、すでに傷を負っている。

 

先輩の男は、かつて第三中学校で行われていたという「サーカス」という「遊戯」をする者を選べと、後輩たちに言う。

「サーカス」とは、縄で後手に縛り上げられ、駆けていって、直径60センチのボールに飛び乗る、というもの。

実は、今リーダーとして君臨している「晃」が、2年前、中学1年生のとき、上級生たちにいじめられ、「サーカス」をさせられていたということを、「歩」は知る。

 

しかし、今、常にいじめの標的になり、犠牲になるのは、「稔」だった。

「稔」は手を縛られ、助走し、ボールに飛び乗ろうとして失敗し、転倒する。……繰り返し、繰り返し。その結果、

「稔の左右の眼窩はテニスボール程にも腫れ上がり、もう顔貌が変わっていた。その赤紫色に脹れた瞼から、絶え間なく生血が染み出している。」

……それでも終わらない。さらに、陰惨な状態に陥っていく。

 

だが、ここに至って、ついに「稔」が反撃に出る。

どういう加減でか、「稔」の腕を縛っていた縄が解け、「稔」は持っていた刃物を取り出して、先輩の男の頸筋を切ったのだ。

それを見た「晃」は、「鳥の叫喚を上げ」、その場から逃げ出していく。

「歩」は、その「晃の突然の逃走の意味を理解」する。「晃は稔の復讐に怯え、子供のように泣き喚きながら逃げていった。あの男は学級のリーダーではなく、ただの弱虫の虐められっ子だったのだ。」

 

つぎに「稔」が凶器を手にして向かってきたのは、なんと「歩」だった。

「歩」はその事態の展開が理解できない。「歩」は叫ぶ。

「僕は晃じゃない! 晃ならとっくに森の外へ逃げてるんだよ!」

それに対する「稔」の言葉は意外なものだった。

「わだっきゃ最初っから、おめぇが一番ムガついでだじゃ!」

 

『送り火』はすでに文芸春秋から単行本として出版されている。

その書評を倉本さおりという書評家が新聞に書いているのを読んだ。(産経、2018年8月5日)

 

倉本氏は、主人公である「歩」について、厳しい見方をしている。

「歩は頭の良い子供だ。転勤族ゆえに場の空気を読むことに長け、物事を俯瞰しながら客観的にふるまう。だが俯瞰とはそもそも危うい言葉でもある。すなわち、高いところから見おろす――歩自身は無害で公平な立場を担っているつもりでいるが、その「視線」こそがある種の暴力であったことに読者はクライマックスで気づかされるのだ。」

 

中学3年生で転校していった、津軽の山の中の学校。少人数の学級集団の中に突然入りこむことになった少年に対して、その要求はあまりに高いのではないだろうか?

場の空気を読もうとするのは当然だし、一方に偏らずに、物事を俯瞰しようとするのも仕方のないことだし、客観的にふるまうことも、そこで生活していくためには必要なことだ。

 

これが、東京の中央線沿線に住んでいた少年が、津軽の山の中の中学校に転校していくのではなく、反対に、津軽の山の中で暮らしていた少年が、東京の区立中学校に転校していった場合でも、同じように厳しく言われてしまうのだろうか。

新しい環境の中で、できるだけ「無害で公平な立場」を維持して、知らない生徒集団に馴染み、その中で何とか生活していこうとすることに対して、それは「高いところから見おろす」視線だとされるのだろうか。

 

もし、「歩」の姿勢を批判するのなら、横暴なリーダーとしてふるまう「晃」の行動を抑制できず、「稔」にいじめと犠牲を集中させ続けている、ほかの男子生徒はどうなのだろう?

女子生徒たちはどうなのだろう? 教員たちはどうなのだろう? 親たちはどうなのだろう? 集落の大人たちはどうなのだろう?

知らなかったと言うのだろうか。少なくとも、女子生徒たち・教員たちのうちの誰かは、きっと知っていたはずだ。 

 

倉本氏は続けて、こう書いている。

「都会から来た者が地方へ向ける身勝手な感傷と蔑視。当事者であることを引き受けない態度。読者は歩の視点からつづられてきた美しい情景のすべてを無責任に消費していたことを思い知る。」

 

ここにもまた、先に引用した倉本氏の文章と同じ、ある視点がうかがえる。

「都会」と「地方」を並べ、一方を良しとし、一方に疑問符を付け、記述しているように見受けられる。

「読者は歩の視点からつづられてきた美しい情景のすべてを無責任に消費していた」と倉本氏は書いているが、作者の、津軽の山の中の情景の描写は、単純に「美しい」ものではない。表面的にはそう見えるかもしれないが、作者はもっとリアルな目でとらえているように思う。

 

おそらく、作者も、「都会」と「地方」を対立的にとらえてはいないような気がする。

それは、『送り火』の最終段落からも、分かるように思う。

 

「焔と河の畔には、三体の巨大な藁人形が置かれていた。一つの影が、松明の炎を藁人形の頭部へと掲げる。藁人形の頭が燃え盛り、無数の火の粉が山の淵の闇へと吸われていく。それは習わしに違いないが、しかし灯籠流しではなく、三人のうちの最初の一人の人間を、手始めに焼き殺しているようにしか見えない。」

 

祭りで、藁人形を焼くことを、一人の人間を「焼き殺しているようにしか見えない」、そう表現している作者の「地方」に対する思いには、複雑なものがあるのではないだろうか。

小説と「読む戯曲」の合体ー「ひかりごけ」

  • 2018.08.03 Friday
  • 22:03

「小説についての小説」その142

 

武田泰淳の小説「ひかりごけ」を読んだのは、1973年だった。(新潮文庫『ひかりごけ・海肌の匂い』所収)

40数年ぶりに、また読んでみた。

 

1973年に読んだときは、おそらく、人が人を食べるという、その重いテーマを、どのようにとらえればよいか、「ひかりごけ」を読むことによって、つかみたかったのだと思う。

そのテーマについて、私の中ですでに解決したというわけではないが、今回40数年ぶりに読んだのは、「ひかりごけ」が変わった構造の小説で、何故、そのような構造をもった小説を武田泰淳が書いたのか、その訳を知ることができればと思ったからだった。

 

「ひかりごけ」は、文庫本で、55ページの小説だ。

そのうち22ページまでは、普通の小説のような書き方で進んでいく。

だが、22ページ目の中程から、戯曲になっていくのだ。

戯曲の第一幕目が21ページくらいに亘って書かれ、そのあと、第二幕目が13ページくらい書かれる。

最後は、第二幕の幕が「しずかに下りる」という言葉で終わる。

小説で始まった小説が、戯曲で終わるのだ。

 

小説のはじまり、「私」は「羅臼」の村を訪れる。

「私」が村の中学校の校長からいろいろな話を聞いた中に、「ペキン岬の惨劇」の話があった。

「私」は、校長の紹介でS青年に会い、Sが編纂した「羅臼村郷土史」を譲りうける。その中に、難破船の船長の、人喰事件の記述があった。

 

その記述とは…… 

昭和19年12月、船団「暁部隊」が根室港を出帆。

第五清神丸(乗組員は船長以下7名)が、羅臼北方の海上で、機関部に故障を生じて航行不能になった。乗組員は海に入り、吹雪の波打ち際に打ち上げられる。

 

昭和20年の2月、船長が、羅臼から21キロ離れたルシヤに姿を現わす。

船長の自白によると、冬期は使用されずにいる漁民の小屋に、船長と西川だけがたどりついた。

西川の死後、「しかし私とても食物は一切ありません。結局は西川君と同様、死を以て終らなければならぬのだと考えた時、むらむらと野獣のような気持が燃え上り」船長は西川の肉を食べた。

 

S青年は、事件についての記述のあとに、「推理小説的な想像」を付け加えていた。

〇 「西川と船長は、ついに発見されなかった三名の船員の死体を食用に供したこと。」(漁民の小屋にたどりついたのは、西川と船長だけではなく、ほかに3人いた。西川と船長は、その3人の肉を食べたのではないかということ)

〇 もう一つの想像は、「船長が西川を殺害したこと。」

 

「私」は北海道旅行から帰ってきて、「この事件をどのような形式の小説の皿に盛り上げたらよいのか」迷う。

「この事件には、私たちに、サルトルの嘔気とはちがった意味の、嘔気をもよおさせる何物かがあります。あまりにも重苦しい象徴、あまりにも色彩鮮明な危険信号、あまりにもコントラバスの効いた低音部の重圧があります。」

 

そして、小説が始まって22ページ目、武田泰淳は、「読者にはあまり歓迎されそうにない題材に、何とかして文学的表現を与え」るために、「私はこの事件を一つの戯曲として表現する苦肉の策を考案」した、と書く。

 

どうして戯曲として表現するかというと、「それは、『読む戯曲』という形式が、あまりリアリズムのきゅうくつさに縛られることなく、つまりあまり生まなましくないやり方で、読者それぞれの生活感情と、無数の路を通って、それとなく結びつくことができるからです。」としている。

 

そして、読者に対して、「この上演不可能な『戯曲』の読者が、読者であると同時に、めいめい自己流の演出者のつもりになってくれるといいのですが。」と、要請をしたのち、戯曲の部分が始まっていく。

 

第一幕は「マッカウス洞窟の場」、登場人物は「船長、船員西川、船員八蔵、船員五助」の4人。

 

まずはじめに、五助が死ぬ。

五助の肉を八蔵は食べない。船長と西川は食べた。

五助の肉を食べた西川の「首のうしろに、仏像の光背のごとき光の輪が、緑金色の光を放つ」。

その光を見て、八蔵が言う。「昔からの言い伝えにあるこった。人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うッすい、うッすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけつうもんの光に似てるだと。」

 

つぎに八蔵が死ぬ。

西川は、八蔵のつぎに自分が死ねば、船長が自分を食べるだろうと考える。

「おら、海にはまって死ぬだ。おめえの手のとどかねえところで、死ぬだ。」

西川は、洞窟を去って行こうとする。

「おめえに喰わせるくれえなら、フカに喰わせるだ。」

そう言って出ていった西川を、船長が追っていく。

……やがて、船長が戻ってくる。西川の屍をひきずって。

 

第二幕は「法廷の場」、時は「第一場より六カ月を経過せる晩春の一日。」

登場人物は、「船長、判事、検事、弁護士等、一般の法廷に必要なる諸人物、及び傍聴人。」

 

第二幕は、ほとんど、船長と検事の対話から成り立っている。

この幕で、最も印象的な場面。

船長が、検事に向かって、こう言う。

「あなた方と私は、はっきり区別ができますよ。私の首のうしろには、光の輪が著いているんですよ。よく見て下さい。よく見ればすぐに見えますよ。これが証拠なんですから。」

 

この船長のセリフのあとの、ト書きは、意外なものだ。

「検事の首のうしろに光の輪が点る。次々に、裁判長、弁護士、傍聴の男女にも光の輪が著く。互いに誰も、それに気づかない。群集は光の輪を著けたまま、依然として右往左往する。」

 

今回「ひかりごけ」を読み直してみて、なぜ武田泰淳が、小説の後半部分を「読む戯曲」にしたのか、分かる気がした。

そのポイントは、「ひかりごけ」のように光る「光の輪」にあるのではないだろうか。

 

もし、「人の肉を食べた人間の首のうしろには光の輪が出る」というモチーフを、普通のリアルな小説の中で使って書いたとしたら、その小説は、おとぎ話や寓話めいたものになってしまう気がする。

(現代ならばファンタジー小説という分野もあるようなので、そのような小説として書くことも可能かもしれない。)

武田泰淳は、「『読む戯曲』という形式」は、「あまりリアリズムのきゅうくつさに縛られること」がないので、戯曲として表現することにした、と作中に書いていた。

その、リアリズムのきゅうくつさに縛られないやり方というのが、「光の輪」なのではないだろうか。

演劇であれば、「光の輪」を一つの演劇的な表現として効果的に使用し、観客(読者)に訴えかけることができる。現実の世界ではありえないことも、演劇の世界では存在させることが出来る。

 

武田泰淳は1954年に「ひかりごけ」を書いた。

作者は、小説中の戯曲を「この上演不可能な『戯曲』」と言っているが、現在でもやはり、この戯曲は上演不可能だろうか?

おそらく1954年当時、「光の輪」を陳腐なものではなく、自然なものとして、舞台上に創り出すことが難しく思われたのではないだろうか。そのため、上演不可能と考えたのだと思うが、現代の照明の技術でも、やっぱり「光の輪」を創り出すのは難しいだろうか。

「ひかりごけ」の光とともに、人々の首のうしろに浮かぶ「光の輪」を、「読む戯曲」としてではなく、実際の舞台でも見てみたい気がする。

 

また、「ひかりごけ」は、「読む戯曲」を小説の中に取り込んで、創り上げた成功例であると今回感じたが、このように、戯曲と小説を合体させたり、融合させたりする自由な実験は、いろいろと試みる価値があるのではないかとも思った。

PR

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM